あらねの日記『ここは私の居場所だから、守りたい。』
visibility73 edit2024.02.03
思うことがあって書きます。心の中のことを出てくるままに書き連ねるので、まとまりがないかもしれません。
ここは私の居場所です。
特に、1人になっている私の居場所です。
人といるときは、自然適応でコミュ力も発揮できるのですが、帰宅した途端、加速思考が始まって、ぐるぐる頭の中で考えだします。
休日はそんなことがしょっちゅうだから、鬱になる時もあります。だから休日は、私が一旦壊れて、社会生活に向けてまた再構築される日だと思うことがあります。
でもそれって、おかしい感じがするんです。社会適応って、なんで休日の私が否定されなきゃ行けないんだろう。頑張ってるのに、「それは間違った考えだ」って否定される。でも、これも自分なのに。
私の信頼する友達に、今日話したんです。
「たぶん、自分がおばあちゃんとかの世代になったら、今の私を、『あんなことがあったなあ』で済ませるんだろう。でもさ、今の私も過去の私も、未来の私も、全部含めて私なのに。なんでそう思える日が来るんだろう。何だか私が間違っているみたいで虚しい、悲しい」
ココトモは私の居場所です。
学校にいるときに眠っていた言葉をここで解放させることができます。
1人だと寂しいんです。
心がいつも昼間なことがないんです。
全てを陽にできることはないと、最近思いました。
だから、夜の私にも居場所が欲しくて、いつものようにココトモを開きます。
学校にいるときは、何らメンヘラ気質は失せてなくなって、心を病むことはないけれど、今は学校にまでそれを持ち込むことはないけれど。
でも1人だと寂しいんです。かといっていつもベタベタしてくる学校の友達のような存在がいつも常にそばにいて欲しいとは思わない。答えをすぐに求めてほしいとは思わない。
でも、うちに抱えていることを吐露できる場所がなかった。それで私は中学時代苦しかったです。
ココトモはそんな私を受け入れてくれた居場所です。
今は信頼できる、思いを気持ちを共有できる友達ができましたが、今でも私はココトモを居場所だと思っています。
私は友達に巡り会えましたが、今、過去の自分のように苦しむ人が今どれだけいることか。
ココトモは居場所です。
大人たちはイキがってるだけだと思うかもしれない。
実際、私も冷静に考えたら、未来の自分にとっては、私は「メンヘラの承認欲求の塊の終わってた人間」と見えるかもしれない。
でも、それでも、思春期を3年生きてきた私は思います。
私たちは今を生きるのに必死なんだ、って。
一過性のものって思わないでほしい。
心になんのスイッチが入ったか、わからないぐらいに心が悲しくなる。
その胸の内をさらけ出せないのは辛く悲しく苦しいことです。
勝手に心の居場所を取り上げるな。
ここは私の居場所だ。私たちの居場所だ。
今日よかったこと♪
友達に、自分の思ってることを打ち明けられた。
読んでくれた人へのメッセージ
今の私も、過去の私も、未来の私も、学校で話してる時の私も、今こうやってココトモで呟いてる私も、虚しくなって悲しくなってる私も、今の私も、全部、全部全部、私なんだ。
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