涙は、経験した分だけ流れるのかもしれない

ふと思ったことを、今日は書きたいと思います。

「最近、涙腺が弱くなった」
という話を耳にすると思います。

僕も最近、泣きやすくなりました。

僕は、小さい頃は泣き虫でしたが、人の死に対してほとんど泣かない子供でした。
可愛がってくれた祖父母の時もそうでした。

小さな頃からは「死」というものが与える悲しみや喪失感を理解できていなかったのだと思います。

というのも、僕が最近泣くのは自分の感情に刺さった時であり、その感情は様々な経験を通して感じたものだったからです。

人は、経験を通して感情を手にし、感情により想像力を高めていくのかもしれません。

そう考えると、僕は少しだけ人らしくなれたのかもしれませんね。

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コメント一覧

全2件
  1. schedule2018.02.25

    おっくん

    ぬいさんの解釈を見て、概念的に仏教的なものを感じました。
    まだ、その言葉にちゃんと咀嚼できない自分がいるのを感じます。
    ぬいさんの解釈に、とても深いものを感じているからでしょう。
    今、言えるのは、ぬいさんがいう「尊さ」を理解する想像力を持つことができたからこそ、涙が出るのだということぐらいです。

  2. schedule2018.02.23

    ぬい

    離れたくない人と二度と会うことができなくなってしまう
    それが死別の苦しみの一つ大きな意味なんじゃないかなと私は思っています
    ただその悲しみは死別だけというわけじゃなく
    二度と戻らない関係性にも言えるんんじゃないかなと私は思います
    たとえ誰かの死であっても自分の関係のない人の死に悲しみを感じないのはそのあたりが関わっているんじゃないかなと私は思っています
    尊いものほど失うと悲しみは大きい
    けれど絶対に失わないもの存在しない
    そのための涙なのかもしれませんね

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