母親が嫌いー初めて人を憎んだはなし
visibility3,425 edit2016.03.02
こんにちは、キュウです。
今回は重たいテーマですが、私が初めて怒りや憎しみを感じることができたお話をしたいと思います。
(※宗教関連のお話も出てきますので、苦手な方は読むのを控えてください)
宗教のお話
と、その前に。キュウの人生を語る上で欠かせない要素がありました。それは、教会についてです。私は20年間ずっと、クリスチャンとして生きていました。
キュウが信じていた教えについて
私の両親はクリスチャンです。なので、私も必然的に産まれたときから教会に通っていました。(クリスチャンというのはキリスト教徒の事です。キュウはキリスト教の信者でした。)
私の教会はちょっと特殊で、普通のキリスト教とは違って三位一体を信じておらず、父なる神、キリスト、聖霊は別々のお方だと信じていたり、まあ、他にも色々いわゆる”キリスト教”の「カトリック」や「プロテスタント」とは違った教えを信じていたわけなのですが、細かい話はさておき、「父なる神様(=天のお父様)」は、私たちの霊の父親だ、という風に信じておりました。
霊というのは、簡単に言えば、私達の意識のようなものなんですよ。
わかりづらいか。うーーん。
私たちには、今、体を与えてくれた肉体の両親が居ますよね。この世に生を受けた人なら誰でも産んでくれた両親がいると思います。(それが誰だかわからなくても、DNA鑑定をすればこの人が父親でこの人が母親、というような人が居るはずですよね。)
でも、生まれてくる前、「前世」に居た私たちには体はなく、意識のみの状態で存在していたと信じていました。その「意識」=「霊」ということになりますが、それを創りだしてくれたのは「父なる神様(=天のお父様)」という風に信じていました。
今生きている「現世」には、体を与えてくれた肉体の両親が居るように、生まれる前の「前世」には、私達の意識(=霊)を産み出してくれた「天のお父様、お母様」が居る。
つまり、この世に生を受けた人達にはすべて、共通の霊の両親(=天のお父様、お母様)がいて、私たちは皆、霊の次元では兄弟なのだ、という考え方でした。
キュウを苦しめた両親は二組
宗教のお話を不快に思われた方、すみません。
何故こんな話をしたかと言うと、私ががんじがらめにされていた「両親の教え」というのは、体を産んでくれた両親の教えもそうなのですが、霊の両親の教え(=教会の戒め)も、私を長年がんじがらめに苦しめていた教えだったりするのです。
私は、親から「神様は、あなたがどこで何をしているのかいつも見ている」「誰もいない所でも、神様は天から見ておられる」「あなたのことをあなたよりもよく知っている御方だ」と言い聞かされていました。
なので、まるで私を監視するカメラがあちこちにあるような気持ちになっていて、常に監視されている状態に感じ、誰にも邪魔されないプライベートな空間というのは無いものなんだと思っていました。いつも誰かに見られている、という恐怖?にも似た気持ちで居た私は、戒めを破ればどんなに悪いことが起きるのだろうと怯え、ビクビクしながら毎日を過ごしていました。
嘘をついてはいけない、常に「正しく」なければならない、悪いことをしても全部見られているのでいずれバレる。そんな、怯えた子供でございました。
怒りを感じてはいけない
また、「神様はあなたの思い(心のなか)までご存知だ」とも教えられていたので、怒るのは良くないと聖典にも書いてあるし、ちょっとでも怒りや憎しみのような感情を感じてしまうと神様にはわかっちゃうんだ、それは駄目なことなんだ、と思っていて、いつのまにか怒りを感じることのない心になっていました。怒りを感じたことがないって、本当にそうなのかな?と自分でも疑問なのですが、記憶にはあまり無いんですよねー。
そう。キュウは、小さい頃から「人を憎んではいけない」「怒りを感じてはいけない」と教えられていて、その考えを持つ親や周りに完璧に合わせなければならないと思っていました。
「こちらが怒りを感じてしまう相手にも、何か理由がある」
「その理由は神様にしかわからないのだから、私たちが人を裁いてはいけない」
なーんて、ずっとずっと教えられてきたし、それが正しい捉え方だと思ってきたから。というか、それ以外の価値観を知らなかったから。
もちろん、すぐキレるような人は怖いし、周りにあまりいい影響は与えませんよね。それは私も、よくないと思います。
でも、私みたいに「全く怒りが感じられない」って、それはそれで問題なんじゃないかなあって、思うんです。
