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一緒に対処を考えてほしい
10代後半 女性

自立している人へ聞きたいです

閲覧数381 コメント数1 personゴリラ edit2023.07.26

衝動的に書いているので自分の感情を上手く文字にすることが出来ないのですが…
自分は親への執着が酷いみたいです
小さい頃から単身赴任で父はいない生活をしていました。母は他の人から言えば過保護と言う部類に分けるらしく、私は末っ子なこともあり随分と甘やかされて育っていました。なので大きな子供のような自分が出来上がったのです
父がコロナで在宅ワークになった途端自分のがどれほどやばい性格をしているか身をしみて感じました。いつも通り母に大学進路先や自分のこれからの勉強習慣のプランなどを母に説明していたところ「そんなん自分で考えろや」と言う言葉が父の口から出ました。
多分他の人からしたら その通りだ となる人が多いのでしょうが、自分からすると相当ショックな言葉でした。自分自身でも自覚しているのですが、自分は大事な決定事項は全て母の意見を取り入れます。父の言葉で言う「責任転嫁」らしいのですが、高校も、試験も、コンクールもだいたい母の意見がほとんどでした。小さい頃は勉強習慣も母に決めてもらって課題をするようなもので、私はそれを当たり前のように享受していました。かと言って少しずつ自立している自分も感じていました。独自の勉強習慣を身につけ、自分の行きたい学科を見つけ、自分が行きたい時間に学校へ行くetc
それでも私はまだ母に依存しているところがあり、上記が今の現状です。しかも何が悪質かと言うと、父が言う言葉にブチ切れてしまうことです。と言ってもやはり父は家主なので 私も一言二言叫んで自室にそそくさと逃げ込むのですが…
自分は間違っているとわかっていても プッツンして自室で一丁前に被害者ぶって泣くのです。
まぁ ここに書き込んだ理由は自分が本当に嫌になるなんて言うただの愚痴こぼしです。
と言うより母に対する「責任転嫁」でしょうか
こんな自分をどうやったら変えられるでしょう
1度思い切って家出して母がいない生活を送ってみるのもいい考えではないですけど なんせもう2年生なので受験勉強を怠る訳にはいけません
どうやったら自分を自立することが出来ますか?
随分と曖昧なんで難しい質問なのですが、大学進路先をどうやって決めたかだけでも書いてくれると嬉しいです
前置きがクソほど長いですがてここまで読んでくださってありがとうございます
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コメント一覧

  • refresh約9ヶ月前
    退会したユーザー
    ゴリラさん、はじめまして、てるといいます。

    自分自身の在り方について悩んでいるのかなって感じています。


    まず最初に、ゴリラさんのお話を聞いて一番最初に感じたことをお伝えしてみます。

    それは、この中で最も責任転嫁をしているのは、お父さんだということです。

    お父さんは、恐らくはゴリラさんが生まれる前から今までにおいて、ずっとその家庭を築いていく作業をしていたはずです。お母さんと一緒にね。

    そして、ゴリラさんのことを、その家庭環境の中で育ててきていた張本人です。

    家庭を持ち、子をもうけ、そこで子を育てていくということは、今の日本の現状では、ほとんどの場合、親の立場にあるものがその子がしっかりと成長しているか、精神面と肉体面とその両方において常に見守り続けていく義務があると僕は考えています。

    何故かというと、日本では婚姻制度というものがあり、それを利用することで日本政府から子供の養育のための特別な権利を認められ、必要な支援や受けることができるからです。日本政府と言っても、その活動の元はすべて税金なので納税者からというのが実際だとは思いますが。

    親たちがそういった権利や義務を得るということは、子供の方からすると、より安心して育ててもらう環境を手に入れられることでもありますが、一方で親がしっかりと子供を養育できない場合、子供はその環境に閉じ込められてどうにもならなくなりがちなので、僕は今の日本人の子育てに対する態度は諸刃の剣のように感じています。

    そういった点を踏まえて、ゴリラさんのお父さんの態度をよく見てみると、在宅ワークになったとたんにゴリラさんの態度を見て、ああだこうだと言い出しています。

    ゴリラさんの態度が、今ここで本当に責任転嫁的なのかははっきりとは分かりません。お父さんの単なる主観でしかないかもしれないからです。

    ですが、もしそれが本当に責任転嫁的で、ゴリラさんが人としての成長が進んでいないとしたときに、あることが見えてくると思います。

    それは、それでは親は今まで一体何をしていたの?っていうことです。

    お父さんのような立場の人からすれば、仕事が忙しいとか、母親に任せてあるんだからっていう言い訳をしたくなるのかもしれません。

    もしそう思う人がいるのだとしたら、僕はそれはくだらない言い訳にすぎないと思っています。

    忙しかろうが何だろうが、それを背負ったのは自分自身だからです。

    お母さんに任せてあるからって言ったとしても、それを任せた自分の責任はどうなるのか。任せたとしても、その都度その都度、自分自身が背負った子供の成長を確認しながら生活するのがそれを背負ったものとしての筋だと僕は感じています。

