てこの日記『春耕秋収 - 其の十五 望月と十三夜』

夜半は曇りで明け方から雨が降るらしく、夕刻に買い物ついでに見上げた空は、すぐに雨を呼ぶほどにないが、少しだけ重たい空気を纏う。
今宵は望月である。一面の雲の中にでも、少しの切れ間があれば、その姿を覗かせてくれるであろうか。
夕刻の空には、その気配は見られなかったが……。

ちょっとした作業は思うように進まず、夕餉を過ぎても何かとやっていた。日付が変わる頃、眠りにつく前に望月を眺めようと外に出た。夕月夜と言えるほどに望月の頃なれば、すでに浅い時間から昇っている。けれど、それが叶わなかったので、果たして眺められるものなのか。

一抹の不安もありつつ、ずっとこの日所々の対応に追われていたので、眺められずとも気分転換にはなるのかと。
自宅近くの遊歩道に出たが、やはり空はほぼ一面の曇り空。大方の予想通りであったので、夜の空気を感じたところで帰宅しようとした。雲にほのかに光がさして、ぼーっと照らされている感じがみてとれた。幾重にも層をなしているようで、薄雲をある。風は穏やかだが、ああ、これはもしかしたら。さすがに遠出するような時間ではないが、遊歩道をちょっとだけ歩いてみることにした。

雲間から陰りのない光を照らすことはなかったが、薄くベールを纏って光を放つ。ぼんやりだが、それと判る望月である。
ずっと、そのように夜道を照らしてくれたわけではなく、短い時間で見え隠れしていたが、時折みせる望月の姿と、薄雲を纏った柔らかい光が届くと足を止めた。僅かな時間ではあったが、今宵の月も印象的ではある。
そういえば、近き月ではるはずなのだが、その印象はなかったか。

遡って、二日前の話をしよう。
今宵が望月。そして八月十五日から、ひと月。つまりは九月十三日、十三夜となる。

秋の月 もの思ふひとの ためとてや
   影に哀を 添へ出づらむ

まだ陽の残る夕刻の空に、望月に僅かに満たぬ月が、ぼんやりと浮かぶ。
ああ、後の月だ。その折は夕餉を少し早く済ませて出た。陽が落ちるのが早くなったなとつくづく思う。さして夕餉に時間をかけたわけでもないのだが、浅い時間に夜の帳は降りてすっかりと宵闇につつまれる。

日中から晴れ渡って宵闇が深くなるほどに、ぼんやりと浮かんでいたはずのそれは一層はっきりと輝きを増していく。行く先の道標とも言うべきか、散策の方を水先案内のように導く。川面に沿って歩くので、まさにその印象。
運河沿いから大きな川に至ると干潮となってくるのだろうか、いつもより水かさが少なく感じる。そして、穏やかに見えるのにゆっくりと流れは遡っているように見受けられる。少し珍しい景色だった。水かさがあれば、河口付近のそれは逆巻くように流れているようにも見える。それが普段の望月の頃の風景なのだから。

いつものように、河口で一休み。流石に水月とまでは言わないが、穏やかに遡る流れに、雲ひとつ無い空から明るい月が照らす。
夜風がひときわ心地よく、またここまで来ると多少の疲れも伴って、川面を見つめて長く休んだ。
そのまま海にでて、帰路に向かう。海も穏やかで揺れるさざなみに月が映った。

優劣ではないが、すっと雲を纏うことなく照らすそれは、ここ数年では初めてかと。
家路の方に進むにつれて、そちらは雲がかかっていたので、日付が変わる頃には、時折雲間に隠れてしまったが、煌々と輝く光に包まれての散策となった。

favorite読んでくれた人へのメッセージ

月は地球を楕円軌道でめぐるので、今宵の望月は「近き月」なのだそう。というより、どなたかのおっしゃったとおりスーパームーンのほうが馴染みでしょうか。

まあ魂鎮めというより、思索にふけるや悲哀の時季の感じなんですが。

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