悲しみや喜びと同じように、怒りも大切な感情で、感じること自体は悪いことでも何でもない。むしろ、自分の大切な感情のひとつだよって友達に教えてもらったときに、衝撃を受けました。
粉々になった自尊心
キュウは、「完璧ないい子」を目指す上で、宗教や親の考え方や教えに無理やりにでも染まろうと頑張っていました。怒りを感じない人はいい人、人を憎まないのは偉い人。そんな考え方のもと育ってきたキュウは、それに洗脳され、ちょっとやそっとのことではイライラしないようにしていたし、イライラを感じるだけで「自分はなんて罪深い人間なんだ」と思っては自信をなくし、怒りという感情をいつしか心の奥深くに隠し、感じないまでに無意識の世界に押し込んで、「怒れない人」になってしまいました。
嫌なことを嫌と言えない。
不当な扱いを受けたと感じた時に自分の心を守るために感じるはずの「怒り」すらも感じられない。
どんなに不当な扱いを受けても、それは「自分が悪かったんだ」と受け取って死にたいほど辛くなってしまう。「相手には何か理由があったんだ」「自分が悪いんだ」と思うと、悲しみは感じるけど怒りは感じなくて。
なんて自分はダメな人なんだろう、って。
その思いが積もりに積もったら、いつの間にか自尊心なんて粉々になっちゃってて。
いじめられても、「相手には理由がある。だから私が悪いんだ」みたいな、そんな考えに縛られていました。
味方になって欲しかった友達にも、あなたも悪いよ、と言われてボロボロになったりとか。逆に、心の繋がりが余りなかったクラスメート達が私の事を擁護してくれたり。でも、彼女たちとは心の繋がりができていないので、それを信じられなかったりとか。どうしたらいいのかわからない心のぐらぐらは、学校をやめて、皆と会うことがなくなっても続きました。
いじめっこは嫌い!の驚き
ココトモに来てから出会った、過去にいじめられた経験のある人たちには、「自分をいじめた人はずっと大嫌い!!」と言う人にしか出会った事がなくて、ビックリしちゃいます。
皆、「自分は不当な扱いを受けていた」と、自分のために怒りを感じている気がして、怒れるようになって良かったなあと思いますが、私はそうじゃなかったなあ、って。
私がいじめられたときは、「私は多分、学校を辞めることで、時間が経てば立ち直ろうと行動できるし、それによって生まれる繋がりで自分の心を回復できると思うけど、相手は”いじめっこ”というレッテルを3年も貼られてしまって、その間居場所もあまりなくなるだろうなーと思うと可哀想だなあ」と思ってました。
でも、何とかして助ける方法はないかなーと考えても答えはでなくて。結局何もできなくて申し訳ない気持ちになっていたりとか。
そんな感じで、私は人を憎めないんだなあって。
罪を憎んで人を憎まず、と言うことばがありますが、まさにそんな感じ。その人自身は悪い人じゃない、何か原因があってしてしまったんだ、という考え方にどうしてもなってしまう。私がいじめられた原因は私にあるし、相手をいじめっこにしてしまった私ってなんて悪いやつなんだろう、なーんて思っては自分を責めたり、人と関わることに臆病になったり。
それが、いいのか悪いのかは、わからないんですけど。怒りを感じない方が問題は起こさないし、人を赦せるって割と心が楽になるきっかけになるとも思うし。
どこまでが宗教の洗脳で、どこからが自分の本心なのか、まだキュウにはよくわかってないです。
キュウが憎しみを抱いたこと
そんな私が、初めて激しい怒りと憎しみを感じたのは、二十歳の時。ずっとずっと「いい子」になるために生きていた生き方を周りの人たちに打ち明けはじめてから、親の話をする度に「え?そんなことされたの!?それって人権の侵害だよー」とか、「それ、おかしいよ。変な親だね~~」とかって教えてもらうことが多くなってから、「あ、私が親に感じていたモヤモヤって、間違ってなかったんだ。親が間違ってたんだ。別にいい子である必要はないんだなあ」って、わかってからですかね。
心理的離乳が遅かったんですね、私。
そして、親がいつでも正しいという幻想が崩れ去ると同時に、自分が不当な扱いを受けてきたエピソードの数々を思い出しては「メラメラメラ…!!!」と、怒りが沸き上がってきてですね。
なぜ私の思考をこんなにもコントロールして育てたのか。
親からの愛と思っていたそれはただの支配であり、私の思考力や自信、意思の力をことごとく奪っていたではないか。とか。
なぜ思考をコントロールしてまで私を育てたいと思ったのか、それならいっそのこと見捨てて殺してくれれば楽だったのに、とか。なぜロボットにするために子供を生むのか、とか。
そんな気持ちがメラメラ沸き上がってきて抑えきれなくなったので、いい子ちゃんはやめて、親に怒りをぶつけるようになりました。
