ココトモハウスでの活動をつうじて「誰かの相談にのりたい」という欲求が満たされる
コミュニティスペース『ココトモハウス』では、毎日たくさんの人とお話しました。
年代も背景も様々な人たちが(時には遠路はるばる新幹線や飛行機で)悩みを話しに来てくれたり、安心できる場所を求めて来てくれたりして、たくさんお話しました。

ココトモハウスの日常風景①

ココトモハウスの日常風景②

ココトモハウスの日常風景③
利用者さんのお話を聞くだけでなく、手伝ってくれているスタッフたちの話や相談を朝まで聞き続けるということも頻繁にありました。
定休日も無かったので本当に毎日!
12時から22時ぐらいまで、時には朝まで話を聞き続ける日々でした。
僕は生まれてから30年ぐらい人見知り&コミュ障として生きてきました。人と目を合わせて話すことすらうまくできない人間です。
そんな僕でも、この1000本ノックのような日々によって否が応でも人と話すことにたいして自信がついていきました。
気づけば、人に心を開くことが怖くなくなっていました。
また、「誰かの相談にのりたい」という想いでココトモをつくり、ココトモハウスをつくり、実際にそれを叶えてきましたが、ココトモハウスの活動をつうじて自分の中にあったこの想いや欲求が満たされたことも感じました。
このあたりから自分がうつ病だということを考えることすらなくなっていたので、ココトモやココトモハウスのおかげで僕はうつ病になった経験を「嫌だった過去」から「あって良かった過去」に昇華させることができたのかなと思います。
もちろん『悩みを抱える人たちの居場所をつくる』という目標はまだまだ道半ばですが、自分が最初に望んだ「うつ病になった経験を生かして誰かの相談にのること」にたいしては達成感を感じました。
スタッフを育てること、場所を残すこと、に目的意識が変わる
誰かの相談にのりたいという欲求が満たされた後、自然と次の欲求が沸いてきました。
それは自分に素晴らしい出会いや経験をくれたココトモハウスやスタッフたちのために場を残せるようにしたい!という欲求です。
以前経営していたカフェは最後僕がうつ病になったせいで閉店させてしまったので、今度こそ愛情を注いで育てた場所を失わないように、スタッフたちを育て、自分がいなくなってもココトモハウスが残り続けるようにしようと決意しました。
この決意をしたことによって僕の中で目的意識が変わり、僕はココトモ・ココトモハウスどちらにおいても相談員としての活動を終えて完全に裏方にまわるようになりました。

スタッフの好きなことを題材に様々なイベントを形にしてみたり…

スタッフみんなの名刺を作ってみたり…
スタッフたちが輝けるように、スタッフそれぞれがやりたいことをすべて形にしました。
スタッフたちが輝けるように、毎日スタッフの取り組みをブログで書き続けました。
スタッフたちが輝けるように、毎日スタッフたちの相談にのりつづけました。
そのおかげか、スタッフたちはボランティアにも関わらずみんな長く活動を続けてくれて、みんなでココトモハウスを育てていくことができました。
2年間の運営を経て、管理人交代!
2年間そんな取り組みを続けた結果、ココトモハウスは利用者が増えるだけでなく驚異のリピーター率を誇る居場所に育ちました。
設立から1年半後にはココトモメンバーたちに援助してもらった費用をすべて返済することができ、その後もずっと黒字のまま成長していきました。
スタッフたちもそれぞれ自信を持って対応できるようになったし、ココトモハウスの取り組みをある程度分業制にすることもできたので、僕の中では「そろそろだな…」という気持ちが強くなってきました。
場所を残すというのは、自分がいなくても運営される状態にするということです。
つまり、管理人を交代できて初めて成し遂げられることです。
お願いしようと決めていたスタッフ2人に声をかけ、ラーメンを一緒に食べながら気持ちを伝えた結果、、、2人とも管理人交代を快諾してくれました。
このときの自分の感情を言葉で表すことはできないけれど、カフェ経営のときにはできなかったこと、愛されていたお店を自分のせいで閉店させてしまったあの日の後悔を、2人のおかげで乗り越えられたような気がしました。
2017年9月1日。
ココトモハウスの管理人を交代しました。

※当時の管理人交代ブログより抜粋
- 余談「ココトモハウスの現在」
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ココトモハウスは昨年4代目の管理人へと引継がれ、その際に僕の会社から外れて現管理人の運営事業となりました。
そのため現在はココトモの関連サービスではなくなっています。
僕が初代管理人を卒業してからもう6年以上も経つので適当なことは言えませんが、今も悩みを抱える人たちの居場所になっているのではないかと思います^^