てこの日記『春耕秋収 - 其の十七 閉塞成冬』
visibility45 edit2024.12.09
タイトルは七十二候、閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)から。
日曜午前中、近隣でストレッチ講座があるというので出向いた。普段机上に向かっての作業が多いゆえ、何かしら機会を与えないと動かなくなってしまうもの。とはいえ、きついものはなく椅子に座ってのストレッチがほどんどなのだが。
その後、やらなければならない作業も山積しているのだが出向いたのをきっかけに、講座が終了した後そのまま散策に出た。
日中、日がまだ高いうちの散策っていつくらいぶりだろうか。なんとなく一仕事終えてから出かけるので夕刻から夜半の散策となるのが常なのだが。
この日、空には『もこもこ雲』が浮かぶ。今年、その雲をずっと探していたような感じだが、今日の雲は一番それに近かったろうか。川べりに出たところで空を仰いで祈ってみた。
それからいつもの散策路と大きく変わらないのだが、運河の水辺を避けて少し北側の道を行った。日中があるがゆえのちょっとした気分転換か。その先にもう一つの川に出会うのだが、北側の道を行ったので、その川に出会うところには水門がかかる。けして多くを見比べてみたわけでもないが、大きな水門である。
この日、風は穏やかだが少し冷たく、冬の到来を思わせる。けれど日向は暖かさを感じ小春日和である。川面も穏やかで日中にも機会を作って散策するのもいいものと思った。陽はまだ高くあったが、昼下がりも幾分過ぎて日差しはやわらかになる。そして青空のもと薄く月が昇る。空が澄んでいたのと、日差しの和らぎなど好条件が重なったのだろう、陽が残るときに見る月は宵を照らすそれに比べて穏やかだ。
いつもの河口まで着いたところで、南の空が朱に染まりつつある。昼夜が交錯するひととき、海に出るまではまだ少し日が残りそうだが、帳が降りるのもさして先のことでもないだろう。夜半の徘徊であれば堤上を散策するのだが、夕刻の陽が川面を照らして普段より綺麗に見えた。そこで川面近くまで降りて河口に向かった。海に出ると空はすでに茜に染まっていた。いつも来ているのにあまりこんな時間に散策することなどないななどと。
行く先の方角に、夜であればビルの明かりが灯るのがみえるのだが、まだ茜空のもと影が浮かぶのみ。そして普段漆黒の闇の空が広がるその場所に、円錐形の影がたたずむ。夏場は日中でも霞んでいてそれを視認することなどない。そして夜なれば無論のこと。しばらく方角的にも、そのシルエットの大きさから間違いはないはずなのだが、一瞬不思議な情景にあったような気がした。夕焼けに富士が映えて、海越しに見えていたわけだ。これも冬の澄んだ空気と、いつもと違う時間での散策での出会い。
ほんの少し違えるだけで、いつもの情景がまた新たな姿をみせてくれる。
陽が落ちてのち、川面に戻ると風が強くなった。もうしばらくは、夜間徘徊はお休みかなと、風に煽られて足早に帰路に向かうこととなった。
わが胸の そこひに沈めし 言の葉の
ほぐれてゆかむ 小春日和に 恒成 美代子
程々の距離の散策は、その情景とともに想いが反芻するような気がします。
底意に沈んいた言葉(想いも) 冬の穏やかな日には、ほぐれていくものなのでしょうか。
読んでくれた人へのメッセージ
撮影が主目的ではないが、コースタイムを残すのにデータロガーを使っていて、そのポイントに位置情報だけでなくて、写真も取り込んでいる。写真も上げられるのだが、出先ならともかく近場の散策だと場所が知れるゆえ。拙文で風景はお察しください。
ところで、小春日和は冬の季語。
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