愛と恋の違いとは?
visibility4,056 edit2016.01.26
皆さまこんにちは、鷹れんです☆
今回は、「愛情とはなにか」「愛と恋の違いとは」なんてものを考えていこうかと思います。
愛と恋の違いとは?鷹れんの考え
19年弱しか生きていない私にとって、この命題は大きすぎるような気がするのですが、
恋は、相手を見つめるもの。
愛は、自分を見つめるもの。
なのかなぁ、なんて思っています。どうでしょうか。
恋をしているうちは、「カレが優しい」だの「彼女がかわいい」だの言ってれば済む・・・気がします。そんなこと言ったら絶賛恋愛中のかたに怒られてしまうでしょうか。汗
恋のすべてがそう、というわけではなくて、私が「恋」をしたとしたら、それは相手を見つめるだけのことなんじゃないかなぁ、と思うのです。
それに対して「愛」というのは、自分を見つめることになるのか、と。
相手を愛するのに値する自分になること。相手を愛するために、自分を成長させてゆくこと。相手を愛することで、自分も愛していく。
そういうこと・・・な気がしています。
他にも、
恋は「してほしい」で愛は「してあげたい」だとか、
恋はひとりでするもので愛は二人でするものだとか、
恋は見つめあって、愛は同じ方向を見るものだとかいろいろありますが、
うーん、どれも正解でどれも違っているような気がします。
明確な答えなんてなくて、自分なりの答えを見つけていくのが人生なんじゃないでしょうか。
だから、ここに書いてあることと違ったからって「どちらかが間違い」なんてわけでもないし、ここに書いてあることと同じだったからって「それが正解」なんてわけでもないのだと思います。
・・・うーむ。難しいですね。
「愛情」ってなんだろう?
そもそも愛情ってなんなのでしょうか?
それを考える前に、ちょこっとだけ私の話をさせてください。
私は、両親に愛された記憶がありません。そもそも幼少期の記憶なんて残ってないのが通常だと思うのですが、そういう現実的なはっきりしたものではなくて、なんとなく「自分は両親に愛されて育った」というような感覚がないのです。
そういうと「虐待?!」なんてぶっそうな言葉を連想する方が多いかもしれませんが、まったくもってそんなことはなく、衣食住は勿論確保されていて、月に一度の外食はデニーズのホットケーキがお気に入りで、父親とテニスをしたことも母親と買い物にいったこともあります。
そういった意味では「愛情」を注がれて育ったのでしょうけれど、
あなたの存在自体を愛しているんだよ。
あなたが世界で独りぼっちになっても、私たちのところに帰ってくればいいんだよ。
あなたがあなたを嫌いでも、私たちはあなたを愛し続けるよ。
そんな言葉をきいたことも感じたことも期待したこともなかったのです。
おかげさまで今では人のちょっとした愛情を感じ取って感謝することができますが、おかげさまで私の胸にはぽっかり穴があいてしまいました。
愛情って何? と聴かれると、今の私は「心を育てる材料」だと答えます。
体は、栄養を補給してしっかり休憩をとって健康な生活をしていれば、勝手にぐんぐん成長していくものですよね。
けれど、心はそうとはいかない。食べ物を食べるだけで大きくなるわけではないし、ほうっておけば育つものじゃない。
きちんと「育てる」人がいて、「育て方を覚える」期間があって、「育てられる」人間になっていく。そういう段階を踏むからこそ、心も年相応に成長できるのだと思います。
では、親から愛されなかった子供はどうなるのでしょうか。
以前、ココトモのサイト「ティーンズプレイス」のブログのほうでも書いたことがあるのですが、「栄養補給」と「愛情補給」って違うと思うんです。
あくまで私の想像ですが、
生まれたばかりの心は、すごく脆くて、叩けばすぐ壊れてしまうようなものだと思うんです。
その中身を、愛や、あたたかさで埋めていって、だんだんと「やわらかくて丈夫な心」に成長していく、そんなイメージ。その頃には、叩かれたくらいじゃぽよーんと跳ね返せるようになっているような。
そしてその中には「親枠」というものがある気がします。
他の誰でもダメ。親でないと、そこは埋められない。そんな場所。
その大きさは人それぞれだろうし、ひょっとしたら違う人で補完できる人もいるかもしれません。
しかし、少なくとも幼少期の私の心の「親枠」は、親でしか埋められなかったんです。そして、親はそこを埋めてくれることはなかったんです。
愛を感じなかった私は、やがて愛情を恐れるようになりました。馴染みのない生物にはなんともいえない恐怖心を感じるようなイメージでしょうか。
愛情を恐れる私は、愛情を信じることが出来ませんでした。だって相手は「恐ろしい存在」だから。
愛情を信じれない私の心は、生まれたばかりのすっからかんのまま。叩けばすぐ壊れてしまう弱さのまま。
しかし「弱い心」を見せることはできなくて、必死に成長させようとしました。
結果的に私は「しっかししてるのねぇ」「10代なのにすごい」と言われるようになりました。
自分の努力が認められた、という嬉しさが半分。そして、「それはかりそめの心でしかない」という現実への悲しさが半分。私の気持ちは揺れ動いていました。
私は、本当の意味で心を育てることは出来なかったんです。
自分の心に鎧を着せて、大きく強い心に見せていただけだったんです。
だから、本当の中身は弱いまま。ぼろぼろのまま。傷だらけのまま。けれど、その傷の治し方を私は知りませんでした。
そして私は、年の割にはしっかりして見える、『優等生』と言われる女の子になったのです。
だからもちろん本当の気持ちを喋ることはできなかったし、夢を語るなんてもってのほか。「自信」なんて想像さえしていませんでした。
今では、ちゃんと心を育てられるようになった、と思います。少なくともあの頃よりは。
けれど、「親枠」はからっぽのままです。
別に、虐待を受けたわけではありません。むしろ、優しい人たちだったと思います。小学生の頃までは。
けれど、父親は仕事が忙しかったし、母親は家族の悪口をいえてしまう人でした。
忙しい父親に相談するのは、なんだか気が引けました。
家族の悪口を言う母親に相談しても、「お前のことだって」と言われてしまいそうで、できませんでした。
遠慮して、我慢して、鎧をきて。大丈夫なふりをずっと続けていたんですね。
我慢や遠慮を繰り返していると、感情を抑え込むクセがついてしまいました。
どんどん感情に鈍くなって、感情を揺り動かすものを避けて、平々凡々に生きるだけで精一杯でした。
そんな私がどうして今のようになれたのかは、正直よくわかんないです。
確かなのは、私はココトモに出会って「親が全てじゃない」と知れたということ。
そして、まだまだ小さいけれど、私の中には「自信」と呼べるものが確かにあるということ。それだけです。
・・・なんて、何を言いたかったのやら。終わりも見えなさそうなので、この辺でやめておくことにします。
鷹れん
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