フリューゲルの日記『「絵そのもの」には価値はない』
visibility15 edit2026.05.05
みなさんは絵に「直接」お金を払ったことがこれまで何回あるだろうか?
これは骨董の絵画など「モノとしての絵」を買ったかという問いではない
絵という「情報」にお金を払ったことがあるだろうか?
ここに「20070311144618」という数字がある
世界中の人にとってこの数字は本当にただの羅列でしかない
この数字をそのまま検索してもなにも出てこない
しかし少なくとも「私にとっては」あの日、あの場所、あの衝撃を思い起こす数字なのだ
このように情報はそれそのものには原則意味も価値もない
その情報が「人に影響をもたらすこと」で初めて意味、価値が生まれるのだ
絵に限らず、文章、演劇、映像、音楽などの情報は全て同じだ
情報を得た人に感動や魅力を与えられなければ価値は生まれない
ましてやそこからさらに貨幣価値を生じさせるのはさらに限定的、戦略的、奇跡的であり、絵を描く以外のことをやらざるをえなくなってしまう
絵でお金を得るということは「他人のために描くこと」であり、場合によっては描きたくもない物を描かされたりする
また宣伝や市場調査などの絵以外の取り組みも自分がしなければならない
私は風景や似顔絵などの「現実にすでに存在している物」を基本描かない
なぜなら私は現実こそが最も美しく、それをわざわざ自分が描くのは「苦労して下手な絵を描いた」ということなのだ
「どうしても他人に見せたいなら、写真でいいじゃん」というのが私の価値観だ
私の動機は「昨日までこの世になかった物を描く」ことであるため、すでに現物があるものを描くことに喜びを覚えない
しかし私の描く「昨日までこの世になかった物」は基本的に他人には価値が伝わらないのだ
なぜなら「昨日までこの世になかった物」に価値を見出しているのは「自分だけ」であり、他人にとっては共感や理解することが(少なくともすぐには)できないからだ
他人のためには描かないが、自分の描いたものは誰も理解できない
このことを知ったとき、私は絵を描く仕事を諦めた
読んでくれた人へのメッセージ
今日掲載したイラスト、いくらの値段をつけますか?
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