学校に行きたくない。不登校といじめと私

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皆さんこんにちは、鷹れんです(*´`)
今回は、ちっとも面白くない、くらいお話になってしまうかと思います。
これを読むことで、悲しい気持ちになってしまったり、反感を覚えてしまったり、つらいものを思い出してしまったり、傷つく方もいらっしゃるかもしれません。

簡潔に言うと、私・鷹れんがいじめられ、不登校になり、居場所をなくし、転校し、それでもいじめられる、というお話です。
「いじめられた」と言っても、なにか暴力を振るわれたり、なにかものを隠されたり、なにか嫌な写真を撮られたわけではありません。私が受けたいじめは、「無視」と「暴言」の二種類だけです。

今回のブログで、私は不幸自慢や不幸比べがしたいわけではありません。ただ、これを書くことで一人でも「あぁ明日も生きてみようかな」と感じる人がいれば、ちょっとでも誰かの救いになればと、そんな想いで書かせていただきます。
つたない文章ではありますが、どうぞ、最後までお付き合いください(*´`)

「いやがらせ」と「いじめ」

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小学生のとき、初めて人から「いやがらせ」を受けました。
当時私の通っていた小学校には、4個上にワルイ先輩が数人いました。その人たちは、グループになっていろんな悪さをしていました。
クラスで飼育しているチャボの卵が割られたり、下校途中で会ったときに「うるせーぞクソガキ!」などの稚拙な暴言を吐かれることもありました。
当時はすごく恐ろしく思っていたし、深夜にバイクの音がきこえると布団の中で縮こまっていました。

しかし、彼らが中学一年生、私が小学三年生になった頃、彼らグループの中の一人と街で出くわしたことがありました。
私はすぐ気が付いたし、怖いと思ったけれど、不思議なことに彼はなにもやってこなかったのです。暴言を吐くことも、殴ろうとしてくることも、つばを吐かれることもなく、むしろ早く立ち去りたいかのように、そそくさと行ってしまいました。
彼は、みんなを怖がらせる恐ろしい狼ではなく、「グループのチカラ」を利用していただけの、一人ではなにもできないかわいいかわいい子猫ちゃんだったのです。

その瞬間、これでもかと感じていた恐ろしさはすーっと消えていき、笑いがこみ上げてきました。
あれほど怖がっていたのが不思議なほど、その後彼らグループからなにをされても、苛立ちも恐怖も焦りも感じませんでした。だからといって「可哀想」とも思いませんでした。
なにも、湧きませんでした。

一人ではなにもできない、私にとって脅威でないとわかった瞬間、彼らは「恐怖の対象」から「他人」になり、もう関心が向くこともなくなったのです。

これから数々のいじめを受けることになる私ですが、ここから先も「いやがらせ」にはびくともしませんでした。

「いやがらせ」と「いじめ」は違います。
定義は私の中でもあやふやですが、明らかに違うものです。
この後、私は先生から「ちょっといやがらせされたくらいで気にしすぎだ」と言われることになります。結果としてこの言葉は、私の心に治らない傷をつくりました。

自分誰かから敵意を向けられる存在である

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生まれて初めていじめられたのは、中学一年生のときでした。
二学期が始まったあたりからでしょうか、ある男子3人組からいじめを受けるようになりました。

当時私は学級委員をしていて、悪ガキの代表格であったその3人を注意することも多くありました。私にとってそれは特別なことではなかったし、「学級委員」の使命だと思っていたので、別に「相手が嫌いだから」とか「気にくわないから」「先生に気に入られたいから」のような思いは一切ありませんでしたし、むしろ「クラスがよりよくなってほしい」「みんながちゃんと授業を受けられるようにしたい」みたいな、ある種の正義感で動いてるつもりでした。
けれど、どんな思いにせよ、3人にとっては「クラスの女子に生意気に叱られる」というのは、好ましいものではなかったのでしょう。

最初は、私がジャージを持ち帰るのをわすれたことでした。
「学級委員のくせにジャージ置いてってるよー、くっせー、きったねー」なんて言われるようになりました。その後も、教科書一冊忘れただけで「学級委員のくせに忘れものしてやがる。だっせー」とか、掃除の時間は私以外が全員ボイコット(一人で昼休みまで丸々使ってやりましたけど(苦笑))とか、給食の時間に班で机を合わせると私の机だけほんのちょっと離れていたりとか、いかにも子供が思いつきそうな「仲間外れ」をされました。

自分が誰かから敵意を向けられる存在であるということがたまらなく悔しくて、悲しくて、私の心はどろどろとした気持ちに支配されてしまいました。

「無反応でいたらやめてもらえるよ」インターネットに書かれていた「いじめ対処法」を信じていたけれど、いつまでたってもおさまりませんでした。
当時の私の心の支えは、掃除の時間に女子トイレで泣きまくることと(これにも裏話があったりします。詳しくは後ほど・・・)、クラスとはなにも関係ない部活の時間でした。

