社会不安障害(SAD)とは。原因と私なりの克服方法。
visibility6,484 edit2015.07.18
こんにちは、こんばんは、おはようございます、nanaです^^
さて、今回はわたしが持っている社会不安障害(SAD)という病気についてお話したいと思います。
特に狙いはありません。なんとなーく、こういう人もいるよってお話をして、反面教師のようにしていただけたら…?
そして読んでくださった人に、少しでも、今以上に自分を大切にしてもらえたらなぁーというような。あえて挙げるなら、そのような理由から、書くことを決めました^^
社会不安障害(SAD)とは
※事前に明記しておくと、私は「障害」のことを決して「害」とは思っていません。特性だと思っていますし、もっと言えば性格、性質の一部と考えています。
社会不安障害(SAD)。
今では、「社交不安障害」というのが正式名称になりますね。ですが、馴染みある呼び名が旧名称である社会不安障害のため、このブログではそっちを使おうと思います^^
聞いたことのある方は、そんなに多くないのではないかなぁと思います。
事実わたしも、自分がそうだと診断されるまで、その存在を全く知りませんでした。
一言で言ってしまえば、あがり症のひどいバージョン、というかんじかなぁ。
一般的に言う「あがり症」は生活に支障のない程度の場合が多いかと思いますが、社会不安障害というのは、その「障害」の名の通り、生活に支障をきたします。
いくつか、社会不安障害が出てくる場面の例をあげてみます。
社会不安障害(SAD)の特徴
- 人前で発表する、人に注目されることに極度の苦痛を感じる
- 自分の会社にかかってきた電話に出ることが怖くて出られない
- 人前で字や絵が描けない、手が震え、規格枠からはみ出てしまう
- 人前での食事が苦痛、見られているだけで食べ物が喉を通らない、味がしない
- お客様へのお茶出し、名刺交換、書類配りなどができない
- 静かな空間でお腹が鳴ることへの異常な恐怖感、緊張感
- トイレで人が隣にいたり、列になり待っている人がいるだけでできなくなる
などが、あげられます。
そして、これらの場面に遭遇すると、次のような症状があらわれます。
社会不安障害(SAD)の症状
- 顔が赤くなる
- 汗が止まらない
- 手足が震える
- 言葉が出てこない
- 声が震える
- 動悸・息切れをする
- パニックになる
- いずれその行為自体ができなくなる
という症状で、その程度が重度で、生活に支障をきたすようになることです。
わたしの場合の該当項目と、その時の症状。
わたしが社交不安障害の中で該当しているのは、
- 人前での発表、注目されるような場面で発汗、手足や声の震え、動悸、
頭が真っ白になり自分が発している言葉の意味すら理解できなくなってくる - 会社にかかってきた電話に出ることができない。頭が真っ白になり、
相手の言葉を理解できず、声を出せない、決まっている事柄が言えない。
ただし、個人的な電話や、自分の会社の上司・部下への連絡だったり、
マニュアル通りの架電対応は緊張してもある程度行うことが可能である。 - 人に見られている状態で字や絵を書くことにひどく抵抗があり、
見られているだけでなく、いずれ見られる資料に書くことすら不可能である。 - 人前での食事では、人が隣にいるだけで手が震え、気の知れた間柄であっても、
食事がのどを通らず普段の半分も食べられない、味もわからなくなる。 - 会社で、仲間内での練習ですら、お茶出しが手足の震えで出来ない。
- 会議中、お腹が鳴ることを異常に怖がった末、始まる前から緊張で
冷や汗が止まらず、動悸、息切れをし、手が震え体が震えだしたりするので
会議前に過食をするようになったが、それでも緊張で逆にお腹が鳴るようになり
あまりの緊張感と苦痛で、席にいられず途中退室したこともある。
と、このように、ほとんどの項目に当てはまっています。
ほんと、そうでない人からすると、なかなか理解しがたい感覚だと思います。
だって、「考えすぎだよ」って、ものすごーく、いろんな人に言われて、自分でもそう思ったけれど、どんなに考えないようにしようと試行錯誤しても、いつもどうしたって考えてしまって、勝手に体が反応してしまうんです。
何より、「自意識過剰みたい」って、一番嫌に感じているのは、自分自身なのです。
考えてみた、社会不安障害(SAD)の原因
でも、こうなったのはなんでかなぁって、思いました。
「障害」とつくので、「病」ではない以上、生まれ持ったものだよ、って言われることも多いですし、障害とはそういうものなのだと、あちこちに書いてあります。
ですが、わたしは、あくまで個人的に、物事にはきっと何らかの理由がある、と考えてしまうタイプなんですよね。そのため、思い出せる限りで最初に症状が出たその場面を思い出してみたら、それはコンプレックスや恥などに繋がっていることが分かりました。
