不登校の原因-キュウの場合-
visibility3,473 edit2015.09.27
こんばんは、キュウです。
今回は、前回予告した通り、私の昔の経験の中からお話しようと思います。少し長くなりますが、お付きあい頂けると嬉しいです。
前回の記事はこちら→下痢が続く方へ
私が不登校になるまで
私は不登校経験者です。期間は、中学校一年生の5月頃から中学校三年生の2月頃までの約3年間で、中学校に行ったのは最初と最後の一ヶ月だけ。その一ヶ月も、かなりの頻度の欠席を伴いながらの登校でした。ちなみに、入学式は保健室で過ごし、卒業式は保護者席で出席しました。
小学生の頃から休みがちではあったのですが、当時は自分が不登校になるんじゃないか…なんて気持ちは全く無くて、このまま普通に中学校も卒業まで通えるものだと思ってました。学校に行かないのは悪いことだと思っていて、自分が休みがちなことに多少の罪悪感も抱いていました。
キュウの不登校の原因
私が学校に行けなくなった直接の原因は、過敏性腸症候群という病気にかかっていたためでした。(過敏性腸症候群について知りたい方はこちら)
小学校高学年に上がる頃にはもう症状に悩まされていて、たくさんの人が居るなかでおならをしてしまったり、便をもらしてしまったり、常に尿もれに悩まされてズボンの股が濡れていることが多かったりと、幼い私には耐えられないような恥をかいてきていて、それが原因で悪口を言われてやしないかと人目が怖くなったのもあると思います。
また、社交不安障害という病気も併発していて、人前に出たり、人と接するのがとても難しい心の状態のなか、親の期待に応えようと児童会役員に立候補したことも、ストレスを受ける原因でした。
不登校の原因となった病のはなし
では、私の不登校の原因となった過敏性腸症候群のお話を少しさせてください。
不登校の原因ー幼い頃からの下痢と腹痛
私は幼い頃からお腹が弱くてトイレが長く、よく下痢と嘔吐をしていました。また、苦手な場面の前にはよくお腹が痛くなる等、少しずつ病の兆しは現れていたように思います。
とはいえ、幼稚園まではあまり困っていなかったのですが、小学校に上がるとそうもいかなくなってきました。授業中、朝の会、学年集会、全校集会、運動会、学芸会etc…お腹が痛くなっても自由にトイレに抜けることができない状況が増えてくると、私はだんだんお腹の痛みと頻繁な便意に悩まされるようになっていきます。特に学年集会や全校集会等の全体の集まりは、授業中と違って先生が近くに居ないため、なかなかトイレに行くことの許可をもらいに行けず、その時間が一番苦痛でした。
不登校の原因ー我慢の時間
最初は楽しんでいた学校も、トイレに行けない時間が始まったとたん、トイレに行かずにどれだけ耐えられるかの我慢の時間へと変わっていきました。低学年の頃はまだ症状は軽かったので授業時間等の腹痛と便意は耐えることができていましたが、中学年、高学年と成長する毎に腹痛の度合いや症状は酷くなっていき、次第にトイレに抜ける回数も増えていきました。
授業中トイレに抜ける、ということは、少なからず人の注目を集めます。その、大勢の人に見られてしまうというプレッシャーも私を苦しめました。そもそも「授業中トイレに抜ける事は先生に失礼だからダメだ」と教えられていて、それがダメだとわかっていながら行く事に対する罪悪感もあるのに、大勢のクラスメイトに見られているなかでいかなければならないプレッシャーは、当時の私には本当に苦痛でした。常に後ろ指を指されている感じで、私への陰口が聞こえてくるようでした。
不登校の原因ー耐えられなくなってきた下痢と腹痛
トイレに行けない時間、特に全校集会に耐えられなくなってきた私は、ある日、大きな発見をしました。たまたま全校集会の日に寝坊して学校に行ったのですが、そうするといつもの「小さい順に整列→順番に体育館」という流れではなく「一番後ろに座りなさい」と言われる、ということです。これは、私にとって大きな発見でした。私は背が低かったので、いつも前の方になってしまい、先生が何処に居るのかもわからず必死に便意を我慢して、時にはおならも出てしまいながら辛い思いをしていたのですが、遅刻して一番後ろになるとすぐ後ろに先生が居て、すぐにトイレの許可を貰うことができるのです。