今までは見捨てられる恐怖に怯えてそんなことできなかったのだけれど、バイトを始めて「親がいなくても自分でお金が稼げる」という自信がついたのと、沖縄で祖母の家に居候したときに親じゃない人たちから私へのたくさんの愛を感じられたこと、ココトモという心の拠り所ができたこともあって、親に捨てられるのは怖くなくなったので、親との関係なんてもうどうにでもなれ、と思いました。
(エピソードの一部を別のブログに書いたので、良かったら併せてお付き合いください)
すると、今度は父親が怒りだして。母親は体調を崩しだして。
「沖縄の祖母の家に居候してから、お前の態度がおかしい。どうして変わっちゃったんだ。沖縄で何かあったのか。親は心配してるしここまで育ててやったのに、嫌われる意味がわからん。親への感謝の気持ちはないのか。感謝しなさい。仮に嫌いになったとしても、これからずっと一緒に暮らしていくんだから我慢して優しくするのが人間ってものだろう。お前は人間じゃない」
「お前の態度に母親はとても傷ついているのだぞ。それを聞いてもなんとも思わないのか??」
なーんて、怒られたりもして。
今までの私なら憐れみの心でも持てたんでしょうけど、「20年も私を苦しめておいて何を今さら。私が正常に戻ったせいでそちらさんが体調を崩しても傷付いても、それがあなたたちの子育ての結果なのだから当然の報いだ。」としか思えず、何の憐れみも感じませんでした。
そして、親が好きだったのはコントロールされる私であって、コントロールの効かなくなった私は要らないんだなあ、とか。
私って人間じゃないんだなあ、じゃあ何で生きてるんだろう。とか。
そのうえ、「あなたは人に優しくできないんじゃないかと心配」とか、「お前は一人では生きられないだろう」とか、なんとかかんとか言われ。
そして、なんのために生きてるのかわからなくなりました。心が路頭に迷った。本当に。
ちなみに、今は親から逃げ出して一人暮らしを始めたことで、ようやく自分を取り戻しつつあります。
キュウと親の愛のスレ違い
キュウは、キュウの周りの友達の家庭とは違って、親自身が自分の子供や夫や妻に「愛してる」と言うような家庭に育ちました。だから、自分は愛されていると思っていたし、それは良いことだと思ってました。でも、この間、ココトモの友人と親の話になったときに、親に「愛してる」と言われて育ったと話したらビックリされて。
よくよくお話ししたら「その愛って、口だけの気まぐれにしか聞こえないね。」と言われて、そういえばそうだなあと感じました。
キュウは、親から無償の愛を感じたことがありません。
いつも、「金を払ってやってるんだから言う通りにしろ」というスタンスで接されていたように感じていました。生活費や、学費、その他私が生きるために必要なお金はすべて親に払ってもらっていたのは事実だったので、頭が上がりませんでした。
親に反抗出来るようになってからは、金銭面の自立ができておらず親の言う通りにせざるを得ない自分の状況が嫌で嫌で仕方なくて、悔しい気持ちで一杯でした。嫌いな人に養ってもらっている、という事実が私の自信をなくしていきました。
親のその育てかたのスタンスは、「お前が言うことを聞けなければ金も出せない、要らない」という裏の意味を私に伝え、私は常に怯えていました。親に言わせれれば、本当はそんなこと無いみたいなんですけど、そんなことは伝わってこなくて。
「親に感謝しなさい」というのも、お世話してやったんだからそれだけ親に報いなさい、という意味に聞こえて。
私を愛しているから育ててるのではなく、なんだろう、育ててやっているのだからこちらの要求を聞きなさい、というようなメッセージばかり受け取ってしまう。
キュウの父親がよく言う言葉に、「子育ては投資だ」という言葉がありますが、例えば、私がデザインの専門学校の学費の負担をお願いすると、まるで奨学金の審査を受けているかのように「本当に通えるのか」「どんな結果を残すつもりなのか」「この学校に通うことで将来どんな可能性があるのか」「就職ができるのか」等々、事細かに色々な質問をされ、最終的に「わかった。これはあなたへの投資としてお金を出してやるのだから、必ず結果を出せ」と言われながらお金を出してくれたんですよね。
いや、それは普通なのかもしれない。わからないです。できないだろうと言う前提で全部聞かれるから、「いや、できる!」と反論するのにかなり疲れますけど。根拠がないと納得してもらえないし。
