メロの日記『食事と日常』

自分自身を見ようとしない。

この世界に蔓延している悩みや苦しみの原因は、その一点だけにあるような気がしています。

神様お願い、お薬ちょうだい、社会が悪い、あいつが悪い、その発想が出てくるだけの人間性、自分を見ようとしない人間性、そこに、そこだけにあるような気がします。

食べ物が人を作るという言葉、たまに聞くことがありました。

たしかに、食べたものが分解されて材料になって、それで体が構築されている。

それから、心がこもった食べ物は食べ物を通じてこの人の心に伝わっていく。そういう意味でも食べ物が人を作るというのは、そうだなぁと感じていました。

ですが、最近感じているのは、食べているときの自分の気持ちが自分自身を作っているのだなぁということです。

その食材の育っていく様、それを生産している人たちの様子、そしてそれを調理する人の様子、それが目の前まで届いてくる道のり、何かを食べているときに、そういうことが心に思い浮かんでいれば、心にその思いが広がって、その思いが僕を作っていきます。

それまでに僕には無かった風景が僕の中に広がって、それが僕の心を豊かに広げていってくれるのです。

それとは逆に、これはおいしい、これは好みだ、これはそうでもない、そういった自分に合うか合わないかだけを感じていると、心の中には自分のことしか広がっていかない。

自分の中に自分自身が広がって、自分だけの世界がそこに固定されていくんです。

そして、何かを食べているときに違うことに注目したりしているときも、自分の興味が心の中に広がって、同じように自分の世界を固定していってしまうように感じています。

食べ物が人を作るという言葉、それはそうかもしれないけれど、食べ物というよりは食事が人を作ると言った方が正確かもしれません。その食べ物の性質と、その食べ物をどのように食べるのかという人間性、それが自分自身を作っていく。最近はそのように感じています。

そして、それは食事に限ったことではないのだろうなと思います。何をするにしてもそうなんだろうなと感じます。どのような思いでそれをやっているのか。普段日常で行っていることの一つ一つに対して、あらためて自分自身を見つめていけたらと思います。

今日は、体が重たくて考えるのもおっくうで、だから一日のほとんどをぐで~っと横になって過ごしていました。何にもできない、やる気がしない。だけど、それがよかったです。

見ようと思っても見つめることができずにいた自分自身を、見つめる機会になりました。少しだけだけだったけどね。何もせずに、何も考えずにいられる時間を強制的にいただきました。

いただきますと思いながらその時間をいただき。ごちそうさまでしたと思いながらその時間を振り返る。いいね。そういう日常。素敵だね。

ログインするとこの日記をフォローして応援できます

keyboard_arrow_up