人は変われる?キュウ×鷹れんの変化のはなし
visibility1,890 edit2016.06.04
こんにちは!キュウです。
今回は、コラボブログの第3弾で、鷹れんちゃんと、私たちが「変わったね」と言われた時の話を皆様にお送りしたいと思います。よろしければお付き合いください✨
はじめに
このコラボブログを書くにあたってまず最初に話したことは、「キュウと鷹れんって、共通点多いよね!」ということです。
家庭環境から生きがいまで、価値観や体験したことがすごく似ている。
こんなに似ている私たちだから、きっとなんでも書けるにちがいない!!
ということで、特にテーマは決めず、他愛ないおしゃべりから始まりました。
批判される言葉について
皆様、鷹れんちゃんが管理人を務める「ティーンズプレイス」というサイトをご存知ですか??
じつは、鷹れんちゃんって、すごいんです。自分が管理人を務めるHPで毎日ブログを発信していて、キュウはその内容によく共感しています。
今回は、キュウのコラボブログのお話をするにあたって、鷹れんちゃんが最近感じている「批判される言葉について」についての話から始まりました。
ちなみに、それについての鷹れんちゃんの価値観が書かれているティーンズプレイスの記事を2つピックアップさせていただくと、
この二つになります。
キュウは鷹れんちゃんのファンなので(笑)元々この記事を読んでいて、キュウも共感していたテーマのお話だったので、すんなり話が弾みました。
八方美人って、悪いこと?
「悲劇のヒロイン」や「八方美人」って、批判的な意味で使われることが多いように感じませんか??
キュウと鷹れんはそう感じました。
でも、それって、本当に批判されるようなことなのでしょうか??
キュウは前々から、「人は誰でも”悲劇のヒロイン”になっていい時間がある」と訴えたいと思っていました。(いや、最近は訴えてます笑)
悲劇のヒロインになって自分のために悲しむことって、悪いことじゃないと思うんです。悲しいことを悲しめないで感情に蓋をしてしまうって、やっぱり心に負担がかかるんじゃないかなあって思うんですよ。悲しみを悲しみとして発散することで癒える傷だってあると思う。それをすることができない人もたくさん居たりするのだけど、その中でも悲しみを悲しみとして素直に表現できるってことは一つの才能だし、それは素敵な能力だと思うから。
本当は、そういう時間はみんなに許されるべきことだと思うんです。(なので、悲劇のヒロインになる時間が欲しい人が思いっきり共感・肯定してもらえるような場所を作れたらいいなと考え中だったりもします。)
鷹れんちゃんも似た考えで、「八方美人」って才能だと思うんだよね、とお話してくれました。(以下、ティーンズプレイスの記事からの抜粋です)
相手によって態度を変えられる人は、相手のことをよく見ています。
相手はなにを求めているのか。どういう言葉で嬉しくなるのか。どんな態度で接すれば好いてくれるのか。
相手のクセや趣味嗜好を「観察」しながら、相手の気持ちを想像して行動する・・・ということではないのかなぁ。
・・・なんて、考えすぎでしょうか。
ともかく私は「相手によって態度を変える」ということをむしろ褒め言葉としてつかっていきたいです。
鷹れんちゃんの「八方美人」についての詳しい価値観は→こちら
キュウは、鷹れんちゃんのこの価値観は、素敵な考え方だなあと思います。賛成できない人もいるかもしれないけど、キュウはとても共感しました。だから、今回コラボしたことで、すごく心が癒されたんです。
キュウにとっては、八方美人も自分に素直な人も、悲劇のヒロインも悲しみをバネに頑張れる人も、みーんなみんな、素敵な人たちに思えるし、どちらも批判されていいような価値観じゃなくて、どちらも素敵な価値観だと思うんですよ。
その中でも、「八方美人」や「悲劇のヒロイン」を認める鷹れんちゃんの価値観はキュウの生き方によく似ているから「落ち着くなあ」と思っているだけで、いろんな価値観があっていいと思います。
いろんな価値観が混在する中で、自分の生き方に合った価値観に出会えると、今回のキュウのように、心が嬉しいと感じると思います^^
八方美人な人にはその人なりの人生が、自分に素直な人は自分に素直な人なりの人生があるし、悲劇のヒロインになれる人にはそれなりの人生が、悲しみをバネに頑張ってきた人にはそれなりの人生があります。それをどちらかが真っ向から「間違いだ!」と否定してしまうと、言われた方はやっぱり傷つきます。その悲しみが怒りや憎しみとなって現れて、トゲトゲな時間を過ごしちゃうかも。
キュウはそれを感じるときに、すごーく悲しい気持ちになります。
どうして”批判”するの??
