よしちゃんの日記『想うことに向かって』

今日も朝は割と早く起きれたように思う。それからのことはうろ覚えで、あんまり思い出せないけども、1時間ぐらいはそこそこ動けたんじゃないかと思う。

はっきり覚えているのは、割とすぐに力尽きて横になってしまったこと。体に力が入らなくなり、重力で地面に押し付けられているような感じになった。トイレに行くのも全身の力を振り絞るような感じで、今日はちょっといつもより程度が酷い感じだった。15時ぐらいまではそんな感じでぐったりと過ごした。結構まいった。

夕方からは少し動けるようになり、ジグソーパズルをやったり、お仕事に向けての練習をやったり、youtubeで動画を見たり、休み休み、それなりに過ごした。

在宅の作業の材料が無かったから、それを自宅まで持って来てもらった。何かのスプレーのようなニオイが強烈で、頭や鼻が痛くなり、呼吸も苦しくなり、脳が働きづらくなった。何とか対応できたけど、その後は回復するまでしばらく横になって過ごした。

今はどこにも通えるような状態じゃないから、何かをやるなら自宅でやることになるんだけど、特にやりたいこともないし、できることもあんまりないから、どのように時間を過ごそうか、手持ち無沙汰になることが多い。手持ち無沙汰と言っても、これだけ不安定な状態だから個人的な趣味のようなもの以外に手を出すことが難しい。

今まで無かったような体の不調もちょいちょい出てきているし、やることや得ることに気持ちを向ける感じではないのかもしれないなと思った。

それなりに何かをやったり得たりはしていくけども、流れとしても、やったり得たりではなくて、想うことに気持ちを向けていくことなんだろうなと感じています。

どういう想いが心にあるか‥。これからは、やり方や得たものに頼る生き方ではなくて、そのあり方で切り開いていくしかないのかなと思っています。

作業所から来た人が帰り際、僕に「(最後に)何かありますか?」と尋ねた。僕は「うん」と言い、部屋に戻って小さなお菓子を3つ手にした。

一つはその人に、あと二つは前に来てくれた二人の人に‥。そう思い、それをその人に手渡した。その人は今日初めて来てくれた人。そのお菓子を手渡した後、ちょっとだけ二人の関わりが柔らかくなったような感じがした。

僕は今までの人生で、こんな感じでお世話になっている人たちへ、気持ちを形にすることがほとんどなかった。自分のことしか考えられない状態だったんだろう。社交辞令も苦手だったし。自閉的だからというのも一つの言い訳としてはあるけどね。

多くの人からすると、僕のしたようなことなんて、取るに足りない当たり前のようなことかもしれない。だけど僕にとっては、それはとっても大きなこと。

何かをしてくれたから、何かを得たから、そういうところもないわけではないけども、それよりも、その関わり自体に気持ちを向けた僕なりの表現だった。

その小さなお菓子は、こういう時のために買い置きしてあるもの。今はこういうことぐらいしか思いつかない僕だけど、ちょっとずつ変わってきてるなと思います。

世間を眺めてみると、多くの人は、僕からしたらとても大きなことをやっているように感じます。僕が毎日やっていることなんて、比べてみると本当に本当に小さなこと。仮に変化があったとしても、本当に本当にちょっとしたもの。

だけど、僕はそれでいいんだ。僕の人生の目的は、生き延びることでもなく、得ることでもなく、成し遂げることでもない。僕の目的は何もない。何もなく、何事もなく、何でもなく、何かを想い過ごして行こう。

star今日よかったこと♪

日記を書いた。

洗濯をした。まいりながらもそれなりに過ごした。

お仕事に向けてちょっとだけ動いた。

自分を想った。

お菓子をあげた。来る人に向けて表札を作った。

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