米粒からの説教 (真面目な話)

真面目な話ということで、書かせて頂きます。

改めまして、結城と申します。

よろしくお願いいたします。

僕は相談員として主にチャット相談をメインに活動しております。

最近は、交換日記にて、詩を投稿したり、その中でもシリーズのように繋がっているのをコラムにてまとめて公開していたり、ココトモの中でも活動の幅を広げています。

 

見てもらったらわかる通り、僕はとある技法を用いることが多いです。

「アフォリズム」「詩」

なので、かなり抽象的で訳分からないものに見えるかもしれませんが、今回のコラムは真面目な話ということで、解釈を膨らませない単純明快な文章で綴ります。

それでは本編へ。

米粒に怒られた件について

画像にあるのは、芽です。

時は遡ること5月、僕は玄米を水につけて発芽させました。

その中で10粒をピックアップし育てることにして、残りは炊いて食べました。

玄米は水につけると発芽することから、生命を育てる、頂くといった解釈が体験出来る身近な食べ物です。

みどりの目が水の中から生えてくるのを確認して鉢に植えたのですが、この鉢には腐りかけたものを植えました。

「これはもうダメだな」

と、正直思っていました。

案の定、土から芽が伸びることはなく、他の鉢に植えた元気なものだけをかわいがるようになっていきました。

しかし、最近になり元気に育っていた方がしおれてきました。

玄米を育てるのに適している土ではないし、管理は水以外していません。

しかし、生命の強さを信じている僕は、植え替えることなく水だけを与える日々を続けることを決意すると共に、もうしばらく水を与えていない腐りかけの米粒を入れた鉢にも水を与えることにしました。

そうすると、謎の芽がでてきました。

 

恐らく、これは玄米の芽ではありません。

しかし、僕は衝撃を受けました。

米粒を育てているようで、米粒に育てられているということを、この小さな芽から告げられた気がしました。

僕はその時、自分を恥じました。

生命を、侮っていたのかもしれません。

深く反省すると共に、生命は無限であると感じ、僕の中にある仮説が核心へと変わりました。これは、またいつかコラムにします。

米粒に怒られた経験はありませんでした。

なので、改めて、これからも生命に対する感謝と畏敬の念を抱き、

「いただきます」「ありがとう」「ごちそうさま」

といった言葉に気持ちを込めて、生命を育てていきたいなと思います。

 

といったのが、7月29日のお話でした。

素晴らしき日々に、感謝。

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