では、どうして「批判」が起きるのでしょうか??
本当は、悲劇のヒロインも八方美人も、悪い意味に捉えることはないのかもしれません。でも、悲しいことに、そういう生き方の人たちを蔑みの目で見る人たちがいます。
もしかしたら、そういう人たちの中には「妬み」という感情も含まれているのかもしれないなあと、キュウと鷹れんは考えました。
「悲劇のヒロインなんて甘ったれてんじゃない。」
「八方美人なんて、人に媚を売るようで卑怯だ。」
そんな批判の言葉の裏には、こんな言葉が隠されていたりして。
「自分は一人だけで生きてきたし、自分には悲劇のヒロインになることは許されなかった。だから悲劇のヒロインになって皆に心配されているあの人が羨ましいなあ。」
「自分も皆に好かれたいのに、うまくできなくて悲しい。”八方美人”な人は、皆に好かれていて羨ましいなあ。」
逆に、悲劇のヒロインや八方美人たちは
「私も自分一人で生きられる人になりたいのに」
「私も人に素顔をだせるようになりたいのに」
と思っていたりもするんじゃないかな?
本当は、どちらの生き方も素敵でどちらもいい面はあるはずなのに、自分にはない部分に目を向けることでそれを否定して、お互いを攻撃してしまうなんて、悲しいことだと思います。
どんなに賛成しづらい意見でも、一度はその考えを認めて、心の中で噛み砕いてみるのもいいんじゃないかなあ。
なかなか難しいですけどね。キュウもできないことが多いけど。
違いを受け入れるって、難しい。
でも、それを越えられたら、もっと愛のキャパが広がるんじゃないかなあ。という気がしています。
キュウと鷹れんの違い
キュウと鷹れんは、とってもよく似ています。
考え方や価値観など、共感できる部分が多いから。
お互いのブログを読んでいても、共感する部分が多くて、本当に似てるね!って話になります。
でも、今回「変化」について話しているうちに、キュウと鷹れんの「変化したこと」について話をしていると、大きな違いが見えてきました。
鷹れんの場合
鷹れんちゃんは、最近「変わったね」と言われるそう。
「ココトモに入ったばかりの頃はイモムシだったね」って言われるそうです。今は蛹から蝶になるところに見られているようで。ココトモの初期メンバーからはよく「変わった」と言われるらしいんです。
そんな鷹れんちゃんが感じていることは
私は別に変わっていない
ということ。
鷹れんちゃんは元々「人が好きで、人と接するのが好き」な人だったそう。でも、両親や学校、その他の影響を受けることで、本来の自分に蓋をするようになり、殻に閉じこもるようになっていきました。
でも、ココトモにきて活動することで、価値観や物事の捉え方の幅が広がり、殻を破って本来の自分を認められるようになってきたことで、本来の自分が出てきたそうです。
それが、周りからみたら「変わった」というふうに見られてしまっただけの話で、自分の本質は変わっていない。と言っていました。
キュウの場合
キュウは、鷹れんちゃんとは真逆で、本当はコンクリートの壁の隅っこで「怖いよう・・・」といつも怯えているような人間です。
でも、その反面、社交的な人に憧れていて、「自分もあんな風な人になりたい」と思って、すごく頑張って人に話しかけるようにしました。人前で意見を述べることも、人の上に立って人を仕切ることも、そうすることで自分が成長できると思ったことはなんでも!やってみることにしていて、失敗も多いし何度も潰れたけど、回数をこなすことで慣れてきたのか、人と話しても体調を崩すことは少なくなりました。