それからの私は、全校集会がある日は、学校についてもすぐには教室にいかず、トイレでしばらく時間を潰してから体育館にみんなが入り終わったのを確認してわざと遅刻して体育館に入ったり、家を出る前に学校を休みたいと言うようになったり、とにかくトイレに行けない状況を回避しようとするようになりました。
不登校の原因ー漏らすかもしれない下痢と腹痛
小学校高学年になると、家から学校までの短い道のりでも便意を催すようになりました。その15分ほどの道沿いには、トイレに行けるような場所はありませんでした。学校に着き次第トイレに駆け込むしかありませんでしたが、学校まで我慢するのは結構辛い事で、通学途中に漏らしそうになることもありました。家に引き返した方が早いと思ったときは引き返して家のトイレに駆け込み、そのせいで遅刻したりもしてました。なんとか漏らすことは無かったものの、通学路の腹痛や便意も辛くなってきた私は、ますます学校にいくのが苦痛になっていきます。
この頃の授業中は、強くなっていく腹痛と便意のせいで授業に全く集中することができず、先生にトイレに行きたいと言うか言わないか迷うだけで一時限が過ぎてしまうということがよくありました。テストになると最悪で、トイレに抜けると棄権になってしまうというプレッシャーも加わって、死に物狂いで椅子にへばりつき受けていました。
しかし、幼い頃から下痢や腹痛と付き合ってきた私はこれが病気だとは夢にも思わず、みんなも自分と同じようにいつでもお腹が痛くなるものだと思っていました。なので、「みんなお腹痛いのを頑張って我慢しているんだ、私もちゃんと我慢しなきゃ」と思っていました。特にテストや全校集会では「みんなはどうやってそんな涼しい顔でトイレを我慢できているのだろうか」といつも疑問に思っていて、我慢できずトイレに抜ける自分を責めたりもしていました。
不登校の原因ー「トイレに抜ける事はできなくなります」
そして迎えた、卒業式前日。小学校の先生は、最後の授業が終わった時、私たち卒業生にはなむけの言葉をくださいました。詳しい内容は覚えていませんが、その最後だけははっきりと覚えていて、こんな言葉をおっしゃいました。
「中学校では、小学校とは違って授業中トイレに抜ける事はできなくなります。休み時間にトイレに行っておく等きちっと自己管理をして、授業中にはトイレに行かないように気をつけましょう。」
トイレに抜ける事はできなくなる…この言葉を聞いた私は大きなショックを受けました。文字通り、もうトイレに行く事はできないんだ…と真に受けたのです。まるで死刑を宣告された気分でした。先生は気づいていなかったかもしれませんが、私は授業の前にはトイレに行くようにしていましたし、授業中行きたくなったとしても必死に限界までトイレを我慢したうえで行っていました。それなのに、今以上にトイレに行けなくなるなんて…。トイレに行かないと漏らしてしまう。
この言葉は新たなプレッシャーとなり、私の過敏性腸症候群の症状の悪化に拍車をかける結果となってしまったのでした。
不登校の原因ーお漏らし
そうして迎えた中学校一年生。同じ小学校からは殆ど持ち上がりだったので友達はたくさんいたけれど、違う小学校からもたくさん来ていて新しい環境ということもあり緊張ばかりで、毎日大変な思いをしていました。特に授業中が大変で、トイレに行かないように今まで以上に意識していました。また、陰口悪口を言う人が小学校の時よりも増えてしまったのと、小学校の時仲良しグループだった人達に無視されている最中だったのもあって、学校に行くのが憂鬱でした。
そんななか、とうとう我慢できずに通学路で漏らしてしまうという事件が起こりました。友人と一緒に登校していたので、ごまかしつつ何食わぬ顔で学校まで行きトイレに駆け込んで、汚物まみれのパンツを棄てて上からはいていたスパッツのみで一日を過ごすことで何とかなりましたが、同じようなことがまた起こりそうな、嫌な予感がしていました。
その予感は的中し、通学路で我慢できずに漏らしてしまうことが度々起きるようになっていきました。そのため、友達と行かなくて済むようにわざと寝坊したり等一人で通学するようにして、漏らしたとき用に余分な下着とビニール袋を持ち通学するようになりました。が、漏らしたあとにそのまま学校で過ごすのにもそう何回も耐えられずに、家に帰ったりすることも増えて、中学校もだんだん休みがちになっていきました。
不登校の原因ー高熱というからだのサイン