そして、ついに耐えられなくなった私は、担任のN先生に話をすることにしました。
「先生、私、いじめられてるんです」

その告白をすることが、どれほど惨めか。
「いじめはいじめられる側が悪い」なんて意見もある中で告白をすることが、どれほどの恐怖を伴うものなのか。

目にいっぱいの涙を浮かべ、ボロ泣きしながら、手をぎゅっと握りしめて、先生に話をしました。

行動ひとつひとつを笑われること。陰口を言われていること。いつも女子トイレで泣いていること。
N先生は、笑いも泣きもせず穏やかにきいてくださいました。そして「先生に任せておきなさい」とおっしゃいました。言葉通り私は先生に託しました。

先生に相談したことのある方なら、経験したかもしれません。
先生は、ごく素直に、単純に、いじめている3人を呼び出し注意をしました。
「鷹れんをいじめているんだって。本人から話があったぞ。やめなさい」

結果として、いじめはより悪質に、より陰湿になりました。
机の中に「学校に来るな」「チクリ野郎」などの稚拙な悪意が書かれた紙が入っていることが多くなりました。

そうして先生も学校も信じられなくなってしまった私は、とうとう不登校になりました。
幸い家族はすぐに受け入れてくれたけれど、すぐに家にも居場所はなくなってしまいました。

詳しくはブログ「ずっと“心の傷”だった親と向き合おうとしてる話。」をチェックしていただきたいと思います。

不登校脱却! 待っていたのは女子からの裏切り

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家に居場所を失ってしまった私は、しょうがないので学校に行くのを再開しました。
中学一年生の、三学期のことだったと思います。
「なんで来たの」「やめたと思ってた」そんな言葉を投げられるのではないかと恐怖に怯えながら学校に行くと、思ったよりあたたかく迎えていただけました。
勉強はすっかり置いていかれてたし、学校の先生は大っ嫌いだし信頼できなかったけれど、学校の友達や部活は好きだったし、学校そのものが嫌いなわけではありませんでした。

それから平穏に過ごし・・・と思いきや、中学二年生のときに事件が起こりました。
当時心の支えであったはずの「女子」がいじめの中枢にいたことがわかったのです。
三人一緒に学校に向かっていたときは、私だけに連絡なく先に行かれ、「あんた、みんなに菌扱いされてるよ」「誰もあんたのことなんか好きじゃない」などのメールが届くようになりました。

あなたに、私のなにがわかるっていうの。私のまわりを全て見た上で言ってるの。
そんな反発心もありましたが、「では誰から愛されている?」と自問したときに、自信をもって答えることはできませんでした。
本当は私は誰にも愛されていないのではないか。私はみんなに嫌われているのではないか?

メールでは、その後女の子一人と暴言の嵐のようなやりとりをしたのですが、向こうの「みんな言ってる」に耐えられなくなって親に相談すると「でも鷹れんも暴言いったんだろ。お互いさまだよな」とのことでした。
そんなこと、重々わかっている。そうじゃないの。私は、世界で独りぼっちに感じているの。この気持ちをわかってほしいの。行動ならいくらでも反省するから。それとも、こう思う私が、全て悪いの・・・?
・・・親も、私のことを愛していないから、そんなことを言ってくるのではないかな。

誰にも愛されないこの世界に生きている意味が、独りで生きる意味が、どこにある?

私は真剣に自殺を考え始めました。
近くの歩道橋を通るとき、ここから落ちたらケガくらいはできるだろうかと思うこともありました。マンションの14階に行って、身を乗り出したこともありました。自分で自分の首を絞めたこともありました。

しかし、結局勇気が出なくて、死ねませんでした。
死にたい死にたいと願いながら、いざ死のうとすると、「本当は生きたい」「本当は愛されたい」と、私の弱い弱い心からの声が聴こえてくるのです。
生きることも死ぬこともできぬまま、私はまた不登校になってしまいました。

「君は、強い人だよ」

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「私はもう二度と学校に行かない!」
家につくなりそう叫びました。その後きちんと両親に事情を説明し、転校が決定しました。
転校先でも「鷹れんは真面目」という話はすぐに広まり、その分反感を買うこともありました。案の定、いじめられることもありました。

中学二年生の二学期から転入したのですが、三学期のときにはもうされていたと思います。
二年生は、卒業式で「卒業生へ贈る歌」を歌うことが決まっていて、その練習をしていたときのことです。

私は当時、歌い方に妙なクセがありました。みんな音楽に合わせて横に揺れるのに対し、私は縦揺れと言いますか、とにかく「みんなとは違う音楽へのノリ方」をしていたのです。
その「異質さ」が目についたのでしょう。

