バロンの日記『何ごとにも旬があるね』

昨日の夜は、手作りの豆乳シャーベットを食べた。甘味が少なかったので、少し残っていたチョコカスタードをかけて食べた。ナイスだった。

僕の作り方だと、シャーベットを冷凍庫と冷蔵庫に行ったり来たりさせる必要がある。そうでないと、シャリシャリにならないからだ。

そして、丁度いいシャリシャリ具合にして、その時それを食べる。「今が旬だな♪」とか思いながら、そのシャーベットを手に取る。

人生の中でシャーベットの旬を感じるなんて、思いも寄らなかったこと。そんな人生の一時を感じられたことが嬉しかった。

そんな感じで、日々色々あるけれど、でも心に輝きを感じなくなっていることが、少し気がかりになっていた。

今日の朝、シャワーを浴びながら、そのことに思いを巡らせた。日々、色々なことに気づいていく中で、確かに苦しむことは極端に減り、嬉しさや楽しさがある中で過ごせるようになってきてはいる。

だけども、そうなってしまったと共に、心に向き合う前向きな姿勢も失ってしまっていた。僕の心に輝きが無くなったのは、人としての輝き、心に向き合い前向きに生きる姿勢が無くなったからだと僕は感じた。

嬉しいとか楽しいとか、そういうことがあれば、自分に対しても、他人に対しても、よかったね♪とは感じる。

だけども、嬉しいとか楽しいとか、そんな感情的な心の明るさは、牛だって、虫だって、ミジンコだって、どんな生き物でも持っているもの。

でも、心に向き合う前向きな姿勢からくる明るさは、感情的な明るさとは違い、人としての心の輝きを持っている。少なくても僕はそのように感じている。

それは、鳥の卵が孵化する時や、爬虫類や甲殻類が脱皮をする時の、そのひび割れから漏れてくる光の輝きに似た、心が震えるような、心に染み入るような輝きだ。

僕の心が一番喜び、そして、一番心に残るもの。それは、そういった人としての心の姿勢。人ならではの心の輝き。

それを失っていたのだから、いくら楽しかろうと、嬉しかろうと、曇ってしまうのは当然だった。

そんな自分を振り返り、なるほどなぁと理解した。まあでも、シャーベットにも旬があるように、僕の心もきっと旬があるんだろう。色んな時があるんだろう。

というわけで、そんな今を感じながら、今日も一日、過ごしていきます。

star今日よかったこと♪

シャーベットを食べた。美味しかった。
納豆の容器を器にすると、プチかき氷屋さんみたいで面白かった。

旬を感じた。自分を見つめた。

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