柚香の日記『幸せと不幸せ』
edit2023.10.05
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こんにちは、柚香です。
幸せってなんだろう?
自分の中で辛いことがあると、そのことばかりで頭がいっぱいで、自分に気が使えない。
自分の心の傷が痛んで、楽しいはずのことも楽しくない。
私もそうでした。
学生時代、私は不登校になったことがあります。
理由はいじめ。
笑われたり、隣の席の子から気持ち悪いから離れろと怒鳴られたり。
人間というものが嫌になりました。
学校なんて行かなくていい。
そう思いました。なので、行きませんでした。
その間、家で自分の好きな英語を勉強していました。
家族がいない8時に起きて、テレビで英語のニュースを見ながら洋書を前にしてわからない単語を書き出し、何度もノートに書いて練習。
昼になると映画が流れるので、英語字幕にして英語にふれていました。
その頃、私にとって英語の世界はまるで夢の国でした。
アルファベットで作られた、魅力的な世界に私の目には映りました。
— いつかこの本を読んでみせるんだ。
中学生の頃の話です。
学校には英語の授業だけ参加していました。
毎日、新しく覚えた英語の文法を頭に、洋書に向かいました。
その時間のときは、私は無敵でした。
誰も知らない、誰も聞いてない。
私の私だけの世界。
私は英語を学ぶためにペンパルを探していました。
日本語が得意な方と出会い、時には日本語で、時には英語でお話をしました。
その方は我慢強く私の話を聞いてくれて、私は幸せを感じました。
高校は、英語専門課程に進みました。
初めてのホームルームで、担任の先生は、英語で話し始めました。
その高校では、ホームルームと英語の授業は英語のみ使用するルールでした。
また、英英辞書を使用することを勧められました。
楽しい日々でした。
クラスは大半が女子で、みんな仲が良く、英語が好きで運動が得意でない、そんな子たちばかり。
みんな勉強に前向きで、どうやって勉強してる?などと話し合っていたりしました。
英語の授業で私が先生に答えると、Exactly やAbsolutelyなど、先生は返してくれて、嬉しかったのを覚えています。
でも、私は体調を崩してしまいました。
高校2年生の頃でした。
憧れの高校から、通信制に転籍を余儀なくされてしまいました。
悲しくて、辛くて、自分が嫌いになりました。
体調を整えるため、転籍後も1年半は療養をしていました。
つまり、私は最終的に20で高校を卒業することになりました。
私は嫌でした。みんなが大学にいる中私はまだ高校生 — 頭が真っ白になりました。
でも、転籍した公立の通信制の高校の先生は暖かい人ばかりでした。
それに、英語科目にもコミュニケーション英語など、いくつかありました。
私はその高校にわざと週2回通いました。
1日は出なくてはいけない授業だけ出て、図書室で一日中本を読んで過ごしました。
2日目は、出なくてはいけない授業に重なっている授業に出て、最小限の授業だけ出ました。
そして、毎週カウンセラーの先生とたわいもない雑談をしました。
学校の課題で美術館に行って感想を書いたり、家庭科や美術などの展覧会に出席するとお茶やジュースと焼き菓子2つを貰えました。
お気に入りはアールグレイティーの入ったマフィン。
2年間、長いようで短い楽しい学生生活でした。
話は長くなりましたが、後悔していたこともいい結果に終わる時が必ずあります。
あなたは一人ではありません。
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