直接言われることはなくても、男子が「なんで縦に揺れてるのかね~」「俺、マネできるよw」「○○、上手いじゃんwwww」なんていう会話を教室内でしているのを何度も耳にしました。
そのうち、私がショートヘア―にした後誰かがショートヘア―にしてくると「○○は鷹れんと違ってショートが似合うよな~」なんて話したり。
それで恥ずかしくなった私は、歌を歌っているとき揺れるのをやめたのですが、そうすると今度は「鷹れん、なんで揺れないの?」と半分笑いながらきかれるようになりました。そこまでの陰口などからイライラがつもっていた私は「お前らが文句言うからでしょ!」とつい強い口調で返してしまいました。あのことは、今でも反省しています。

しかし、今度は不登校にはなりませんでした。
転校することで、前の学校で友達だったYくんやRちゃんとも別れなくてはならなくなってしまったし、家庭に想像以上の出費をさせてしまったことも明らかでした。

なにより、もう逃げるのは嫌でした。
「ちょっと、話しがあるんだけど」
悪口陰口を男子と一緒にしていた女子・Mちゃんを廊下に呼び出しました。

あなたたちの行動で私がどれだけ苦しめられているか。どれだけ泣いたか。あなたたちの行動のせいで一人の人間が死ぬかもしれないということ。全てを吐き出しました。
いつしか私はぼろぼろに泣いていて、学年主任の先生がやってきて、結局男子軍とMちゃんと私と担任のS先生で話し合いをすることになりました。

私はそれまで、どれだけ悪口を言われても、最後の一対一のところまで一滴も泣きませんでした。
しかし、話し合いが始まった途端、涙が止まらなくなってしまいました。
あのときS先生が男子たちに対しておっしゃった言葉は、今でも心の支えです。

「君たちは、彼女(鷹れん)が泣かないし弱音も言わないから、この程度の悪口なら、この程度のイタズラならいいと思っていたかもしれないね。でも見てごらん。彼女は、本当はとてもつらかった。悲しかった。やめてと叫びたかった。しかし彼女は、強がってしまったんだ。強がらせたのは、叫べなくさせたのは、他でもない君たちだよ。それを忘れたらいけない」

私は強がっていたんだ。かなしかったんだ。心の中に、ストンと何かが落ちる音がしました。余計、涙が止まらなくなってしまいました。

その後、S先生と二人だけで話す機会がありました。

「君は強い人だよ。前の学校で不登校になってしまったのが不思議なくらいに。きっと色々なものを乗り越えてきたのだろうね。大丈夫。自信を持ちなさい。君は、とても強い人だ」

もうほんと、ボロ泣きでした。
涙でぐしゃぐしゃの顔で、声で、これでもかと感謝を伝えました。
本当に、本当に、あの瞬間が、あの言葉があったからこそ、今も私は立てています。

その後

実際には、高校生になってからもいじめを受けました。しかし、イラついたり悲しくなったりはしたけれど、「みんなが嫌いだ」と言いだしても「私を愛してくれる人はちゃんといるよ。あなたを愛してくれる人もちゃんといるよ。私ではないけれど」くらいに想うようになりました。
とても、穏やかになりました。

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最後に、いじめを受けている方へ

・・・とてつもなく長くなってしまったけれど、読んでいただけたかしら。

大切なことは、ひとつだけです。「学校に行く」ことは権利であり、義務ではありません。
行きたくないところに無理やり行こうとするような「マイナスの我慢」は、あなたの中に黒い感情を生み出すだけです。
「あの時は幼かったよね」なんて思い出話になるかもしれないけれど、それはマイナスの我慢以外のものでもいくらでも作れます。大丈夫。だから、安心して逃げてください。

学校に行かなくたって、あなたの世界は平和になれます。
空はいつでも綺麗だし、学校に行っていないからって死んだりしません。

「行きたくない」が「生きたくない」になる前に、どうぞその気持ちを吐き出してください。どうぞ逃げてください。どうぞやめてください。

そんな我慢をする暇があるのなら、あなたがやりたいことのための「プラスの我慢」を頑張りましょ
う。
プラスの我慢は、忍耐力、精神力、自立心、考えるチカラ、協力するチカラ、柔軟性、自信、エネルギー、あなたの中のいろんなものを育ててくれます。いろんなものを授けてくれます。

学校に行かないのは、欠陥があるからではありません。いじめられるのは、欠陥があるからではありません。
いじめてくる人たちが悪いわけでも、なにも出来ない学校が悪いわけでも、あなたが悪いわけでもないと思います。
ただ、その環境が、そこにいる人々が、合わないだけ。ちょっとタイミングがズレてしまったり、ちょっと不器用になってしまったりしただけの、その程度のものなのです。

大学生になった今痛感していますが、世界は広いです。
きっと、今の私にも知らない世界が、もっともーっとあると思います。
「学校」は世界ではありません。
全員の居場所になれるほど大きくも器用でもありません。

学校に合わせる人生ではなく、自分に合わせる人生を、どうぞおくってください。
大丈夫。私は今も、生きています。

ライター・エディターチームの鷹れんがおおくりしました(*´`)

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