ごりらの日記

今日たまたまココトモを開いたら、メンバーの方のコラムが目に入ったので、読んでみると、とても面白かったので、帰りの電車で読み返したりしていた。

コラムの中では直近に放送されていたアニメを話題にしながら、それを観ている時間を、感覚した体験から、「アニメセラピー」と筆者の方が呼び、なぜその体験(物語を観ている間の時間)が「セラピー」と呼び得るのかが、筆者の方のこれまでの経験も踏まえて書かれていた。
”こころをほぐす”アニメとして筆者の方が紹介されていたものも興味深くて、後者の方で紹介されていた『ARIA』という作品は名前も知らなかったが、その作品にについての説明の部分で「大きな出来事は起きないけれど、人との関係が少しずつ成熟していく様子や、主人公がゆっくり成長していく時間が、 丁寧に積み重ねられていく。」というのがとても印象的だった。

自分の好きな作品で以前、日記にも書いた『ワンパンマン』という作品がある。
以前説明した時にはヒーロー系のアクションギャグマンガとして紹介したけれど、本当はこの作品の好きな理由は、キャラクターの成長が他の漫画とは少し違った伸び方をしていると個人的に思うところにある。
それが表れていると個人的に思うのは、「ガロウ」というキャラクターが登場する場面である。

物語の中でガロウというキャラクターは、自身をヒーロー側でも怪人側でもない「絶対悪」の存在として、手当たり次第にヒーローを見つけて叩きのめしたり、食い逃げしたりする「ヒーロー狩り」という反社会的人物として始めは登場するが、主人公であるサイタマに敗北した後から、そういったことを辞め、しばらくマンガの中で描かれずに物語が進んで行くのだが、ある時にその存在が明かされると、ガロウはまた悪事を働いているのかと思いきや、彼は日雇い労働者として引っ越し作業員の制服を着て登場する。

ガロウは、物語の中でも屈指の実力者で、自身の元ヒーロー狩りとしての強さを活かせば、何にも縛られる事なく生きていくことが可能なはずなのに、なぜかガロウは社会の隅でひっそりと地道に暮らしているのだ。

かくいう自分も、ずっと家に引きこもっていて、最初の一歩はアルバイトだった。
始めの頃はうまくいかずに、自分を強く否定することも少なくなったが、研修期間も終わり、初めて自分ひとりで仕事を任されたときは、ひとり作業をしながら涙していた。それくらい自分が働ているという事が信じられなかった。
その経験から、どんなに強いキャラクターであったとしても、社会の規範の中に入った時に、以前のように腕っぷしにものを言わせる世界から場所を変え、同じく初めの一歩を踏もうとする元悪役キャラにとても感動したと言う話である。

確かに人の成長は派手に描けばインパクトも出ると思う、しかし地道に少しずつ変わっていくことの方が、私たちにとっては身近かもしれなくて、尚且つそれを誰にも知られないという経験が自分の中にひとつ、ふたつあるという人は少なくないと思う。

脱線してしまったかもしれないが、とにかく今日見たコラムが個人的にとても面白かったということ、それによっていろいろな事を思ったという一日だった。

こちらのコラムを読ませていただきました。
『こころをほぐす、アニメセラピーのすゝめ』

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