『歴史フォーカス 其の肆』
visibility509 edit2023.11.20
修学旅行で見た手紙
千円札の肖像で有名な野口英世博士、その博士の記念館に自分は小学校の修学旅行で訪れた事があります。
そこでは博士が幼い時に落ちて大火傷を負った囲炉裏を保存した生家があり、生家の柱には博士が故郷の猪苗代を旅立つ際に刻んだ決意文「志を得ざれば再び此の地を踏まず」があります。
そして生家とは別に近代的な建物が資料館として博士に関する様々な遺品が展示してありますが、特に目を引くのが母シカが息子の英世に宛てた手紙です。
手紙の内容はと言うと、アメリカに居る息子に帰国を促す内容で、そこには後年博士が「母が文字を書けるとは思わなかった」と言ったように、国家資格の産婆の免許を取る際にお寺の住職に習った文字を辿々しくも一生懸命に「早く帰ってきて下され」と何度も繰り返し書いたものでした。
お世辞にも上手とは言えないそれは、母シカの心情が伝わってくる名文で、見るものを感動させ涙すら誘いそうなききせまるものがあり、そこには母が息子の身を案ずる愛情が感じられますし、長年離れて暮らす事への寂しさ、一目息子に会いたいとの心情がくみとれます。
幼い息子に大火傷を負わせたのは自分の不注意とシカは生涯その事を悔いたと言われていて、きっと息子の邪魔をしたくはないと息子に会いたくても我慢していた事でしょう、しかし自分に老いというものが影を落とすようになり、気弱となったシカは居ても立っても居られずにあの手紙をかいたのだと今なら理解できます。
そして手紙を送った日より数年後、博士は母の願いを叶える為に十数年振りに帰国を果たします。
名声を得て立身出世した息子と年老いて昔の面影が薄くなった母、お互い十数年振りの再会は感極まるものがあり涙を禁じ得なかった事と思います。
特にシカにとっては息子が大火傷を負って以降、将来を悲観していくらかでも息子の為に将来の蓄えをとがむしゃらに働いてきた苦労が報われた瞬間だったのではないでしょうか。
博士が日本滞在中は取材や講演で忙しい合間に母シカと旅行もしていて、行く先々で博士の親孝行ぶりが話題となりそれを目にした人々が涙したといわれていますし、母シカにとっても「まるでおとぎ話しのよう」と息子との旅行を楽しんだようです。
博士がアメリカに帰国して以降、シカは博士と撮影した旅行の写真を眺めては思いでに浸り、心の拠り所としていたようです。
数年後、当時流行していたスペイン風邪に罹りシカは66歳の生涯を閉じます。
野口シカ、その生涯は貧困や息子の大火傷など苦労の連続でしたが、息子英世が立身出世してゆくとともにその苦労が報われてゆく幸せなものだったと思います。
もし博士が大火傷を負わなけばと、この文章を書いていて思いましたが、そうであったなら医師になろうとも思わず一農夫として一生を終えたのではないか、左手にハンデを負った事は痛ましい事ではあったが、それ故にハンデを克服しようと努力し続けそれが偉人野口英世を作り出した事は不幸中の幸いというべきだし、その影にはつねに母シカの存在があって、博士の成功は親子二人三脚で成し遂げたものだったのではないでしょうか。
野口親子の物語を思う時、自分にも母が居て日々自分を支えてくれて有難いと思いますし、自分は親孝行出来ているのかと疑問に思ってしまいましたが、いつかまた母と野口英世記念館を訪れれば幸いですね。
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