にゃんの日記『綺麗になりたい』

綺麗な人間でありたい。とても綺麗な人間。
そんな人はいない。そんなの人じゃない。
ものは考えよう。汚点だと思っているものが実は誰かにとっては羨望の眼差しの対象であるかもしれない。そんなはずは、ない。

私は平和主義者で、博愛主義者で、排他的で、差別的で、短絡的で、浅学だ。
愛することすべてが美しいものだと勘違いしていた、ただの希望だった。
愛という感情は発露しない方が良い。自覚はない方が良い。自立心も自我もなければ綺麗でいられたのに。

気づかない方が良いものが世の中にはたくさんある。
気づかなくても良いものではなく、気づくべきではなかったもの、目を逸らさなければならないもの。私は、それらすべてを目に焼き付けてしまう。
自他境界が曖昧である。しかし、自他境界が曖昧なのは当たり前なのではないかと思うが、それでも誰の気持ちも考えずにただひたすら己の欲のまま生きていた幼少期は、紛れもなく自他境界が明確であったと感じている。

私は幼くなりたい。それは幼児退行ではなく、美しくなるために。
あの頃は本当に綺麗だった。子供ながらの残酷さが、その残酷さが愛おしくて、苦しい。取り戻したい。
子供の素直ゆえの残酷さを失った私は、私は、恐ろしい。恐ろしい化け物。己がモンスターに見えて仕方がない。
矛盾だらけで生きていて、恥ずかしいと思う。恥という感情も、汚い……。

綺麗になりたいということは、私は汚いのだ。
何もかも綺麗になりたい。歳も取りたくないし、私が思い描く世界が幻想であることを知りたくないし、戦争のトリガーになりたくないし、制御可能な欲で人を傷つけたくない。綺麗になりたい。
子供になりたい。そして死にたい。綺麗な存在のまますぐに消えたい。綺麗な娘だったと言われて眠りたい。

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