そして、私はその「約束」に縛られてしまって、「後戻りはできない」という覚悟を決めて学校に通うわけです。でも、プレッシャーに弱い私は、結果を出せなかったらどうしようという恐怖に怯えて、なかなか思うように能力が発揮できない→さらに恐怖に感じてプレッシャーになる→「そんなんだからお前はダメなんだ」と怒られる、という、悪循環ばかり起こっていました。
そもそも、中学校が不登校で、高校は通信で、一浪目でようやく予備校に毎日通えるようになってきたなあ、という私が「専門学校にチャレンジしたい」と言い出したのって、凄いことだと思いませんか??本当なら、どんなに内心無理だろうと思ったとしても「大丈夫、あなたならできるよ」と背中を押してほしかったところです。
「失敗してもいいから、まずやってみなさい」
「失敗したら立ち直るまでは私たちが支えてあげる」
という言葉が欲しかった。本当は。後から「お前はなにもできないから、結婚するまでは養ってあげる」と言うよりは。(お金を使って欲しいのはそこじゃないのに。それこそ、私の可能性に投資?してほしかったなあと思うのですが。)
通えるかもわからない専門学校に大きなお金を出すのが怖かったのかも知れませんけど、お金が無くて無理、ということなら、それをハッキリ伝えてくれれば自分で他の道を探したのに。それぐらいできる能力はあるのに、それすらも否定されて。
自分一人ではなにもできないというメッセージを伝え続けて、私の自信を無くして何がしたかったのだろう。
知りませんよ?これが他の人にとっても辛いことなのかどうかなんて。私のこの状況は、あるひとから見ればかなり恵まれてる状況なのかもしれません。でも、私にとっては無意識に死にたくなるほど辛かったし、重かったし、人生が変えられてしまうほどの影響を持った出来事でした。私が辛かったのは間違いない。
そのくせ、学校を辞めたら「大学に行くつもりはないのか」だの、「学歴が無いと貧乏確定で不幸せになる」だの、私のいじめで傷付いた心に塩を塗るような事しか言わない。私は生きてて何になるのかと疑問が強くなって、自分で自分を殺しかけたりとか。結局死ねなかったけど。
そんな辛さを教会の友達に話しても、「親の気持ちも考えたらどうなの?神様は両親を敬いなさいと教えているよ」とかなんとか、お説教じみたことを言われるだけで、気持ちをわかってもらえなくて。
キュウの友達は学校と教会にしか居なかったのに、学校は辞めたし教会でも浮いたし、周りに理解者が誰も居なくなって、結局一人ぼっちになっちゃいました。
「相談しなさい」という決まり
キュウの家には、何かあったら親に相談しなさいという決まりがありました。でも、私、親になにかを相談するのが嫌なんですよね。なぜなら、帰ってくる答えは決まってるから。
母親が私になにかを相談されたときにいつも言ってたのが
「お祈りして、聖典を読んで、神様に頼って、自分の最善を尽くせば、大丈夫」
という言葉。
何を相談しても、それが返ってくる。全く親身になってくれない。
私は最初、それが相談にのるということなのかと思ってたから感謝の気持ちを持とうと頑張ったりしてたけど、心はやっぱり満たされないんですよ。
私は「母親」に相談したのに、母親はそれを全部「神様」に丸投げして、私と向き合うことは無いんですよ。一緒に悩んだり、気持ちに共感したり、そういう姿勢が無いんです。
そのパターンがわかってからは、だんだん母親に何も相談しなくなりました。
だって答えはわかってるから、言う意味が何も無いじゃないですか。なんでわざわざそんな人に悩みを話さないといけないんだろう??
でも、そうやってだんだん母親に何も相談しなくなってくると、その事に対して怒られたんですよ。
「こっちは心配しているのにどうして何も話さないんだ。話さないと楽になれないだろう。なんでも話しなさい。」という内容だったけど、私は言いたい。
「だったら聞く姿勢を学んでください。」
何故それを怒られるのか、私には意味がわからない。心配して、「最近何も話してくれないね、どうしたの??」とかって聞くならわかるけど、なんで怒られないといけないんだろう。
そんなことしたら、心を閉ざした相手が益々話してくれなくなることは容易に想像できることじゃない??意味わかんない。
私はそんな母親が嫌いです。
否定されることがわかっている
母親が駄目なら父親は?という人も居たんですが、父親に相談すると、まず私の否定から始まるアドバイスが来るので更に嫌なんですよ。
常に社会を意識させたいらしくて、
「お前はそう思ってるんだろうけど、社会ではそれは通用しない」
みたいなメッセージを投げてくるし、どんなに私が辛いときでも容赦なくキツい言葉を投げてくる。
そもそも、父親が見てる社会って、どれ程の物なんでしょうね??
