ちーの日記『貴重な写真』

 昨日の日記を投稿してしばらくして思い出したこと
 『…そういや私も交通事故に遭った事があるんだよな…』

 写真はその現場…これは去年Xで拾った写真なのですが、なんと40数年前の某駅から撮られたもの…よく撮ってた人がいたもんだと思うと同時に、私が目にする機会があったもんだと、巡り合わせを不思議に思う

 この写真の左に映っているベージュの屋根のお店、これがなんとまぁ、私の父が経営していた喫茶店なのです(Xではその横に停まってる車にばかり注目が向かってましたが)
 この中に若き日(ゆーて40代)の父がいると思うと胸熱

 その記念すべきオープンの日、写真右の魚屋さんの倉庫で、お通夜の準備が営まれていた(縁起悪)
 店を開こうと言い出しっぺの母は幼い私を抱いて野次馬に…

 父はカウンターに立ち、ちょっとばかし緊張しながら初めてのお客を待っていた
 そして、音を立ててドアが開いた
 「いらっしゃいませ」
 営業スマイルの父に、最初の客(❓)が言った言葉は

 「マスター! 奥さんと子ども、はねちゃった!」

 私を抱いた母はバックしてきた花輪を乗せた車にはねられたのだった…南無三(悲鳴嶼さん)…

 私が覚えてるのは、なんか写真には写っていない電気店のおばさんに抱っこされた事だけ
 母の膝にはその時縫った傷がいつまでも白く残っていた

 いや、縁起悪いにも程があるだろ…オープン当日に葬儀社の車にはねられるとか

 更に母は常連客だった近所の私立校のPTAに「あの学校大した事ないでしょ」なんて言ったり、父の留守中にぶよぶよのナポリタンを客に出したりして(客「お宅の奥さんのナポリタン、あれ食えないね」)、着実に足を引っ張り、喫茶店は5年で閉店した
 小1の大晦日の夜、父の新聞配達(喫茶店が赤字だったので友人の紹介でWワークしてた)のバイクの荷台に灯油のポリ缶を括り付けるのを見ながら
 『これが夜逃げってやつかな』
 と思った…

 父の79年の生涯の、たった5年間の、まぁ楽しい思い出もなくはない瞬間を切り取った写真と、令和になって出会うとは
 父に見せたかったし母にも見せたかった…けどもう二人ともいなかった

 写真の場所には今では高速道路が走っている
 面影なんか微塵も残っていない
 あの頃周囲は『道路反対』の看板がたくさん並んでいた(なんか鼻の黒いドラえもんの看板もあったよ)
 でも道路はできてしまったし、それに伴い母が貶したあの私立校も立派に移転した

 遠い、遠い、思い出です… 

star今日できたこと♪

お疲れ様…えっと、疲れながらも昨日絵を描き始めた…そして今朝シャワー浴びて濡れ髪のまま生ゴミ捨ててきた…重かった…そろそろゴミ袋買わないとね…昨日係長と楽しく話せた 会社は結構いい人だらけ 私は恵まれてると思う(去年半年くらい休んだのにクビにならなかったし) 今日もお仕事頑張ろうね💪🏻

favorite読んでくれた人へのメッセージ

お読みくださり有難うございます💖 『梅雨寒』って言葉は死語なのかい❓ ってほど蒸し暑い日が続いてますが、体調大丈夫ですか❓ 私はもうバテバテです…
昨日、4駅も電車乗り過ごしちまいました 間に合ったけど…うっかりです
こんな私ですが何とか生きてます…前に人参ぶら下げた馬が如く…人参は自分でぶら下げるのです🥕 ご無理なさらず💖

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