あらねの日記『忘れないために書く』
visibility71 edit2024.02.14
閲覧注意。私は、自死は推奨しない。
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一昨日、こんな夢を見た。
ある薬を飲む夢。これを飲んだら「24時間以内に死ぬ」というもの。
私は、「ああ、終わっちゃうんだな」って思った。暗闇の中に浮く板に自分が乗っていて、後ろから壁が迫ってくる。そんな感じだった。もう戻れないんだ。この壁が私にぶつかったら、私、死ぬんだ。これは夢であって、実際目覚めたから死ななかったけど、これが本当なら、あとちょっとしていたら、本当の「死」の恐怖に襲われたのかもしれない。
不思議なことに、不安があった。人を遺すという不安。一番に真っ先に出てきたのは妹の顔だった。隣の部屋から出てくる妹。「お姉ちゃん」と呼ぶ妹。将来は私のヒモになりたいらしい。そんな彼女が私を亡くすというのは、計り知れない悲しみに襲われるのだろうと思った。それにしても、最初に妹を想起するのは、私は無意識に、妹という存在に重さを感じていたのだと驚いた。
私は一度、過去に自死しようと思ったことがある。
中学3年生の時、受験勉強が辛かった、だったかな。ずっと、自室にこもっていた。自分の部屋だけが自分の居場所。一階に降りたら勉強のことを聞かれる。それが苦痛だった。進路についてのままならなさから、自分は終わったと思っていた。未練とかないから、死にたいって思って。未練がない。生きがいがなかった。つまらない中学の時と同じことをもう一回するんだって思った。そんなことをするのなら、死んだ方がましだと思っていた。
丁寧に遺書まで書いて。納戸にあるハンドメイド用の糸を適当な長さまで切って、自分の首に巻きつけた。そこから息の根が止まるように。
でも、だんだん苦しくなって、できなかった。自分でも息を止めてみたけど、一線は越えられなかった。自死未遂だった。その後はただ、カーテンを閉めて、暗くなった部屋の中で、ただぼぅっとしているだけだった。
自死にメリットはない。それだけは言える。「あの時があったから自分はこうしていられている」って言ってる人はいるけど、それは本当にその人の意見であって、神話だ。私はいいことなんか一つもない。自死未遂が自分を強くしたなんて、そんなことを言う気はさらさらない。自分を強くさせたのは失恋経験である。自死経験なんてゴミだ。自死未遂から、「自分は可哀想」病になってしまって、高校生になってもしばらく楽しくなかった。
死ぬな、とは言わない。綺麗事がその崖っぷちの時には響かないことは知っている。
でも、死んでほしいとは思わない。
これこそ綺麗事かもしれないけど、自死した人がいて、悲しむ人がいる現実を見てきた。
人にはみんな何かしら「縁」がある。私の場合は、学校の人。妹。その人たちが、無意識に死にブレーキをかけている。それが、死にたくても死ねない私の命綱になっている。自死未遂で、死ぬこと自体には、何ら抵抗はなくなった。でもその人たちのせいで、私は死ねない。まだ他人のことを気にしている私はまだ、人間を捨ててないかな。人間でいられているかな。
今日よかったこと♪
社会のテスト勉強したよ。
読んでくれた人へのメッセージ
私の住むところから数駅離れたところで、痛ましい事件が起きました。書かずにはいられなかったから書きました。
私も最近生きがいがなくて。行きたい大学とかもないし、正直生きてる意味あるのかな、って思ってます。でも、皮肉にも、死ねないな。
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