学者の謝罪

ここでは「学者の謝罪」について話していきます

みなさんは「世界で有名な学者は誰?」と聞かれアインシュタインという答えが出てくると思います、そのアルベルト・アインシュタインの話をしますドイツ・ベルリンを拠点に研究活動をしていたアインシュタインは新興出版社「改造社」の招きで、エルザ夫人と共に第二次世界大戦前1922年11月17日~12月29日まで日本を訪れた、アインシュタインは日本に感動し京都滞在中に息子たちに「日本人のことをお父さんは、今まで知り合ったどの民族よりも気に入っています。物静かで、謙虚で、知的で、芸術的センスがあって、思いやりがあって、外見にとらわれず、責任感があるのです」と書いた手紙を出した。                           1939年9月1日第二次世界大戦が始まった、日本は最初は順調だったものの徐々に後退していった、1945年8月6日広島に原爆が落とされたそして9日に長崎に両都市は、原爆の爆発とその後の火災で壊滅し、大量の死傷者を出した1945年8月15日日本は降伏をした、戦後間もない1948年のことアメリカに日本物理学者が研究のために訪れました。その名は湯川秀樹。1949年に日本人で初めてノーベル賞を受賞し、敗戦で自信を失っていた日本人に大きな力を与えた人物です。そんな湯川の研究室にアルベルト・アインシュタインが訪ねてきました、そして彼は湯川の手を握り締めると、涙を流し、肩を震わせながら口を開きました「罪もない人たちを傷つけてしまった。どうか許してほしい」なぜ、こんなこと言ったかというとアインシュタインの特殊相対性理論は、原子爆弾の製造にも一役買っています。またアインシュタインは、第二次大戦時、当時のアメリカ大統領に宛てられた、原子力開発を促す手紙にも署名をしています。広島と長崎に原爆が投下されてから、彼はあの手紙に署名したことを心から悔やんだといいます。また、彼が原爆開発に直接携わったことはなく、広島・長崎への原爆投下にも反対していました。しかし、自分の研究の結果に責任を感じた彼は、すでに物理学の世界では雲の上の存在であったにも関わらず、1人の日本人に対して、泣きながら謝罪したというのです。湯川はノーベル賞受賞後、第一級の物理学者として活躍する一方、核兵器廃絶を求める平和運動にも積極的に携わり、核兵器廃絶・科学技術の平和利用を訴えた。
アインシュタインの発言を受けて湯川の人生になにか影響あったのだろうか?

これは実話です。みなさんは日本に原爆を落として正解だったと思いますか?「原爆がなくあのまま戦い続けていたら今の世界はない」という人もいれば「原爆によって罪もない人が大量に死んだ、あの原爆は間違っている」いう人もいます、アメリカ本土でも原爆を落として正解派と間違っている派に分かれているそうです。

 

ココトモInstagramはじめました♪

このたび、ココトモの取り組みや想いを発信するInstagramをはじめました。ココトモメンバーたちが試行錯誤しながら運用してくれているので、ぜひ応援&フォローいただけると嬉しいです(*´`)

Instagramはこちら

コメント一覧

まだコメントがありません。

コメントを投稿する

コメントを投稿するにはログインしてください。

keyboard_arrow_up