てるぷれっくすの日記『僕にある生きる価値の一部を交えて』

今日は、ずっと洗いたいと思っていた大きめの敷物を洗濯した。洗えて良かった。

よくあることだけど、脳がフリーズするような感じになり、頭も体もほとんど働かなくなった。今日は一日に何度もあった。こういう日は、体と同じく気持も重くなりがち。今日もそんな感じだった。

今後の仕事についていろいろと考える時間があった。うまくいく道筋が全く見えてこず、重たい気分になったりもした。

それでもすぐに、自分の中の常識に気づき、その気持ちをリセットできた。

常識というものは、形を作るのに役立つものとも言えるから、否定されるべきものでもないのだろう。

でも、その働きとその影響にしっかりと目を向けていなければ、今回の僕のように、その悪影響をいとも簡単に受けてしまう。

よく挙げられるのが、男とはとか、女とはとか、そういう事があるけども、男女に限らず、全てのことに当てはまるのだと感じている。

男女については、簡単に気づきやすい事柄だと思うけど、人とはとか、社会とはとか、この国とはとか、仕事とはとか、生きるとはとか、そういう気づきにくい事柄もたくさんあるように思う。

自分には生きる価値がないとか、自分には生きる資格がないとか、そんなことを思う人も少なくないように感じているけど、そんな時は、自分の中の常識や周りにあるように見える常識に囚われていることがほとんどなのではと感じている。

生きる資格のある無しは、たった1つの条件で決まってくるのだと僕は思う。それは、それが生き物かどうかということ。そして、それが生き物である以上、そこにその存在が生きる価値が自然と出てくる。全てはリレーで成り立っているからだ。それが事実のように感じる。

それ以外の考えは、それってただの感想ですよねと言われて当然でしかないものだと思う。それが常識というものの実態のように見えている。

僕は自分の中の社会や人や仕事に対する常識に気づき、頭と心をリセットできた。とりあえず、家事に目を向け、仕事のことはおいおい考えることにした。

今度考えるときには、どの常識を使って自分の望みを作り上げていこうかなと、自由なところで考えていけたらいいなと思う。支配されるのではなくて、使役する側で考えられたらなと思う。

star今日よかったこと♪

家の中の事ができた(特に敷物を洗えた)。
今後の作業の準備もできた。

心身の不調に負け越さなかった。

今日はうどんを食べました。節操のない色々な食べ方をする自分に気づき、なんだかとても嬉しくなった。そこに自分の囚われのなさを感じられたから。

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