ちーの日記『嵐が過ぎ去るまで』
visibility255 edit2024.03.26
昨日は『なんで私歩いてるんだろう』と思いながらもなんとか出勤して、まずNPOの支援員の担当さんに泣きじゃくりながら電話しました。
結構慣れているのか(去年の私を見てもいるし)、
「今日は予定が入っているから面談とかもできないし、時間が過ぎて落ち着くまで待つしかないんじゃないの。水曜日通院があるんならお医者さんに言ったら。面談の人が来たから切るね」
…文字にするとかなり冷たいようだけど、私にはあたたかく、そして私の思いをそのまま言葉にして肯定してくれた返事でした。
そのあと会社の次長が話を聞きに来てくれました。本当にありがたい。
私が会社に置いている、双極性障害についての本をパラパラ見ながら、
「わかんないけどさ、なんかあったら誰かに言って。無理しないで」
と言ってくれました。
『無理しないで』と言われる時は、大抵生きてる事自体が無理と感じているときでした。
でも世の中簡単には死なせてくれないこともわかってる。歩道橋には高いフェンスがあるし、駅にはホームドアだ。
ネットで見る自殺防止の言葉も、まるで『自分だけ先に楽になるなんて許さないぞ』と言われているよう。
ひねくれてる。ねじ曲がっている。
会社に行ったのは、『一人で一日過ごす自信がなかったから』。褒められたもんじゃない。
午後になったら、日内変動で、随分心が楽になっていました。あとはもう、家に帰るのが怖い。独りになるのが怖い。
帰宅して、弁当箱を洗って、明日の服と弁当の支度(冷凍食品を詰めるだけ)をして、友とメール。私は友に『大丈夫そう』と告げた。勝手だけど。日常の事をきちんとやる。それで自信がつくと思ったのだ。
今朝、アナログで絵を描いている夢を見て目が覚めた。トーンを貼っていて、あと少しで仕上がる、というところでアラームが鳴った。
『一人生きていくんだなんてさ 口をついて叫んだあの日から 変わっていく僕を笑えばいい 一人が怖い僕を』(ピースサイン/米津玄師)
この曲が頭の中ずっと流れています。人生のチャートを好き勝手に進んで行ったら気付けば一人の人生を選んでいた私。
虚勢を張っているけどやっぱり怖い。
時折訪れる嵐は過ぎ去るのを待つしかない。『病気』だから。
自分に言い聞かせるような日記です。
今日も会社行きます。
『やっぱ無理か』
って思いたくない。リワーク施設に戻りたくない。大丈夫な私になりたい。友に言ったように。
これを上げたら夢の続きのように絵を描きます。過ごしたいように。今までのように自分の爪先の向く方に進みます。
今日よかったこと♪
生きてる。起きた。着替えた。メイクもした。髪整えた。仏壇に線香手向けた。仏壇には泣き言言っていっぱい甘えてしまったけど、死んでも私の両親だ。それくらいいいよね。産んだ責任だ。
今日も悪天候らしいけど、なんとか生きる気でいる。それだけで充分。
読んでくれた人へのメッセージ
とりとめのない日記、お読みくださり有難うございます。迷いながらもがきながら足搔きながら生きています。沼のよう。でも生まれてしまったというアンラッキーを背負って、ご褒美がもらえるまで、赦されるまで、生きなきゃいけないんです。二酸化炭素を吐き出して、心臓を動かして。日々の当り前が辛い、そんな時もあります。過ぎ去るのを待ちます。苦しい、苦しい、と思いながら。いつか嵐は去るから。
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