そうして努力した結果、コミュニケーション能力がつき、ココトモハウスでの第一印象は「明るいね!」「よく笑うね!」と言われるまでに変わってきたけれども、本質はあまり変わっていなくて、やっぱり怯えているんですよ。
いつも「人が怖いよう」と心が叫んでいるのです。
だから、普段は暗いときが多いし、口調も、気をつけてはいるけれど、親しい間柄の人には幼い頃からの攻撃的な強い口調になっちゃったりするし、人と話すのに怯えて挨拶すらも出来なかったりする日もあるので、皆がココトモハウスで私に持ってくれているイメージと本当の自分がずれているように感じるときがあります。
鷹れんちゃんの言う所の「殻」の部分を、私は自分の力で築き上げてきたわけですね。
そして、その「殻」の中には、隅っこで怯える暗くて地味な私が居て。どんなに殻で自分を覆ってしまおうとも、本質的な部分が変わらない以上、私は人が怖い気持ちから逃れることはできないんだろうなあ。
コンクリートの隅っこで泣きながら怯える私は、きっとこれからも私の一部として生き続けるのだと思います。
変化ってなんだろう?
キュウと鷹れんの”変わった”と言われた(感じた)ときの話、皆様、いかがでしたでしょうか??
二人の話をまとめると、キュウも鷹れんも「殻に閉じこもる自分」と「人が好きな自分」の両方を持っていますが、鷹れんの本質は「人が好きな自分」、キュウの本質は「怯えた自分」、どちらを本質と捉えているかが全然違っていて、二人の違いを感じたのは初めてのことだったので、すごく面白かったです。
おわりに
今回は、批判される言葉の話と、キュウと鷹れんの変化のお話をお送りしましたが、いかがでしたでしょうか??
キュウは「変化は、基本的には人に求めるものじゃなくて、自分の中で感じるものなんじゃないか?」と考えます。
もし、誰かが私に「変わってほしい」と思ったとして、私を変えるためには、今の私の価値観よりも私に合った価値観を私の心に響かせてくれないと変われないんですよ。
人を変えるって、それぐらいエネルギーがいることで、どんなに「変わってほしい」と思っても、それが本人の心に響かなければ意味がない。
自分が変わりたければ変わればいいし、そのまんまが良ければ変わらなくていい。誰にも決められず、変化を自分で決められる世界が、私の理想のひとつです。
そして、他の人が決めた変化も「間違っている」と否定するのではなく、尊重できるようになりたい。
「私は私で好きにさせてもらうから、あなたも好きにしたらいいよ」
そんな優しさを身につけて居たいです。
また、他人から見れば「変わった」と感じることでも、鷹れんちゃんのように「いや、私は変わったんじゃなくて本来の自分が表に出るようになっただけだ」と思っている人もいれば、キュウのように自分を変えたくてコツコツ努力した結果「変わった」と思っている人もいます。
いろんな価値観や捉え方があるので、先入観を捨てて、本当の「その人」を知るように努力したら、少しは思いやりも持ちやすくなるのではないかなあ。
人に変化を求める前に、自分が変われるところはないか探してみやすくなるんじゃないかなあ。
「みんな違ってみんないい」
そんな人間関係が増えますように。
ではでは、また次回のブログでお会いしましょう(*´-`)♥
キュウ
- ココトモ「交換日記」を書いて繋がろう♪
-
今日の出来事、気持ち、頑張ったことをみんなでシェアする『交換日記』ができました。 自分の日記を書いたり、他の人の日記にコメント&フォローしたりすることで交流を深めることができます♪
交換日記はこちら