ケース①「絵を描くこと」について
幼少期、絵心がないことへのコンプレックスから、いつもいつも「絵がうまくなりたい」と思い過ぎたことがきっかけだったように思います。
え、それだけ?って思いますよね…><
でも、それだけ、なのです。
それだけだけど、人より強く強く、そして、長く、四六時中思いすぎて。その結果、絵を描くハードルは上がり、それはいつしか「恐怖」となりました。
小さい頃に芽生えたその思いは、大人になっても消えないものになってしまって。ただただ、一心不乱に、そして無心で練習だけしていれば、苦しい気持ちになることも、結局書けなくなることもなかったのになぁって、今では思います。
でも、そうすることができませんでした。
ケース②「電話やお茶出しや食事」について
新入社員の頃の話です。
同期生が1/3以上辞める程の厳しい研修や、研修卒業後も先輩が後ろについて一言一言、マニュアル通りだったかを先輩と振り返り、違えば思い出してマニュアル通りの回答ができるまで何時間でもやり直させられるという環境でした。
しだいに、電話に出ること、何を言われるかわからないやりとりをすること、さらには典型的なマニュアル通りのやりとりまでもが怖くなり、電話をとると頭が真っ白になるようになり、そんな時にいたずら電話が相次いで、そういった時の「正しい対応」がわからないという恐怖から、ついには電話に出ても一言も発することができず、自分の社名と名前まで名乗れなくなり、結果、会社の電話に出れなくなりました。
また、「常に見られていることを意識した行動を」という、社会人であれば普通の教えを意識し過ぎた結果、人前で話すこと、物を食べることすら緊張するようになり、綺麗に食べなければと思えば思う程、手は震え、物をこぼしてしまい、綺麗に食べることに集中するあまり、味がわからなくなり、次の一口を口にするのが怖くなり、量も食べれなくなりました。
その時わたしは企業の受付をしていたのですが、ろくに電話にも出れず、手が震えてメモも取れず、お茶出しも手足の震えで練習すら出来ない、という状態で受付の業務をまともに行えるはずもなくて、結局その業務から離れることを余儀なくなりました。
けれどその会社を辞めて次の会社に移っても、結局前の会社で教わったこと、以前の会社での決まりに縛られたままだったわたしは、次の会社は電話対応のマニュアルもない会社なのに、「前に習ったマニュアル通りにやらないと」「綺麗に食べないと」「人に見られていることを常に意識しないと」というある種の呪縛から離れることができなくなり、通院の結果、「社会不安障害」と診断されました。
自分自身の問題だけれど、自分で解決できなかった。
社会不安障害になったこと、きっかけについて、こうしてあげていると、お友だちのせい、前の会社のせいにしているように見えるかもしれません。
でもわたしは、決してそう思っている訳ではなくて。
だって同じ環境にいても、社会不安障害にならなかった人は大勢います。同じクラスの他の子も、同じ職場の同僚も、社会不安障害になりませんでした。
わたしの大好きな同僚は、
「人前でどうなんて、そんなこと気にしてらんないよ。好きなもの好きに食べて、その時思いついた一番いいと思う対応をすること、それの何がいけないのかな。この前なんか、まるでマニュアル通りですって感じね!ってお客様に怒られたよ、それって結局、人を不快にさせてるじゃんね!」
と言って、自分が信じたことを貫きながら、今でもそのお仕事を続けています。
「マニュアル通り」と教える企業に、心のこもった対応なら少し違ってもいい!と言えるその子はとても強いなって思いますし、社会人として云々の前に、人として、「気持ちが大事」って声にできるの、素敵だなぁって思うんです。
小さな違いを指摘されても根本の意思が揺らがないその子には、その子なりの「誠意」があると思うし、実際、先輩には怒られても、お客様から、「あなた面白いし素直だし、気持ちが伝わってきて好きよ」って言われているのを見て、うらやましく、同僚として嬉しくも思っていました。
その子みたいに思える性格だったらきっと、障害にならなかったのかなと思います。
だってその子は「あーストレス溜まるー学生時代に戻りたい!」と言いながらも毎日健康に過ごしていて、いつ会っても、笑いながら私を呼んで抱き着いてきて、「nanaー会いたかった!すごくストレス溜まってたの!nanaはわたしの癒し!」なんて、どこであろうと元気よく、感情いっぱいにぶつけられる人なのです。
自分の気持ちを素直に、言葉や態度で表現できること。
本当に、尊敬します。
社会不安障害、私なりの克服方法。それは、「それでも自分として生きていく。」
でも・・・
どんなにその子を尊敬しても、うらやましがっても、わたしはわたし。
