「母親」と「自分」が対等になれたとき、初めてそれを『自立』と呼ぶのだろうか

こんにちは、たけっちです^^

本当はこのあいだ書こうと思ったんですが、自分のなかでもまだまだ整理しきれてない部分もあって少し躊躇してました。

今回は私にとってとっても難題の、「母親」について。

このテーマを聞いて重いな、自分のトラウマがフラッシュバックしそうだ、辛くなりそうだ。そんな方は決して無理せず、読むのをやめてください。

たけっちとの約束だからねっ☆

 

さてさて。

『母という病』っていう本もでるくらいなので、たくさんの人が悩んでいそうな問題だなあなんて個人的には思ってるわけなんですが、我が家もあんまり”理想の家庭”ではありませんでした。

小さいころから、我が家のおでかけといえばパチンコ屋さん(当時もしかしたらバブルだったのかな?

2Kの家で父と母は別々の部屋、私は母親と一緒の部屋に寝ていました。

両親ともヘビースモーカーだったので、制服からタバコの臭いがすると先生に心配されたこともあります(まじめっこだったので吸ってませんヨ

物心つくころには、我が家の経済状況は悪化の一途で、それと同時に母のストレスも増加していきました。パニック障害を患っているのもあり、精神的にももともと不安定だったのでしょう。

母には、父に言えない秘密がどんどん増えていきました。

私はそんな母親の心身のバランスをとるため、父には嘘をつき、母の愚痴を聞き流す術を身につけ、時には母と共に弁護士に会ったこともありました。

私自身は、そうすることが当たり前でしたし、母に同情もしていました。どうしてこの人は、いつも不幸そうなんだろう。母を幸せにしてあげなくちゃ。私がいなくては、この人は生きていけないのだから。そう思っていたからです。

いま思えばちょっとアダルトチルドレン(「機能不全家庭で育ったことにより成人してもなお内心的なトラウマをもつ」という考え方・現象・人のことを指す:引用ウィキペディア)に通ずるところがあったかなと思うのですが、

子どものころからそんな生活を当たり前としていると、なんかおかしいな?ってなってても意外と気がつかないですし、逆に自分を責めてしまったりします。

でも大学生になって心理を学んだのもあってか、だんだんと私の中に疑問が生まれてきていました。

ひょっとしたら我が家は、おかしいんじゃないだろうか?どうして私ばかり、こんなに損をしなくてはならないのか?どうして母は、こんなに私が支えてきたのに、まだ不幸のままなのか?

どうして母は、親として私を助けてくれないのだろう

その疑問が大きくなるにつれて、見ないふりをしてきた我が家の綻びが広がっていくにつれて、私自身も心身のバランスをついに崩してしまいました。

 

うつ病になったのは、大学4年にあがって間もない頃です。

当時、母のいる実家にいることができなくなり、知人の家に2ヶ月ほどお世話になりました。

帰宅してからは、父に手紙を書き頼みこんで部屋を交換してもらい、おなじ箸を使うことにも気持ち悪さを感じるため鍋物などを食べるときは徹底して皿をわけるようにしました。

そのあいだ毎日、母を憎んで、恨んでいました。

小さいころ大好きだった母は、いつの間にか私の思い出とはかけ離れた母になって、そこにいました。

どんなに私が尽くしても、自分の人生を捧げても、母は変わりませんでした。

母は一人の、自分とおなじ弱い人間でした。

私は母のためにと思ってきたけど、ほんとは、また小さかった頃のように笑いかけてほしかっただけでした。

幼稚園の送り迎えをしてくれていたとき、洗濯物を干す母になにか一生懸命に話をしていたとき、私のために手作りのうわばき入れを作ってくれていたとき。

あのころから私は、人一倍お母さん子でした。

ただ、あの頃の大好きだった母に戻ってほしかっただけでした。

 

去年8月。

母の大腸がんが見つかりました。

手術をし、幸いにもいまのところは経過観察で済んでいますが、初めて”死”を身近なものとして感じました。

うつになってからずっと、母とロクに話もしてなかった気がしますが、去年はたくさん話をしました。

検査の前は、近くのお祭りで一緒に盆踊りをしました。入院中は、母の身体を拭きました。母に何年ぶりかの、手紙を書きました。

いまはまた、いつもの日常がもどって、相変わらず母とはうまくいかないストレスフルな生活してます笑

変わったことは、母は母でいまの人生を生きているんだ。私は私で、自分の人生、生きていいんだって少しずつ思えるようになっている気がすることです。

誰しもいつか、死が訪れる。そのことは知ってたけど、知らなかった。

だからこそいまを、大事に。大事にして生きていきたいですね。

弱くても強くても、かなしくてもたのしくても、忙しくても暇でも、生きる意味も死ぬ意味もわからなくても、まあとりあえず生きる。

生きてれば、なにかしらの変化がある。

 

そういえば、母の手術の前、食べ納め(じゃなかったけど全然…笑)に家族3人でラーメン食べに行きました。

夕日がきれいで、母もいつもよりちょっとおしゃれしたりしてて、ちっさいころパチンコ行ってたときのこと思い出して。

ほんと近所の、やすくて味もふつうなラーメン屋で、メニューもなんでもすぺしゃるってつけときゃいいっておもってんじゃねえかって感じの並びなんだけど、それがやけにおいしく感じて。

だれも人がいないから3人でラーメン屋のTV見ながら話して、笑って、ラーメンおいしいねって。

馬鹿みたいだけど、そのとき家族といて初めて心から幸せだなって思いました。

思えばパチンコ行ったり競馬行ってた頃だって、意味はよくわからなくても幸せだった。私にとっては、家族3人ででかけられればそれで幸せだったんだなって思いました。

まあこないだそのラーメン屋の横通ったら、もう潰れてたけどね…(思い出って儚い☆

 

今日はやけにしんみりした話になってしまいましたが、読んでくれてありがとうございました^^

家庭関係ってそれぞれ難しいと思うのですが、こんなやつもいるんだなーって参考のひとつにしていただけると幸いです。

雨だからって家から一歩も出ることなく2ℓの水をパートナーにしてずっとドラマ動画観てたら、いつの間にか周りに3本くらいペットボトルが転がっていて恐怖のあまりいまも動揺している、たけっちでした~^^

水って飲みすぎたらあかんのかな…(気にしてる

 

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