こめつぶの日記『共に』

今日は昨日の反省を元にしてあれやこれやと試してみた。

家事をしながら、作業をしながら、思いつくままに試していった。

エネルギーが頭に流れると思考はどんどん回転し、思考の世界に引っ張られていく。思考が僕を誘導する。

僕は今までずっと思考にばかりエネルギーを与えてきたようだ。与えてきたと言っても、自然とそうなっていた感じだけども。

その流れを遮り、エネルギーを心へと流れるようにしてみた。そうすると、思考はその回転を弱め、心が僕を誘導していくようになった。

そうすると、僕の精神はとても落ち着き、作業の手もゆったりと無駄なく流れるような動きになり、全てが一体となるような感覚の中での作業になった。

でも、次第に苦しくなりエネルギーが頭へと流れ出した。物理的には頭だけども、実質的には自我へですね。

これまでは自我へエネルギーが流れ、思考が回転し、そこから生まれる刺激が精神の維持に繋がっていた。だから急な変化に対応できないのかもしれない。

今の僕の状態では、心ばかりにエネルギーを流すのは無理があるなと感じた。だから、極端に偏らないようにしてみた。そうすると、穏やかで静寂ながら楽しい感じの作業感になった。

見つけた!と思った。これだ!と思った。死ぬことと生きることの両立を手にすることができるかもしれないと思った。

それに、これまで心が育っていかなかった理由も分かった。自我ばかりにエネルギーを与えていたからだ。

僕は心がとても弱い。それは、自我がとても強いから。自我が弱まれば心は自然と強くなる。そこまでは見えていた。昨日反省したことから、エネルギーの流れに手をつけてみた。それが功を奏した。

心の強さと自我の強さを50/50になるようにできたらどうなるだろう?!と考えついた。ひょっとしたら、お互いに仲良くやっていけるかもしれないな。

それはどうか分からないから、そうなった時の楽しみにしておこう。とりあえず、そうやってエネルギーを心に流していくことで、少しずつでも心が育っていくかもしれないな。

昨日、ある人からエネルギーをたくさん与えてもらったことがきっかけで今日のこの出来事がある。それで、エネルギーの流れや使い方に目をつけられた。ありがとうというよりは共に掴んだものだと感じている。

僕はその名のとおり、こめつぶのような存在だ。こめつぶどころか砂つぶ、砂つぶどころか素粒子つぶ。

だけど、確実にこの世界のひとつぶを担当している。僕が変わればその担当分だけ、ひとつぶ分だけ世界は変わる。

この世界のあれこれに、言葉をつけて切り分けなければ、この世界のあるがままが見えてくる。全ては1つ。

だけど、あえて言葉をつけて、名をつけて、切り分けられた僕だから、切り分けられたその立場からすると、世界は1つでなくてもいい。あるがままでなくてもいい。

僕は僕でその一つぶとして存在したままに、1つを見いだすことができるから。一連なりという1つを見いだすことができるから。

全ては常に共にある。独りで居ても一人じゃない。今、触れているもの、今、触れている空気、今、使っている道具、今、食べているもの、それらと共にそれらを通して、僕とあなたは、僕と全ては共にある。

言葉ではなく、事実を見ようとしてみれば、言葉は必要ないものになってくる。

昨日、反省を覚えたことで、反省することがちょっと楽しくなっている。覚えたてだからかな。頑張ったり頑張らなかったり、そんな感じで行けたらいいな。

star今日できたこと♪

可能性を感じた。

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