てこの日記『春耕秋収 - 其の十四 秋分点』
visibility74 edit2024.09.23
執筆時点で、まもなくあと10分程。太陽黄径180度 秋分点(9月22日 21時43分)を迎える。
いつものごとく川べりの散歩道の堤の上での休息と共にその時を待つ。
さりとて、何の特別なことはない。思いはともかく、実態のそれは見えないのだから。
今日という日、昼ごろまで雨が残った。午後より快方に向かうという予想であったが、すぐに青空が迎えてくれるでもなく、重い雨雲の余韻をはらんだ、どんよりとした雲が広がる。
午後から所用で、少し出向いた。所用を終えたのは、まだ陽が高くあったが夕刻とも言える時間。帰宅して何かを始めるには少々遅く、なんとも中途半端な時間。
ただ意味もなくとも、秋分点は空を見上げていようかと。それは帰宅して、出直してでも叶うものなのだが、どこでと思ったときに、やはりいつもの川べりで過ごすのがいいのかと。
夜間徘徊なれば、河口の休息所にはおそらく着かないだろうが、まだ陽が残るこの時間で、出先からなら、河口まで、うまくすれば海までと行けるかと。ぼんやりと思い巡らせ、すでに足は散策路へと向かった。
未だ全体としては、重い雲が残るも、行く先の空は少し明るく。西方は所々明るさを示すが、概ね曇り空。重い雲がただ一面に広がるでなく、幾層かに重なるようにして、その上に白雲。そして、その切れ間からは青空も覗く。なんとも微妙な空気感が漂う天候である。
風が渡り少しずつ形相は変えていくが、この一団が纏まって移動している感じ。
陽が落ちる頃、まだ重い雲が多くを占めている。が、少し開けた空の白雲が、一瞬輝きを増す。沈みかけの陽光がそこにあたり、その周りだけ輝いて照らし出されたよう。見渡すと、所々開けた空には残照が写り、急に朱に染まった。
時間にすると、数十分はあったろう。が、刹那に思える程に、刻々と色を変えたかと思うと、いつしか宵闇に包まれた。
さして遅くもない時間。だが辺りは夕方の余韻も残さず夜の姿に。季節が進むのを感じるのは、こうした時間だ。
夜の川辺は、いつもと変わることなく静かな時間をくれる。河口まで、その静けさと街灯りをともにして行く。しばらくして、いつも休息所としている河口の橋の袂まで来た。足取りは軽かったのだろうか、途中あまり休むことなく、ここまで来れたので少し長めの休憩。
秋分点を迎えるには、まだ間がある。ここで待って迎えてもよいが、家路には中間点を超えたくらいのところ。海まで出て、そしてその少し先と。ちょっとでも家に近づいてから、それを待とうとした。海へ、そして支流の少し上流まで戻って、冒頭の時刻。
それでも、その時を迎えるにはまだ少しあったので、川面を眺めつつ下書き程度。
さて今宵の月は、雲に見え隠れしながら、朧に西の空に浮かぶ。十五夜を過ぎて後、一週間近く。今年は秋分点に近い時間から昇り始める。秋分点時点で、低層に雲が残ると、やっと視認できる位の高さか。
今宵は、陰陽の陽が主役。その月を照らしているはずの、見えない地平の先を月を背にして思う。
少し異常な気候が続くとて、違わず季節はいつしか巡って行くものだと。
夕月夜 心もしのに 白露の置く
この庭に こほろぎ鳴くも (湯原王 ゆはらのおおきみ)
久々に、短歌で締めてみました。秀歌は多いのですが、ちょうどの季節感のものを
探し選ぶのは、なかなかに難しく。
白露は二十四節気とすると、秋分の一つ前。
川面に響く虫の音、朧月。 珍しく、ジャストフィットでしょ。
読んでくれた人へのメッセージ
昨年の秋分点は明け方で、ほぼ対岸くらいで迎えました。
小雨まじりで、晴れていれば、明けの三日月が見える頃だったかと。
秋分点を迎える折に、外に出向くとあまり良い天気では、迎えてくれないような。
今年は、目まぐるしい天気だったけど、そのときには朧月が見えたので、良い天気だったと言えるのでしょうか。
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