てこの日記『杠閑話 01』
visibility181 edit2023.11.20

「ゆずりは」の漢字表記は、幾つかあり、そのうちの一つに「杠」という字があります。
この字の別読みで「てこ」と読めるのだそう。
筆名の由来とは異なるのですが、音韻が悪くないのと歳相応かとも。
で、杠閑話。ようは、てこの無駄話です。
「春耕秋収」にて、別に小難しい話をしたいわけでもなくて、若い方々の日々何が起きても新鮮(良きにつけ、悪しきにつけ)そういう日々を綴ることが出来れば、それこそ日記なのでしょう。
夜散歩は、まぁリハビリのようなもので、何か新たな発見だとか、気分転換だとかでもなく、ちょっとした運動なのでしょうか。ひと作業終えてだと少し早くて夕刻、翌日多少遅くてもいい場合だと、夕食後から出かけることになります。
多少コースタイムによって、道を少し違えますが、凄く端的に言えば「遊歩道を通って、川岸に出て河口か海まで出て、帰るだけ」のお話。夜道で明らかに変化して見えるのは、お月様だけなので、そのようなことだけ。
まぁ日中が全て忙しいわけでもなく、いずれその折の話もできれば・・・。
今の所の夜散歩。普段と変らない夕景、夜景を文字にしたら・・・。そんなある意味自分での習作みたいな事もあります。
夏に限らずなのでしょうが、晴れ渡った後の夕空では、陽が落ちる時に真っ赤に染まった空に出会います。で、少し曇って天候が良くなかったけれど、夜にかけて天候が良くなるとあれば、残った雲を薄く茜色に染めます。どちらも夕焼けなんですが、同じなわけでもなく、それを見る自分の気持ちも、変わっているような感じでしょうか。
それ故に、「夕方散歩に出た、夕焼けが綺麗だった」とはしたくないわけです。拙い言葉で、どこまで伝わるかはわかりませんが。
また、秋の季語に星月夜というものがあります。月や星がいっぱいに輝いてともとれそうですが、古書に「闇に星の多く明るきをいふなり。月のことにはあらず」とあります。言葉って書き手だけでなくて、読み手の感性も育てると言うか、使わないと無くなっていきそうな言葉なのかなとも。時代に即した言葉を生み出し、上手に今を伝えるのもよいでしょう。でも、継がれた言葉には、そのものを表す想いのようなものも感じられて、だからこそ、その想いも届けられたらなんて、それで使ってみたくもあります。
残念ながら、星月夜となるほど星が見えないので。というかペテルギウスやリゲルも見えることなくて・・・。いくらなんでもね。
まっ、そんな感じですので、ただの時間と行程の表現となったら、語彙が尽きたか、呆けたかどちらかですか・・・。
読んでくれた人へのメッセージ
裏話というか、ほんとに無駄話です。お目汚しに・・・。
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