ちーの日記『悲しみの必要』

 9年前の今日、父が亡くなりました。
 同じ家に住んでいたのに、父を看取ることはできませんでした。
 その日、テレ東で父の好きな懐メロ番組をやってたので、つけていました。しかしその懐メロ番組が、古すぎた。自分が生まれる10年くらい前の曲ならばまだ聴けるのだが、画面が白黒だ(それこそ笠木シヅ子とか)。ちょっと耐えきれなかった。
 部屋に戻って過ごして、ふと『パパどうしてるかな』と父の介護用ベッドのある部屋に戻った。台所では母がお皿を洗う音。
 父は眼を見開いて、口を開いて、驚いた顔をして動かなくなっていました。
 最期に見たものは何だったんだろうか。誰か意外な人がお迎えに来たんだろうか。

 私はとにかく落ち着いて、落ち着いて、と、父の在宅医療の先生に電話をかけました。先生は死亡診断書と死亡届を書いてくれ、「5枚くらいコピー取っておいた方がいい」と言ってくれました。母がどうしてたかは記憶にないです。とにかく自分が動かなきゃと思ってました。涙は一滴も出なかった。ただ、大腸ガンで痛み苦しんでいたから、『終わったんだ』という気持ちはありました。
 朝になって、通っていた就労支援施設に『父が亡くなりました。しばらく休みます』と電話をかけた。電話の向こうで担当さんが動揺してたのが伝わってきました。

 『悲しみを隠せない』『驚きを隠せない』よくTVなんかで使われる言葉です。隠す必要、あるんでしょうか❓ 外国でテロとか起きると号泣する遺族の姿が映し出されます。日本ではただ、静かに涙を流すのみ。押し殺した声で「…許せません」というのがせいぜい。それが美徳とされる国。
 でも押さえつけた感情は心に蓄積されていく。吐き出そうよみんな。喜怒哀楽出していいんだよ。

 いつも私を肯定してくれた父。祖母のお墓が新幹線に乗らないと行けない距離なので、ずっと墓参に行けない事を悔いていた。「俺は近くに埋めてくれ」と言っていたから、市営霊園に埋葬した(ここもまた辺鄙な所で行きづらいんだけど)。
 今日、仏滅だけどマッチと線香持ってバスに揺られて行ってくるよ。いっぱいいっぱい、悲しいよ、寂しいよって言ってくる。パパに会いたいよ。また散歩行きたいよ。桜咲いてるかな。両親と離れてから花見なんて全然興味なくなった。ただ毎年父の命日に墓地の桜を見上げるだけ。

 「死んだ人ってだんだん遠くに行っちまう感じだなぁ」
 と生前祖母の事を思い出して言っていた父。祖母に会えただろうか。母とも合流しただろうか。
 『冥福を祈る』という言葉の意味を考える。働き詰めのパパお疲れ様。昨日は仕事疲れたよ。パパ偉かったね。そっちでゆったり過ごせてるかな。そっちでも落ち着かず走り回ってるかな。あの時泣けなくてごめん。母の時も泣けなかった。『一人っ子長女』の責任感が勝ってしまった。3人で過ごした日々、辛かったけど楽しかったよ。温かかったよ。これからも苦しみながら生きていくよ。パパの願うように育たなくてごめんね。

 あとはお墓の前でいっぱい伝えてきます(そこに私はいませんって歌があったけど)。

star今日よかったこと♪

本当に昨日は仕事、心身ともに疲れたよね。そして寒暖差。お疲れ様。今朝は暑くて目が覚めた。昨日の朝は震えてたのにな。そしてWebオンリーイベントへの参加。他の人たちが圧倒的過ぎて霞んでいるけど、自分は自分なりに頑張ったので、明日の晩まで沢山の人に見てもらえるといいね。自分も、楽しもう。今日はのびのび過ごそうね。

favorite読んでくれた人へのメッセージ

お読みくださり有難うございます。昨日久々に病院のHPを訪れたら、父の主治医(母の主治医でもある)もかなり老け込んでいました。もう、それほどの時間が流れているんですね。なのに、今更日記を打っていて涙がにじんできました。ほんと今更。今日は天気もいいので、誰の事も気にせず自分らしい服とメイクで墓参に行きます。誰も気にしない。そんな一日を過ごします。解放します。そうしましょう。

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