てこの日記『春耕秋収 - 其の十三 八月十五日』
visibility103 edit2024.09.17
朝から所用、打ち合わせなど有り。で、昼少し過ぎに終了。
本日この後の予定は無し、早々に帰宅してもよいのだが、なかなか天気が良い。
打ち合わせは、いつもの散策の折に通る川と自宅の中間点より少し先。誘っているよななどと思いつつ、簡単に誘いに乗る馬鹿な奴。途中商店街を通るので、散策中の昼食を買い込む。
そして程なく、いつもの遊歩道に合流。行く先の空は、一面の青空。遠く南側が少し霞んだ感じもあるが、ほぼ全天が晴れ渡っている。気温も高そうだが、風がずっと渡っていて体感はさほど感じない。何が正解などと無いが、誘いに乗った馬鹿さ加減をも微笑ましくも思う。けして体調も優れていたわけではないと思うが、足取りは重くはならなかった。遊歩道を一時間半ほど歩いて大きな川に出逢う。そして出逢ったら南下して、河口へ海へと歩んでいく。
夜間徘徊なれば、場所によりけりではあるが、街灯のいささか多い堤の上の道を行く。今日は川べりまで降りて川に沿って歩いた。宵闇の中では足元が暗いのにまして、堤の縁に沿って雑草が生えているので、道幅の感覚がつかみにくい。珍しく今日は陽のある時間の散策なので降りてきた訳だ。とても清流などと言えぬ町中の川だが、風が渡って気持ちよく、係留されている釣り船もふわふわと揺らいで、呑気にくつろいで映る。そして空は真っ青。秋の少し沈んた空気をはらんだような、それではない。やはり夏の残暑か、そういう余韻を残す暑さを思う青空である。川を渡る風が、ずっと止まずそれ故に不快なこともなく、その風景を眺めつ歩く。宵闇の中では、川面に街灯が写り、流れの波間に揺れるだけなのだが、昼間のそれは、いつもの場所であるのに新鮮だ。
のんびりとだが、いささか普段より早くに、いつもの河口の休息所につく。夕刻近くあったが、陽が落ちるまでには、まだ間がありそう。
それなりの距離の歩きと、朝からの所用のために家を出た時間も少々早く。などと理由は、なんとでも付けようがあるが、要は休みたいだけ。河口故に川幅も広く、流れは逆巻くように上流に向かう。そう、そういう日だったのだ。
夜間徘徊と違い、早々の帰宅を考えずとも良い時間なのだ。で、堤に寝転がって川を眺めて時間を過ごした。あいかわらず、風が吹き渡る。心なしか強く感じるのは海風に変わったのか。気持ちの良い時間を過ごした
一時間程、のんびりと過ごしたか。空色も少しずつ沈んだ色合いになった頃、明かりの残る東の空に、淡く月が昇った。そう朔月が、新暦9月3日で、八朔日。それから十五日が経つ。つまり旧暦八月十五日。仲秋の名月、十五夜である。
自宅近くでは、東の空に昇りたての夕空に浮かぶ淡い月など、近隣のマンションに囲まれて見ることなどない。わりと遅くの時間に高く昇った頃に知るだけだ。そして西の空は残照でほのかに薄紅に染まる。様子を見届け、海へ向かう。ちょうど東西がすっと開けて見渡せる、そうした場所は南端の海にある公園。
僅かな移動でも、刻々と空色は移りゆく。海に出たときは、宵闇がせまって来た頃だろうか。西の地平から茜が残って、東の空からは望月が更に高度と輝きを増して海を照らす。
日なかと宵が交錯する微妙な時を、望月と残照の海辺の共演で彩ってくれた。
そんな感じで、いつも夜間徘徊を始める時間より、遥かに早くに海辺にいたのだが、たまには少しは早く帰宅しようかと、公園最寄りから公共交通で帰宅した。最後の乗り換えと降りると月は更に高く。そう遅くもならぬ時間なので、煌々と照らす月明かりを伴に歩き帰宅した。
読んでくれた人へのメッセージ
さて今の所、中秋の名月の記載がある日記は、ひろみんさんだけでしょうか。
昨年は、「花より団子」ならぬ「月よりおまんじゅう」で某所で盛り上がっていたようですが、お月見は難しいのですかね。
ちなみに、ここ数年、望月と十五夜重なっていたのですが、今年の十五夜は望月ではありません。明日、日中11時35分が満月。月齢は基本正午月齢ですので、明日の十六夜月が望月です。こういうのも間に合うと言うのでしょうか。
※ログインするとこの日記をフォローして応援できます