あかつきの日記『ファンの数だけ「世界」も生まれて存在する』

24/9/30(月)

「原作」の存在がファンたちに様々な影響を与える。
「原作」に感銘を受けたファンは、
各々が独自に解釈し、ストーリーやキャラクターに思いをはせ、
想像力を膨らませることで
「二次創作」という「パラレルワールド」を生み出す。

「原作」を重視する人は、
「原作」を「歴史」と同じように改変されるべきものではない。
勝手な解釈や改変は「原作者」に対する侮辱だという考えから、
「二次創作」を「異端の存在」として排斥する傾向もあるようだ。

しかし私は、そこまで「二次創作」が非難を受け、
排斥されるものではないと思う。
むしろ「二次創作」は、ファンによって生み出された「パラレルワールド」
という新たなジャンルとして楽しむことができるコンテンツだと考える。

「二次創作」で
特定のキャラクターに焦点を当てて活躍を強調させることで、
原作では気づかなかったキャラクターの魅力を知るきっかけにもなる。
また、原作をひとつの「問題」と捉え、
それを考察し「二次創作」という「答え」を作り出す機会にもなると思う。
(例えば、原作で悲劇の結末を迎えたヒロインが、
二次創作でどのように選択して立ち向かえばハッピーエンドを迎えられるのか?)

そもそも、「原作」が「揺るぎない絶対的な存在」であると
主張することに疑問を持つ場合がある。
例えば、「原作」が発売・放送されているときの状況や
「大人の事情」などで路線変更された場合。
時代に応じた「リメイク版」が製作された場合。
さらには、前作より内容が劣化した続編が製作された場合などetc・・・。
たとえ「原作」であっても、こうした場合に対して、
自分の意に沿わなければ平気に否定・非難をすることがあるのに、
それでも「原作」を「揺るぎない絶対的な存在」
として主張することに矛盾を感じてしまう・・・。

「原作」を重視する人からすれば、
ファンの独自解釈などによる「二次創作」は、
本来「原作」ではありえない、
「二次創作」内でのキャラクターの性格や行動、物語の知識などが、
あたかも「原作」のものであるという誤解を
「原作」を知らない人に広めたくないという心配もあるのだろう。

しかし、「二次創作」は決して、
原作及び原作者を否定して侮辱するための
「アンチ的な存在」ではない。
むしろファンの「原作」に対する「愛情の深さ」を
表現したものであると私は考える。

元々、1つの作品に対する人々の考え方は
全員が全て同じとは限らず、多種多様であることを忘れてはならない。
「二次創作」という存在も「原作を愛するファンの考え方のひとつ」
として捉えることも大切ではないだろうか・・・。

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