「りゆう」について。
visibility1,454 edit2014.10.04
当たり前かも知れないけど、
最近、色んな「りゆう」について考えている気がするし、
僕たちのまわりには「りゆう」があふれているなぁ、
なんて、思ったりもしています。
「なぜこれをするんだろう?」と、
これから始めることの「りゆう」を考えることもあるし、
「なぜこれをしているんだろう?」と、
既に始めていることの「りゆう」を考えたりもします。
「りゆう」を人から問われることもあるし、逆に誰かに問いかけたりもします。
そして、そのときどきにおいて、
「りゆう」の大切さを痛感したり、
「りゆう」に振り回されてしまったり、
「りゆう」の煩わしさや、危うさを感じてしまうこともあります。
今の自分である「りゆう」
最近、よく聞かれるのは、
「いだっちさんは、なぜ建築の仕事をしているんですか?」ということです。
そんなとき、僕は、
人が幸せに楽しく暮らすのをお手伝いしたいから、
そんな場所を作りたいから、
と、少し偉そうに、自信満々に言ったりしています。
この答えは、間違いではないのだけど、
初めからこんな「りゆう」をもって、
建築の仕事を選んだわけではなかったように思います。
初めは、なんとなく、かっこよさそうだから、
面白そうだから、
雑誌に載ってて興味をもったから、
みたいな、すごく漠然とした「りゆう」からスタートした気がします。
最近になって、「なぜ建築の仕事をしているんだろう?」と
改めて考えてみて、
自分の中にあった「りゆう」に気が付いたという感じで、
「りゆう」を後付けしているわけです。
何かを始めるとき
何かを始めるときに、「りゆう」が明確であれば、
進んでいくみち、選んでいくみちが分かりやすくなったりはします。
でも、
少し言い訳くさいけれど、
「なんとなく」で始めてみることも、悪いことではない気がします。
僕は、「自分のことは意外とよくわからないものだ」と思っているので、
後から気付くことの方が多いと思っています。
「なんとなく」で始めて、失敗することもたくさんあります。
でも、始めてみてから、
怒られたり、ほめられたり、
拒絶されたり、求められたり、
だんだんと楽しくなってきたり、
ときには苦しくなったりして、
それで気が付くこともたくさんあります。
僕は油断すると、「始めない」ことを選択してしまうので、
迷ったときは、「りゆう」が曖昧でも、
「始めてみる」ことを心がけています。
最後まで読んで頂いてありがとうございます。
「なんとなく」で始めていることにも、大切な「りゆう」があるかも。
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