    そういうことを背負えるだけの大人として成熟してないからこそ、そういうことを背負った責任を放棄して毎日を生きているからこそ、今のゴリラさんの現状があるということでしかありません。

    それを何故か、自分たちがそのように育てた子供へ責任を押し付ける態度をとっています。

    これが責任転嫁でなかったら、何が責任転嫁と言えるのかなって僕は思います。

    ゴリラさんはお母さんに依存しているって話していましたけど、お父さんも自分のことを自分でやらずにお母さんに依存しています。

    自分で決めて、自分で決めたことに責任を持つことをしていません。

    お母さんにしてもそうです。依存してしまう子供を育ててしまっています。これは裏を返せば、自分の責任を果たすことをせずに、子供に依存させることに依存しています。

    親への執着が酷い場合、このように実は親が子に執着している場合がほどんどのように感じています。子に執着していない場合は、他の何かに執着していることも多いと感じています。例えば、仕事や趣味、家族以外の他人や嗜好品とかいろいろあります。執着は言葉を変えたら依存ですよね。

    子育てにおいてよく聞く言葉に、子供は親の鏡だねっていうのがありますが、僕は本当にそうだなって感じています。

    まあ、そういうわけで、長々とお父さんが責任転嫁の最たる人間だっていう説明をしてしまいましたが、じゃあ、そういう現状から自立に向けてどうしたらいいのかなっていうお話をしてみたいと思います。


    僕もどうしたらいいかをハッキリと分かっているわけではないのですが、自分なりに思ったことをお話してみようと思います。

    まず最初に、自立するっていうことの意味をどのように捉えているか、そしてどのように捉えていくかが大切だと感じています。

    自立したいっていうことなんですからね。それがどういうことかを自分の中でなんとなくでも感じられてないと、そこに向かって行きづらいのかなって思っています。

    その上で、ゴリラさんに問いかけてみたいことがあります。

    受験勉強を怠るわけにはいきませんって書いてありましたけど、それはなぜですか? そして、受験勉強は何のためにやっているのですか?

    大学に入るため?

    だったら、何で大学に入りたいんですか?

    何らかの学問を身に付けたいから? 何かなりたい職業があるから? 大学生活を楽しみたいから? 

    人それぞれにいろいろと何かしらがあるんだと思います。

    自立っていうことはそういうことだと感じています。

    つまり、自分の中に軸があること。

    何かをしようとするときに、その自分の中の軸で物事を決めてそれをやること。

    それは、大きなことでなくてもそうだと思います。

    今日は何を食べようかな? ちょっと休憩しようかな? 髪の毛を何センチ切ろうかな?

    そういう些細なことも全部そうです。

    もちろん、どの大学に行こうかな? 大学に行くにしても、どのようにしていこうかな?

    そういう大きなことも当然そうです。

    だから、自分がどのようなことをどのようにしたいのか自分の心に聞いてみて、それをも元にして生きていく。それが自立だと僕は感じています。

    大学だって行きたくなければ行く必要はないですよね。自分自身の中に行きたい理由があるから行く。そして行きたい理由があって、そこに行くことにしたんだったら、そこにどのようにして行くのかも自分自身の中に聞いてみる。そしてそれに沿って行く、それが自立した大学の選び方だと感じています。

    もし、自分の中に、ちょっと誰かに相談してみようとか、誰かの支援を受けてやっていこうっていう気持ちがあるのだとしたら、それに沿うことも自立だと僕は感じています。

    だから、どうすればいいかを全部考えてもらうことをお母さんに任せるということも、自立の内に含まれます。

    自立っていうことは、その行動そのものにあるのではなくて、その行動の奥にあるあり方の話のことだと僕は感じています。

    誰かに自分のことをまかせる場合でも、自分の心を覗いてみたら、そこに自分軸があるのかないのかは感じ取ることができると思います。

    自分自の心を覗いてみて、自分の気持ちをよく見てみる。そして、そこにあるそうしたいなっていう気持ち、それに沿うことが自立した人の在り方だと僕は感じています。

    その気持ちが軸になり、その人が立っている。それが自立の本質だと僕は感じています。

    僕はそんな感じに思っています。
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