ある日突然、自分の気持ちをはっきりと言葉で示すことができて、感じているいろんな感情を気持ちいいくらい態度に出せるようになる、そんな日を、小さい頃からずっと待っていたけれど、私はそのまま、私でした。
それが嫌になった時もあったけれど、自分の性格を憎んだ時もあったけれど、そんなわたしだって、その子と同じように、生きていて、もがいていて、今まで必死に積み重ねてきた自分の性格や考え、感じ方、性質があって。
自分では気づけないけれど、その子に会えばいつでも「nanaはそういうとこほんといいよね、うらやましいし大好きだよ!」なんて、尊敬している相手に、そんな風に言ってもらえるなにかがあったりして。
だから、よく言う「自分を愛してあげる」ことまではできなくっても、ここまで生きてきたのだから、少しくらい「許してあげても」いいのかなって。
だって何十年って積み上げてきたもの、一瞬にして、一日にして、全部壊してまた新しく築き上げるなんて、できないことだと思うのです。そして、それが、自分自身ってことかなぁって。
だったら、認めたくない部分も、嫌になっちゃうところも、それは自分がその時、その瞬間をもがいて生きていく為に、必死に築き上げた結果だから。
例えばわたしだったら。
本当に、素直な気持ちですが、親から虐待なんか受けたくなかったし、いじめにだってあいたくなかった。セクハラだってパワハラだって、本当に怖くて、辛くて仕方なかった。逃げたかったけれど、逃げたって言われることも怖くて、弱いのに虚勢張って、正直、なんで自分ばっかりって思ったことも、憎んだこともありました。
その対象は親だったり、いじめっ子だったり、社会だったり、世界だったり。だけど、そんな選べない環境の中で、必死に生き延びる為に、今の障害を抱えて、今の性格のわたしが、出来上がったとして。だったらそれは、自分が今まで必死でもがいてきた証拠なのに、それを否定したら、結果的に今、生きていることを否定してしまうことで、あまりに辛くて、じゃあ途中でやめたらよかったんじゃないかなんて思ってしまったりして。
でも、それでも頑張ってきたのだから。
例え誰かに非難されたって、その時の自分なりの、精一杯だったんだから。それだけは、事実だから、だったら、もう、責めずに許してあげるのも、いいんじゃないかなぁって。
たとえば、「自分はなかなか頑張れない」と思っている人だって、「頑張らなくちゃいけないのに」という根本の考えがあるからこそ、「自分はそれに対して頑張りが足りない」という考えになってしまうのかな、と思うと、「もっと頑張らないといけないのに頑張れない」と思うこと自体、もう十分頑張っているシルシではないかなと、わたしは思うんです。^^
どうあがいたって、人って死んじゃう時は、簡単に死んじゃうものです。運命にはあらがえなくて。ある日突然、重い病気になるかもしれないし、もっと言えば、事故や事件で、明日、命がないかもしれない。だったらわざわざ、自ら命を絶たなくても、誰にも理解されなくても、今まで自分なりに頑張ったこと、認めてあげてもいいんじゃないかなって。
そうしたら不思議と。障害や、うつ病になったことまで、これでよかったんだ、こうやって振り返るのに必要な時間だったんだ、って自分自身だけでなく、病や障害、休んだ期間までも許せるようになりました。
深層心理は、誰かに認めてほしい、という欲求?
誰だってきっと、今の自分とは異なる理想があるのではないでしょうか。
あの子は可愛いから、キレイだから、あの子みたいな顔になりたかった。性格はあの子みたいな性格がいい。あの人みたいなスタイルがほしかった。男の子でも、かっこよくて性格もいい、あいつみたいになりたい!なんて、そんな言葉を耳にしたことがあります。男の子もきっとそうなんですね。
でもその欲望って結局、行き着くところは、みんな同じ「承認欲求」と呼ばれるものなんじゃないかなぁって思うんです。
承認欲求。つまり、誰かに認めてもらいたい、自分を認めて、許したい。その為に、理想の顔、体、性格、環境があって、なりたいなぁって思って。そしてそれは、「なんで自分はこうなんだろう」なんて、自分を責める元凶にもなってしまったりすると思うんです。
だからこそ、難しいことだけれど、「自分はこのままの自分でいい」って、周りにも、自分でも、認めてあげられたら、認めてもらうことができたのなら、それが、自分が変わるきっかけになるんじゃないかなぁって、感じています。
社会不安障害を認められたからって、その瞬間から障害が消える訳ではありません。社会不安障害だけでなく、抱えているうつ病も、今もずっと、治療中です。少し良くなっては、ぶり返したり。
でもそんな自分も自分なんだって思ったら、前よりずっと気持ちは軽くなって、漠然と、遠い未来には、ポジティブな気持ちでいられています。
たぶんそれは、この時期を経験したからで、DVやいじめも経験したからで、そんな自分をまるごと、「しょうがないよ、自分なりに頑張ったもん」って、認めて、許せるようになったからだと思うんです。
