カフェラテの日記『一匙のスプーンと私』
visibility12 edit2025.08.08
最近の息子、自分の好きな食べ物(フルーツジュレやヨーグルト)を一口、私にシェアしてくれるようになった
スプーンを差し出してくれる行動自体は前からあったけど、以前は「親が自分にしてくれることの模倣」という感じがした
でも最近は、「これ、おいしいよ!」って気持ちがこもってる…ように見える!👀
たとえ言葉では伝えてくれなくても、息子の目を見るとそんな風に言われている気がするの
そんな息子の姿を見ていると、ふと、自分の子供時代を思い出す
私が小学生のとき、母から突然こう言われた
「あんたってケチだよね」
「ちょうだいって言っても、絶対に1個しかくれないよね」
「弟はもっとたくさんくれるのに」
…ルールを知らされていないゲームの中で、「あなたは負けです」と言われたような衝撃を受けた
親に「ちょうだい」と言われたら、たくさんあげるのが正解だったの?
まさか、「ちょうだい」と言われる前に自発的にあげるのが愛情表現だったりして…?
どちらにせよ、そんなルールがあるなら最初から言っておいてほしかった
でも、気づいたときにはもう遅くて、私は「ケチな人」として見られるようになっていた…
だからこそ、今息子が自分から好きな食べ物を差し出してくれると、私とは違うんだなーって、なんだか誇らしくなる
息子と私は別の人間…だけど、私の子供がこんなふうに育ってくれているのが、とても嬉しい
読んでくれた人へのメッセージ
息子のことに関連した自分語り、2連続になってしまいました_(._.)_
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