ちーの日記『地雷を踏み抜かれた日』
visibility101 edit2024.04.08
昨日、炭治郎の嗅覚について書きましたが、ネット上でとかく言われているのが、炭治郎の『他人の(心の)弱点を確実に突く能力』つまり『地雷を踏む』力。
例えば風柱様(推し)に「良い鬼と悪い鬼の区別もつかないなら柱なんかやめちまえ!」と炭治郎は言います。風柱様は、鬼になった自分の母親を、自分の手で殺しているのです…。炭治郎…😭
誰にだって『言われたくない言葉』心の急所、地雷は持ってると思うのです。言ってはいけない言葉はあるのです。
親が子供に言っちゃいけない言葉と言えば、「産むんじゃなかった」「捨ててきちゃうよ」「お前なんかいらない」「ガッカリした」などでしょうか。全部私が言われていた言葉なんですけどね。
家族の言葉はしのぶちゃんが自分の体に毒を含ませていったように、耐性がついてきます。『また言いやがった』と。でも、仲間だと思ってた相手から不意に放たれる一撃はクリティカルヒットです。
専門学校を辞めて行く当てもなくやりたい事、進むべき道を探ってもがいていた19歳の夏、荒川の土手、高校の同級生と花火をしていて、彼女は私に言った。
「(私)って生きててもいなくても世の中変わんないよね」
私は何かを叫んで、浴衣で走った。帰りの電車できっと赤い目をしていた私に、前の席の中年男性が「お祭りか何か❓」と訊ねてきたのは覚えている。
それっきり彼女たちとは会っていない。連絡も取っていない。その日撮った写真は捨てた。彼女は今何をしているだろうか。ただ一つ確かなのは、生きているならおばさんになってる。それだけは確かだ。
封印して生きてきて、昨日ふと思い出し、考えてみた。
そんなの誰だってそうじゃないか。いや、天皇に何かあったら元号が変わるけれども(それに伴い色々変わる。仕事がちょっとだけ増えるかも)。
オオタニサンが銃でズドンとされたとして、しばらくはマスコミが大騒ぎするだろうが、薄情かもしれんが私の生活には何も変化は起きない。薄情。前勤めていた大企業のCMに出ていた俳優が急死した時届いた社内メールには『写真入りのノベルティはすべて処分してください』とあった。もうちょっと言い方ってもんがあるだろうよ、と思ったもんだ。
『言葉のナイフ』とも言うね。「それを言っちゃぁおしめぇよ」と寅さんが笑って言ってたけど、『顔で笑って心で泣いて』いたのかもしれない。あぁ、『男はつらいよ』って何が辛いんだ馬鹿野郎(過激)と思ってたけどそういうとこかな。今は男も平気で泣くけど。泣けよ。泣いていいんだよ。大人だって泣いていいんだよ。歳をとると涙もろくなるのは経験を経て心が傷だらけになってるのかもしれない。摩耗してるのかもしれない。アニメを見て泣くなんて若い頃の自分が見たらドン引きだ。
もし彼女と再会することが万が一あったとしたらなんて言ってやろうかと思ったけどやめた。彼女の言葉に囚われては負けなのだ。『あなた誰❓ ふふふ~ん♪』くらいの態度でいればいいのだと思う。そうなれる自分を、目指そう。
生きる価値のある人間と、自分を思えるように、なりたいのだ。
今日よかったこと♪
おはよう。よく起きたね。ダイエットを決意した! 間食やめようね。座椅子の後ろの『おやつ袋』は片付けよう。達成してから自分を褒めよう。食べてしまうのは埋められない心の隙間があるから。それを見つけていこう。今日は新しい服。よくお似合いです。春らしくていいんじゃない。胸を張って、会社に行こう。
読んでくれた人へのメッセージ
お読みくださり有難うございます。誰かを傷つける言葉しか吐けないような人は結局弱いんです。言葉の鎧で自分を守ってるんです。哀れな人たちです。傷つかないのは難しいけど、囚われないで。なにか言われたら、言い返せなかったとしてもせめて自分には「そんな事ないよ」と言ってあげてください。それすら、難しいけど。傷は、成長の証、戦った勲章。だと、思う。よ。
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