蒲公英の日記『ADHDかもしれない長男について①』
visibility86 edit2024.11.20
思えば、小さな頃からやたら忘れ物が多い子どもだった。中学になると、欠席することが増えた。
理由は頭が痛い、お腹を壊したなど。中学で
強制的に入る部活動(バスケ部)も、3年生になるころにはほぼ欠席。
田舎で生徒数も少ないので、男子の部活動は野球、バスケ、吹奏楽の3択。
部活顧問の先生からは
「長男君が来ないと、人数が足りなくて試合ができないかもしれない。何とか頑張って来てくれないか」
と祈るような電話もあった。
結局行けなかったし、私も長男の行きたくないと言う意思を尊重した。
迷惑をかけた他部員の生徒には申し訳なかったと思うし、顧問の先生にとっては、私は忌々しい保護者だったかもしれない。
その頃から、息子はADHDかもしれないとは思っていた。
けれど、そう診断されたとしても、結局は頑張って生きていかなければいけないし、本人が努力するしかないと当時は思っていて、病院などには連れて行かなかった。
中学、高校の担任の先生には、卒業まで本当にお世話になったし、良くぞ見捨てず向き合ってくれたと心から感謝している。
高校在学中に、引っ越し会社に内定が決まった。
選んだ理由は「寮があって家を出られるから」
長男は全く体育会系ではないし、なんなら肥満である。力仕事の極みのような仕事、絶対無理やろ、とは思った。
けれどやる前から決めつけるの良くない。
1年で辞めるかもしれないが、何事も経験だ。
結果は、
1ヶ月で膝を痛めて仕事に行かなくなる→
3ヶ月の休職をもらう→
復職してから、膝に負担の少ないであろう部署に移してもらうが、ここも全く出勤せず。
会社から家に電話がかかってきて、息子さんは1日も仕事に来てませんと言われた時、私は膝から崩れ落ちてしばらく立てなかった。
結局、半年で仕事を解雇になり、長男は家に戻ってきた。
その後は地元のバイトを転々とすることになる。
今日よかったこと♪
長男に風呂掃除を頼んで仕事に行ったら、ちゃんと洗っておいてくれた。
仕上がりは、まあ、色々と目をつぶろう。やってくれたことに感謝だ。
読んでくれた人へのメッセージ
自分の気持ちを整理するための自己満日記です。開いて読んでくださった方、ありがとうございます。
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