人を幸せにする言葉、人を傷つける言葉
visibility3,824 edit2016.02.23
私たちが毎日使っている言葉。
「おはよう!」「おやすみ」「ごめんなさい」「ありがとう」
全部、全部一括りの言葉です。
しかし、時に言葉はもろ刃のつるぎとも言われるように、優しく撫でててくれるような手になったり、突然牙を向けて噛みついてくる動物のようなものでもあります。
言葉は実体のないもので、本当に葉っぱのようにひらひらとつかめないもの。
だからこそ、言葉は奥深いのですが、その奥深さゆえにその本質を変えてしまうものだと言うことができると思います。
言葉は多重人格?言葉に隠された沢山の意味
葉音という私の名前は私の本名ではありません。
幼い頃から小説家をめざし、いつか小説家としてデビューするのなら、この名前が良いな!と思ってつけました。
「葉の音」と書くように、自分が書いている文字や発している感情が、葉っぱがひらひらと落ちて、その人の耳に落ちるように、という願いを込めてつけました。
この当時は大満足なこのペンネームですが、大学時代には言うのが恥ずかしくもなりましたが、意外とこの名前を気に入っていて、今でも使っています(笑)
という話はおいといて、私にとって、言葉というものはとても繊細で、美しいものです。
美しい日本語、とか、古風な言葉、とか、そんな専門的な言葉が好きなわけではありません。
自分の感情や思いを込めて発せられた「言葉」が美しく、好きなのです。
「言葉」が口から、また手から出されると、相手の元に伝わります。
それは良い言葉であれ、悪い言葉であれ。
単に口から出てしまった言葉よりも、うんと悩んで、でも勇気を出して出された「言葉」が私の耳には心地よく届きます。
しかし、そんな言葉でも、雑音や雑念、ネガティブな感情など、色々なものが本当の「言葉」を阻害してしまいます。
例えば、「私って本当にどうしようもなくて…」と悩んでいる人がいたとしましょう。
貴方なら、どんな言葉を返しますか?
ここでは、A,B,Cの三人の言葉で返してみます。
A「そんなことないよ!○○ちゃん、いつも頑張っているじゃん!」
B「確かに今はそうかもしれないね。でも、そういうときもあるんじゃないかな」
C「そうだね。これから自分の悪い部分を直していけばいいんじゃない?」
貴方は、この三つの言葉を聞いて、どう思いましたか?
どれが正しい、どれが間違っている…そんな感情が浮かんだでしょうか?
ですが、私はこの三つの言葉を同じ気持ちで書きました。
悩んでいる人がいる。
その子を前にして、「ありのままのその子を認めてあげるAさん」「今の環境などが悪いだけ。じきに良くなると、時が解決する提案をするBさん」「その子の悪いところも受け止めてあげて、これから直していけるよと促すCさん」
ここで、あれ???という感じですよね。
何だか、Aが優しくて、Bが受容してあげてて、Cが批判的、みたいに見えるかと思います。
でも、根本が一緒なら?言葉足らずなだけなら?