誰だって、恵まれない環境に置かれたら、理不尽な目にあったら。自分以外の誰かを、いいなぁって思ったり、その環境を恨んだり、したくなくても、どうしたって、一度はしてしまうと思います。その感情も、あなたという人格形成の中で、必要な感情かもしれません。
だけれどそれで、あまりにも辛くなってしまったら。
それでもあなたはあなたで、いいんだよって、自分を認めてあげる為に、認めてくれる人に甘えてみたり、頼ってみたり、助けを求めてみたりして。人から、「それでも、あなたはあなたでいいよ、生きていていいんだよ」って言われることって、とても安心できるんじゃないかなって、思うんです。
実際わたしは、自分を嫌い責め続けて病を患い、嫌々受けたカウンセリングで自分という存在を認めてもらった時、泣いてしまうほど嬉しかったです。こんな自分でも、生きていていいんだって、思えました。そこから、今のように、自分自身を許せるようにまでなりました。
うつ病になって、「履歴書に空白期間」なーんて言われるかもしれなくても、それはわたしにとって大切な空白で、この時期に本当にいろんなこと、学んで、吸収して、自分と、心と、向き合えてるなぁって、思うのです。
自分を許すって、とっても難しいことですよね。
こればっかりは、なかなか、頭での理解も、心での実践も、難しいんじゃないかなぁって、思います。とくにわたしと同じようにコンプレックスを持っている人は、なおさらだと思います。
でも、「人に許された経験を持つ人」は、きっとその経験のない人より、自分を許すこと、少しはやりやすくなるんじゃないかなぁって、思うのです。
実際わたしは学生時代、親からも、友達からも、自分という存在を否定され社会人になるまで、許されないまま、自分でも許せないまま生きてきたけれど、たった一人、カウンセラーさんからの「あなただって、生きていていいんだよ」という言葉をきっかけに、自分という存在を、許せるようになりました。
その為には、わたしにはカウンセラーさんが必要だったし、この期間が必要で、そしてきっと今もどこかに、「認めてもらうこと」を必要としてる誰かがいて。だから、自分のことも、その誰かの事も、認めて許すことから始めたいって、そう思うのです。自分を許すことはきっと、その誰かにも繋がっているから。
自分を認める為に、認めてくれる「誰か」と出会うこと。
わたしの場合、自分を認められるようになったきっかけは、カウンセラーさんであったり、お医者様であったりしました。でもそんなにみんな、カウンセリングに通ったりなんか、してないですよね。そんな時に、ココトモを利用してほしいななんて、わたしは思うのです。
辛い時、苦しい時って、PCで言う「感情がフリーズ」してしまっていて、なかなか、自分と違う意見を受け入れるまでの準備ができていなかったり、違う意見が余計に辛くなってしまう時も、きっとありますよね。そしてそういう時は、余計に「まず今の状態の自分を認めてくれる」ことを、心のどこかで求めているのかもしれないと、わたしは思うんです。
でも、なかなかそういう感情を素直に話せる相手がいなかったりする時は、ココトモを利用してみる、というのも、いいのではないかなって。ココトモには、きっと、あなたを「認めて」くれる、「許して」くれる人が沢山いると思うのです。だって、あったかい場所なんです^^
そしてわたしも、そういう方の、自分を認められるようになるお手伝いが、少しでもできたらいいなって、思って活動しています。…なんかココトモの宣伝隊のようになってしまいました><(笑)
これを読んでくださった方の気持ちが、少しでも楽になったり、「あぁ、自分も生きていていいんだ」「自分は十分頑張っているんだ」なんてご自身のことを認めてあげられるようになってくれたら、嬉しいな、と思います。
健康な人も、どんな人だって、少し気持ちが暗くなってしまう時、ありますよね。そうしてそれが続いてしまうと、辛い気持ちになってしまうことと思います。そんな時、気軽に相談できる窓口として、わたしのブログやココトモのサービスがお役に立てたら嬉しいです。^^
ココトモでは、webはもちろん、リアルでも、あたたかい繋がりが生まれるサービスがたくさんあるので、もし良かったら「ココトモのサービス紹介」ページを見てみてくださいね。今辛い思いをされている方、悩まれていらっしゃる方が、少しでもココトモのメンバーさん達のあたたかさに触れて、ちょっとでもその気持ちが緩和されたらって、思っています。
また、最後になりますが、今まさに社会不安障害で悩んでいる方へ。私が読んで、気持ちが軽くなった本を紹介して、締めくくろうと思います。ひとりで自分を責めてしまっている人や、だれかに話したいけど人を頼るのが怖い人には、ぜひ読んでほしいです。
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