よしちゃんの日記『悩んだ末に』

どのように生きればいいのか‥と悩んだ。悩みが出れば、気持ちは重たい。

目の前にある食器を手にした。

食器を手にして、それが存在する背景を思った。

今目の前にあること。今目の前にあるもの。それらと共にあるのだな。そのことに気がついているだけでいいのだな。そう思った。

どのように生きればと考えた時、これから先のことを考えがちだ。でも、そうではなくて、どこにも向かう必要はなくて、辿り着くべきその場所も、辿り着くべき目的も、今ここなんだなと気がついた。

もうすでに辿り着いていることに気づかずに、どこに向かえば?あそこに行けば‥と盲目的に悩んでしまう。

どのように生きれば?と悩むのは、今生きていることに目を向けられていないから。今生きていることがどういうことなのかを感じられていないから。

今生きているということは、共存しているということ。一人ではないということ。孤独ではないということ。恩恵を受け、そして同時に同じだけ貢献をしているということ。いつでも何かと共にあるということ。それらと共に一つの何かを成立させているということ。

毎日見失い、そしてたまには思い出す。目を向けられたら思い出す。

『今を生きる』という言葉がある。この言葉に少しだけ違和感を感じた。それは、『今を生きていない』ということが存在するようなニュアンスを含んでいるように感じられたから。

『今を生きる』というよりも、事実として『今、生きている』ということ。そして、『今、生きている』とは、『今、共にある』ということ。

自分の思いに目を向けている間は、このことに気づくことはないだろう。それを想像することはできても、それを事実として受け取ることはできないだろう。

そこにどのような視点があり、そして、それがどこに向いているのか。それが日々受け取るものを決めていく。

自業自得。それは、日々の行いの循環を説明するための言葉。だけども、その根本は、その視点とその方向にあるのだろう。その視点とその方向が受け取る景色を作り上げ、そして、それがその人の行為を促していく。その人の心模様を促していく。

自分の思いから目を離し、それ以外へ目を向ける時間が多ければ多いほど、僕の幸せな時間は増えるのだろう。

同じことを繰り返し、同じ思いを繰り返し、ちょっとずつ変わってきている感じがするな。。

star今日できたこと♪

悩んだ。

自分から離れ、視点を変えた。

あれこれと気がついた。

日記を書いた。

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