あの人は育ちが南米で、思春期に日本に来て、トライリンガルで、今は語学を活かして色々な国に飛び回る営業マンをやっているから、もしかしたら私よりは広い世界を見ているのかもしれない。
それでも。
私は、そんな世界に生きていない。私は父親の見ている「社会」に生きている訳じゃない!!
なので、私の状況を全く無視したアドバイスしかもらえていない事になります。父親のアドバイスは、「社会」という父親の基準で見た世界の押し付けでしかなくて。
例えば、引っ越しを手伝ってくれた人たちが居たのですが、彼らが帰るときに、家から歩いて15分くらいのところにある駅まで歩いて送っていこうかなーと思ったんですよ。
そうしたら、「車で送りましょうか?」と父親が言ったから、私は思わず「車で送る必要ある?」と言っちゃって。車は母親が乗ってて今すぐ送ることはできなかったから、私が彼らならさっさと歩いて帰りたいし、待たせるのも悪いなーと思って思わず口から出たのですが。いや、私も言葉選びは悪かったと思いますけど。
でも、歩いて送る途中で一緒にご飯を食べたりもできたから、結構いい時間を過ごせたような気がしていたのだけど。
後からめっちゃ怒られましたよ。
「これが、お前が部下で俺が上司なら、叱っているところだ。」から始まって。
今のは社会でお客さんが来たときに、上司がお客さんに「送りましょうか?」と言ったときに部下が「その必要あります?」とか言ったらお客さんを不快にさせてしまうのと同じ状況じゃないか。これは人をもてなす上で許されない失敗、お前は社会で通用しない、そんな心持ちだから友達付き合いが下手なんだ、とか色々。
でも、そうじゃないんですよね、本当は。今回の私の友達は、私にそういう部分があるとわかってて、それでも付き合ってくれてる友達なのに。本当に悪かったなら「ごめんね」と言えば大丈夫になる話だし、そもそも二人ともそこまで気にしてなかったし。実際、私はその人たちと一年以上の付き合いがあるので、その辺は赦し合えるくらいの信頼関係はあったと思うのだけど。
そもそも、父親も変なところありますよ?ちょっと愚痴になってしまうけど。
引っ越し当日、私の友達が親に会ったときに「いつもキュウちゃんにお世話になってます」と言ったときがあったんですよ。それって、普通なら「いえいえこちらこそキュウがご迷惑をおかけしてます」とかなんとか、言うもんですよね。これ、社交辞令ってやつですよね。
でも、父親が言ったのは、
「え?キュウって、人にお世話とかできんの??」
という言葉。それを聞いて私は、
ああ、この人のなかでは私は本当に何もできない駄目な人間に見えているんだなあ。
という悲しみとショックが沸き起こり、何も言葉にできませんでした。
友達のフォローによりなんとか場は収まりましたが、私の心には新たに傷が作られて、忘れられない思い出となりました。
社交辞令もできない人に、そんな風に怒られたくない。(脱線してしまってすみません)
でも、先程の上司と部下の件もそうですけど、親の言う通り今の私には社会的に何の能力もないから、言い返すこともできなくて。
結局怖くなって塞ぎ混んでしまうというか。引っ込み思案なくらい人になっていくばかりでした。
おわりに
まとめようと思ったけど、うまくまとまらないなあ。
でも、数々のエピソードの通り、親が私に投げてくるメッセージの数々のせいで、私は自信を粉々にされて自殺を図るに至ったと感じてしまっているので、私は親を憎む気持ちを捨てることができません。
そんなこと言ったら、「いや、親でなくあなたが悪い」という人もたくさん居るのだけど。
そんなの知らねーよ。私はそんな風に感じていない。
同じように、神様のことも憎い。だから、宗教をやめました。
大人になれという人は多いけど、今はまだ、子供のまま反抗させて欲しい。実家にいるときには来ることのなかった反抗期を、心ゆくまて満喫します。
腹の底からめらめらと燃えるこの「憎しみ」という気持ちを、皆がいうように「いつか捨てられる日」が来ることをぼんやりと願いながらも、今は、ようやく感じられたこの「憎しみ」という感情を大切に感じていたい。
私は、こうして自分が被害者だと実感し悲しむことで、癒える傷もあると思います。いつまでも悲しむ訳じゃないし、悲しみのあとに立ち直れる力はあるのだから、悲しみに浸り自分を労る時間を取ろうとすることは全然変なことじゃないと思う。
自分のために一番悲しんで泣けるのは、自分なのかもしれないですしね。(笑)
ではでは、また次のブログでお会いしましょう(*^^*)
キュウ
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