不安障害と、生きていくこと

現在、不安障害、パニック発作などに悩まされながら、生きている。

幾度となく、自殺を考えたり、実行したりしてきた。その度に、助けてくれる人がいて、私は幸せなのに、死にたい気持ちは消えやしない。

だけれども、私は生きのばすことを選んでいる。理由はいくつかあるのだが。

ひとつめ。私の幼馴染にあたる人物(以下Aとする)には、うつの母を無くした経験がある。Aとは中学卒業以降疎遠だったが、帰省のタイミングで久しぶりに仲の良かったグループで集まった。Aと、共通の後輩が、私を東京の家まで送り届けてくれた。娯楽として、ギターと、寂しくないように抱き枕をくれ、帰って行った。私は、Aにもう二度と、身近な人間の自死を経験して欲しくは無いのである。ただ、それだけである。

ふたつめ。私には、妹がいる。今年の春上京してくる予定だ。今私が死んだら、妹の負担がより大きくなってしまう。我慢を強いることになるのかもしれない。そして、家族の死というのは精神的にもダメージを与えるだろう。また、母も母なりに私を理解しようとしてくれ、朝から晩まで働き実家を、帰ってもいい場所を、守り続けてくれている。だから、生きのばす。

みっつめ。下手くそな生き方だって、かっこ悪くたって、大丈夫だということを、私の身をもって証明したい。それにより、誰かを救う手助けになりたい。そうすることで、私自身の救いにも繋がると、かんがえている。むかし私が人に言った、大丈夫って言葉を、嘘にはしたくない。きっと、大丈夫。大丈夫じゃなくてもね。

昔から家族と仲が良かったわけではなく、歩み寄りを意識することによって、家族関係は大幅に改善されたと感じている。16歳のとき、家出をした。母のことが、嫌になった。その時は母も今より不安定で、LINEでは罵詈雑言の嵐。ただ、母は口が達者でストレートに物事を言ったりしてしまうだけで、連絡をくれている時点で心配という気持ちが少なからずあったのではなかろうか。1年半くらい経ち、ほとぼりが冷めたころに家に帰ると、当たり前のように「おかえり」と言ってくれた。泣きそうだった。

わたしは斜に構えたり、自分のことも人のことも見下すくせがあって、優しくないのだと思う。

だからこそ、優しくいようと努めることが大事なのだと最近思う。

 

結論、何が言いたいかと言えば、わたしは死にたい。だが、かなり恵まれている。周りのひとたちに。だから、死にたくても幸せだ。

他者の存在、というのは、人が生きる上で大いな意味を成す、と私は考える。

私が受けた恩を、無駄にしないよう、生きることを選ばなくては。と思う。今でもたまに、死への1歩を踏み出しそうになるが。

誰かにとって、少しでも、力になれる存在でありたい。これは善意でなく、私の欲求だ。だからこうして、ここで相談してくれる方のお話を聞いている。自分がしてもらったことを、誰かに私もしたいのだ。

なんでもいいから、生きのばすぜ。生きのばす、という言葉は、The ピーズ の「生きのばし」という歌を知ってから気に入り、使うようになった。ぜひ聞いてみてほしい。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

それぞれの抱える地獄、完全には消えなくても、私はそれに、寄り添える人間でありたい。

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コメント一覧

全1件
  1. schedule2025.02.10

    しおり

    わたしもこの世からいなくなりたい日があります。何日もベットから起き上がれない日があります。

    わたしは死なない、死ねない理由を他者からもらい人に迷惑をかけながら誰の役にも立たず生きながらえている実感があります。

    あなたはそうじゃない。後ろ向きでもなく、無理に前を向こうとしてるでもない落ち着いた文章だと思いました。
    決意を感じました。

    自分と約束できる。そういう未来をわたしも微かに期待できました。
    ありがとうございます。

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