病気が発覚したのは中学校一年の5月のこと。高熱を出したのがきっかけでした。38.0℃を越えるような高熱で、さすがに「仮病だろ!」とは怒られず、すんなり休ませてもらえたことが心に残っています。インフルエンザは陰性だったけど、薬を貰ってもなかなか下がらないしつこい(?)熱で、食欲も無いしぐったりしていて、何度か点滴も打ってもらいました。
しかし、熱が下がったあとも微熱は下がらず、食欲も戻らず、おかしいなーと複数の病院にかかりますが、原因はわからないけど食欲が無いのでとりあえず点滴を打って終わる…という感じの診察しかしてもらえなくて、なかなか治らない。それどころか病院を訪ねるごとに下痢と腹痛が酷くなっていく始末。
そんな中、たまたま小児科と喘息外来と心療内科を一人のお医者さんが診ている小さな病院の小児科で見てもらったところ、小児科だけでなく心療内科的な観点からも診察して頂くことができて、そこで何回か診察を受けるうちに過敏性腸症候群という病気であった事が判明し、ようやく根本的な治療を始めることができるようになりました。
不登校の原因ー病院の診断
先生によると、今までトイレや下痢や腹痛等で辛い気持ちを味わっいながらも何とか保っていた日常に、「トイレに抜けることはできなくなります」という言葉が先生の言葉が重くのし掛かって、そこに様々なストレスも加わり、とうとう心が耐えられなくなって熱を出したのではないかとのことでした。
治療を始めるときには、学校へ行くのが辛いのならしばらくは行くのをやめても良いんだよ、と言って頂き、親も説得していただいて、そこから、私の不登校生活がスタートする事になったのです。
不登校=「悪いこと」?
私は過敏性腸症候群という病気になって学校に行けなくなってしまいましたが、病気が発覚するまでは親の目から見て「学校があまり好きじゃなくて休みがちになっている子供」というように見えていたようでした。熱もなく、一日TVを見ながらだらだら過ごす私を見て親は仮病だと怒っていましたし、社会に出たら簡単には休めないのに今からこんなでは将来どうするんだみたいなことも言われてました。お腹が痛いのは嘘だろうと言われ、休んでも、親がもう元気だと判断したときには給食前の時間等からよく遅刻して学校にいかされていました。
そういうことが続いたからなのか自分でも仮病を使っている感があって、しんどいのを無理して学校に行けば一日過ごせることが多かったので、休みたい気持ちとの葛藤のなかで「学校に行けば大丈夫になるくせにまたズルして休むのかよ」という気持ちがありました。
不登校になってからもそれは続いていて、いきなり「病気だから休んでも良い」と言われても、学校を休んでいる事に対して負い目を感じている自分が居て、学校に行ける人たちを妬ましく思う気持ちや、何故私がこんな病気にならないといけなかったのか、というような、悲しくて辛い気持ちになりました。
でも、大人になってまわりを見てみると、過去にそういう体験をしていたり、身近な人がそうなっている、という人はたくさん居ることがわかります。中には、その事に引け目を感じるのではなく、自身の強みとして何かに活かせないか?と考えている人や、そういう悩みを持たずに人生を歩んでいる人たちよりもむしろ悩み苦しんできた人たちの方に可能性を感じる、と言って目を輝かせている方も居て、そういう方たちとお話するうちに、私の抱いていた劣等感や健康な人への妬ましい感情がいかにちっぽけで醜いものだったのかを思い知らされました。
おわりに
「不登校」と聞いて、あなたはどういうイメージがわきますか?あなたが思い浮かべた不登校に対するイメージが、ネガティブなものではないといいなーと願います。
私は、今では不登校は悪いことじゃないと思っているし、社会に蔑まれていいものだとも思いません。誰もが心に悩みを抱えているし、心が抱えられる悩みには限界があると思います。もう限界だよ、という心のサインに正直になるのに、不登校という選択肢を選ぶことは全く恥ずかしいことではないと思っています。
私が「不登校はネガティブな事ではない」と感じられるようになるまでのお話も、近いうちにできたらなーと思っています。
次回もよろしくお願いします♪
以上、ココトモライターチームのキュウでした。
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