思う気持ちが一緒でも、「言葉」が変わるだけで、人を幸せにもできるし、傷つけることもできる。
また、Cの意見が全うで、A,Bはきれいごと?と思う人もいるでしょう。
そのため、「言葉」自体だけでなく、その人との考え方や関係性も関わってくるのだと言えるのです。
「言葉」は表、裏だけでなく、色んな側面を持っています。
まるで生きているみたいにいろんな顔を出してみては、幸せな気持ちにしてくれたり、傷つけたりするのです。
以前、「言葉は生き物だ」ということを誰かが言っていたような気がします。
私自身もそう思います。
言葉を言うことは簡単でしょうが、生き物みたいに気分や環境などに左右されやすく、かつ繊細なのです。
「お言葉」とでも言いたいくらい、私たちは言葉の多面性に振り回されているのかもなぁと感じます。
人を幸せにする言葉?人を傷つける言葉?-言う側と受け取り側の相違
前述したように、言葉は生き物のようであり、色んな側面があります。
そして、もっとも「言葉」を左右するもの、それは人の価値観や心の状態なのだと思います。
人は皆、価値観を持っています。
十人十色、色んな個性があるように、その分、色んな価値観がある。
その価値観自体を認めることはできても、受け入れることはなかなか難しいものです。
そこで、ある価値観から生み出された言葉が、受け取り側からしたら自分の価値観を否定されてしまったような、そんな気分になることだってあります。
また、例えを出すとすると…
人は、弱っているときや悩んでいるとき、特に臆病になっているときには、素直になりづらくなることがあります。
そこで、素直に「かまって!」と言えればいいのですが、言えない人も中にはいます。
そんな時、友達から「何かあったら言ってね」と言われたとしましょう。
友達がそう言っているなら…と話ができるのであれば、二人の関係は良好なものでしょう。
ですが、「友達も大変なんだし、こんなことで迷惑かけちゃ…」と迷ってしまう方もいます。
そうすると、素直になれず、「うん、ありがとうね」くらいに済ませて、結局甘えることができなかった、なんてことも起こりうるのです。
そのとき、「そっか、言わないから大丈夫なんだ」と思うか、「素直になれていないのでは?」と思うかどうかは相手次第なのです。
そういったかみ合わない関係性を生みたくないのであれば、素直でいる方が良いのでしょうが、これにも色んな価値観がありますよね。
例をあまりうまく出せなかったのですが、「言葉」だけでなく、価値観、関係性も大きな影響を与えてしまうこと、そしてそれによって、合う合わないなど、人間関係に関係してしまうと思うと、何だか恐ろしいなぁと思います。
つまり、何が言いたいかと言うと、言う側と受け取り側が同じ価値観を持っているとは限らないということです。
だからこそ、相手の顔や性格、環境、色んなことを駆使しながら、言葉を使う必要があるのです。
人を幸せにする言葉も、人を傷つける言葉も、紙一重なのです。
だからこそ、その相違やずれを少しでも埋めるために、お互いの距離感を考えて言葉を発したり、きちんとしたコミュニケーションをとっていかなきゃなぁと、しみじみ思います。
「言葉」で人を幸せに!!私の価値観
さて、ここからは私の価値観の話になりますが、『言葉』とは本当に難しいものです。
文章だと考える時間はまだあるけれど、対面していないから相手の反応が分からないし、対面していると今度はとっさに言葉が出てしまうこともあるので、自分の意図とは違う言葉が口から出ることもあります。
でも、自分なりにですが、心に決めていることがあります。
それは、『言葉』に気をつけるということです。
とっても当たり前なことなのですが、『言葉』って本当に怖い。
自分が思っている真逆のことを意味していたり、「何それ!?」状態になったり…。
それで、人を傷つける言葉を自然と使っていたら、相手も嫌だし、自分も嫌な気持ちになりますよね。
だから、なるべく、人の話を聞きながら、自分の『言葉』を大切に発言をします。
「ああ、言わなきゃ良かったな」「なんであんなこと言っちゃったんだろう」
これが自分の中だけで済むのであればまだ良いのですが、もしかしたらどこかで、自分の言葉で傷ついている人がいるかもしれない。
それで、自分を嫌ってしまっているかもしれない。
そうなってしまっては、悔やんでも遅いし、自分と話をしてくれている以上、笑っていて欲しい、それが私の願いだから。
関わる人皆に笑顔を、というとすごく大袈裟になりますが、嫌な言葉よりも嬉しい言葉の方が気持ちが良いじゃない?
社交辞令とかじゃなく、本当の、ありのままの気持ちを、相手のことを考えて、『言葉』にする。
これって『言葉』にすると簡単そうだけど、本当に本当に難しいことだと思う。
でも、これからも沢山の人と関わりたいし、好きになりたいから、私は難しくても、『言葉』を大切に生きていきたいな。
そして、今こうやって書いたブログでの言葉が、人を傷つけるのではなく、人を幸せにできる言葉であることを本当に願っています。
いつも読んでくださっている方、皆様に感謝!!
葉音
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