「りゆう」について。

当たり前かも知れないけど、

最近、色んな「りゆう」について考えている気がするし、

僕たちのまわりには「りゆう」があふれているなぁ、

なんて、思ったりもしています。

「なぜこれをするんだろう?」と、

これから始めることの「りゆう」を考えることもあるし、

「なぜこれをしているんだろう?」と、

既に始めていることの「りゆう」を考えたりもします。

「りゆう」を人から問われることもあるし、逆に誰かに問いかけたりもします。

そして、そのときどきにおいて、

「りゆう」の大切さを痛感したり、

「りゆう」に振り回されてしまったり、

「りゆう」の煩わしさや、危うさを感じてしまうこともあります。

 

今の自分である「りゆう」

最近、よく聞かれるのは、

「いだっちさんは、なぜ建築の仕事をしているんですか?」ということです。

そんなとき、僕は、

人が幸せに楽しく暮らすのをお手伝いしたいから、

そんな場所を作りたいから、

と、少し偉そうに、自信満々に言ったりしています。

この答えは、間違いではないのだけど、

初めからこんな「りゆう」をもって、

建築の仕事を選んだわけではなかったように思います。

初めは、なんとなく、かっこよさそうだから、

面白そうだから、

雑誌に載ってて興味をもったから、

みたいな、すごく漠然とした「りゆう」からスタートした気がします。

最近になって、「なぜ建築の仕事をしているんだろう?」と

改めて考えてみて、

自分の中にあった「りゆう」に気が付いたという感じで、

「りゆう」を後付けしているわけです。

 

何かを始めるとき

何かを始めるときに、「りゆう」が明確であれば、

進んでいくみち、選んでいくみちが分かりやすくなったりはします。

でも、

少し言い訳くさいけれど、

「なんとなく」で始めてみることも、悪いことではない気がします。

僕は、「自分のことは意外とよくわからないものだ」と思っているので、

後から気付くことの方が多いと思っています。

「なんとなく」で始めて、失敗することもたくさんあります。

でも、始めてみてから、

怒られたり、ほめられたり、

拒絶されたり、求められたり、

だんだんと楽しくなってきたり、

ときには苦しくなったりして、

それで気が付くこともたくさんあります。

僕は油断すると、「始めない」ことを選択してしまうので、

迷ったときは、「りゆう」が曖昧でも、

「始めてみる」ことを心がけています。

 

 

最後まで読んで頂いてありがとうございます。

「なんとなく」で始めていることにも、大切な「りゆう」があるかも。

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