「あたりまえ」って何だろう?

 

私は最近、特に思うんですけど。

「当たり前」という言葉がありますがいったいなんでしょうね。

私は子どもの頃、特に学校でなんですが。

学校に馴染めない、みんなと同じようにできない。

そんな子どもでした。

例を上げると。

・朝礼で真っ直ぐ並べない。

・給食を食べ終えるのはクラスで一番最後。

・宿題を忘れて?わざと?ほとんどやってこない。

・当然、夏休みの宿題も全部終わらない。

 

当たり前のことができない。みんなはできるのに、なんでできないんだ。

そう学校の先生に言われていたような気がします。

今の学校がどうなっているのかは分かりませんが。

私が子どもの頃は、みんなと同じことができないと。

なんでできないんだ。と頭ごなしに叱られていました。

そして、廊下にバケツをもって立たされたり、正座をさせられていました。あっ、これはもうないですね。すみません。古い人間なんで。

でも、不思議なんですけど。

私以外にも他のクラスの子もかなり、同じような目にあっていたような気がします。

 

今、思い返すと自分ができないのがいけなかったのかもしれませんが。

頭ごなしに「なぜできない」「それじゃ上級生、大人になれない」などど。ひどい言い方です😢

なぜと言われても、子どもですから分かりません。

今だから言えるのですが。

できないことに対して、あまり考えてくれなかったような気がします。

どうすればできるようになるか。一緒に考えたりしてくれなかった記憶があります。

今の学校はできない所ではなく、できる所を伸ばす教育なんですよね。

そういえば、褒められた記憶がほとんどないかもしれません。

ちょっと前まで、私の中にあったんですけど。

そうあるべきだ。~しなくてはならない。

べき思考ですね。

こころの学びをすることによって、小さい頃のことが突然蘇ってきたような気がします。

そして、褒められた記憶があまりないので、自分のことを認めるということもあまりよく分からないような気がします。

とにかく、いつも何かしら先生に怒られていました。

大人になって。そして、子どもに関わる仕事をするようになって、つくづく思いました。

 

その人にとっての当たり前はその人のものであって。

当たり前はその人のものです。同じではないはずです。

 

みなさんも。

ご自身にとっての当たり前。その人にとっての当たり前。

どうかそれを認めてあげてください。

それが、価値観や存在感を認めてあげることなのかなと、私は思います。

昔の教育方針がそうだったかもしれませんが。

みんな同じではなく。

その子にあった対応を。先生にして欲しかったなと思います。

ですので、私は未だに学校の先生に対していいイメージがありません。

今は、私が子どもの頃より、子ども、大人を含めて。多様性を認める社会にはなってきたとは思います。

でもまだ、生きづらさを抱えている人、声に出して発信できない方もいるのかなと、私は思います。その方たちが生き生きと生活できるように。一緒に何かを考えたり、行動できたらなと、私は思っています。

ここまで、私のコラムを読んでいただきましてありがとうございました!

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