私が死にたかった本当の理由
visibility4,397 edit2016.11.13
こんにちは、キュウです。
今日は、最近自覚した「私が死にたかった本当の理由」について書いてみようかなあ。書けるかな。的確な言葉にする自信がないし、記憶がない部分とか、途切れた記憶からの予想だったり、不確かな部分もあるかもしれないけれど、今の私が色々な本を読みつつ私なりに分析したことを書いてみようと思います。
よろしければ、お付き合いください^^
アダルトチルドレン
最近、自分の人生を振り返る機会が多いんですよ。どうして今自分はこう感じているのか、どうして過去のあの時はああいう風に感じたのか、何故未来はこう予測できるのか。そういう色々を客観的に分析して全部説明できるようになりつつあって。
知識が足りなくてまだ不十分だけど、それでも全容が見えはじめていて。
その延長で色々分析するうちに、自分がずっと死にたかったのはこういう訳だったのだろう、と腑に落ちるようなすっきり感を味わうことができたんです。それは、自分がアダルトチルドレンになるに至ったルーツを知ることでもありました。
今の自分の言動がきっかけ
そもそも、それを知るようになったのは、自己分析を重ねるうちにうまく分析できるようになってきたことが始まりなのかもしれません。自己分析が上達すればするほど「今」の自分の言動や気持ちから色んな過去が見えはじめて、それを知る毎に辛い気持ちを感じていました。
例えば
今の私が「人に頼る気になれない」と思うのは、親に何らかの方法で心の寂しさを訴える度に「リーダーは孤独だ。孤独に生きることこそが美徳だ」と言われ続けたからかもしれない。それが、人に頼る事は悪いことだという刷り込みになっている気がする。
とか、
仕事中に、小さいことも報連相すればいいのに口が動かなくなって体が強張りなるべく誰にも何も言わずに仕事を済ませてしまおうという気持ちによくなるけれど、それは親に些細なことでも何かいうたびに「今は家庭だから許されているけど社会的にはNG」と”評価”され続けたから、職場の人にも否定される気がして怖いからかもしれない。
とか、
【人にとても側に居てほしい瞬間にリアルタイムに自分の悩みを相談することは誰かにとって”邪魔”になる。”人の邪魔”をしたくない】と思うのは、悩みがあって話を聞いてもらいたかったときに「どうせあなたは何も言ってもお母さんの言う通りにはしないんだから聞きたくない。来ないで」と拒否され続けたからかもしれない。
とか、現在の小さな心の動きを感じることで、それとリンクする親の言動を思い出すことができるようになって。
そこから【私は母親から”ただ聞いてもらう””共感してもらう”心地よさを感じたことがなかったのではないか?】と気付いて。
それでいて、何か悩んでいてその内容を話さないと「なぜ話さないの?」としつこく聞かれていたなあと思い出し、しかも、それは怖い脅すような感じではなく「お母さんには価値がないからなの?」という感じで聞かれていたなあと思い出し。そうされると、母親への同情心が湧いて、話さないことへの罪悪感から結局悩みを話してしまうけれど、言われることはいつも同じで「お祈りして、聖典を読んで、神様に頼れば大丈夫」。その上「どうせあなたは何も言ってもお母さんの言う通りにはしないんだから聞きたくない。」と拒否される。
私自身の気持ちとしては、母親の気持ちを満たそうとして(話すことに違和感を感じながらも)悩みを話しているのに、その結果、結局母親は苦しい顔をするという現実。それがもう「私が何をやっても母親の気持ちは満たされない」という証拠でしかなくて。子供の私は、そんな母親の心の原因など何もわからないから「私のせいだ」と思うしかなかったんだなあと。
本当は、母親がそういう風になってしまう原因は私にあるのではなく、母親自身もアダルトチルドレンであり、親に愛されず傷付いて育ってきたから自己肯定感が低すぎてそれを娘に満たしてほしかった部分があるんだろうと思うのですが、何も知らずにただ彼女の子供であった頃の私には「それができない・したくないと思ってしまう自分を責める」という選択肢しかなかったというか。
もはや私は「母親」の「母親」のような存在ですよね。私は、母親にとって「祖父母(母親の両親)の代わりに母親を無条件に愛してくれる存在」でなければならなかったんだろうと思うのです。そして、その母親に愛情を感じている私は、必死にその要求を満たそうとしていたのかもしれません。
冷静な平たい分析で言えば、衣食住を与えられ金銭的に養ってもらっている身としては「生きる術」を失うこと=死を意味しますから、死なないために養ってくれている人の要求に必死応えようとするのは当然のように思えるし、それは生きるためのサバイバルだったのでしょう。
つまり、母親には私が(無条件に愛を注いでくれることが)必要不可欠で、私には母親が(衣食住・金銭的・命を維持するために)必要不可欠。絶対に離れられない関係。
これが私達の共依存の正体なんだ、と腑に落ちるに至りました。
母親の方がしんどい
そもそも、父親と母親どちらがよりしんどいかといわれると私は即座に母親と答えますが、いわゆる「毒親」という基準にわかりやすく当てはまるのは父親の方なんですよ。人格否定や感情の強制、考え・価値観を押し付ける、比較・差別する、過大な期待で子どもを押しつぶすなどなど、本当に父親の方がわかりやすく当てはまるんです。
そのため、わたしが最初に怒りを抱いて恨んだのは父親だし、母親の方がしんどいけれどどうして母親の方がしんどいのかは全く見えず謎のままで。最近も、必要に迫られて親に自分から連絡を取るなら父親の方が気が楽で母親の方が苦手なのに、それが何故なのかはわからなくて混乱してたりとか。
でも、その答えが、ようやく一筋見えた気がしました。
共依存、は、圧迫による支配だけじゃない
私の母親は、私に「あなたを愛している」と言って、何度も抱きしめながら育てました。悩みに共感もしてくれたと思うし、労うような言葉もかけてもらったことがあります。父親のようなわかりやすい感情の否定はなく、不登校だった私が回復できたのは母親の助けによるものが大きいんです。
でも、それは、もしかしたら無意識の世界では、私が弱い存在であることが”母親の生き甲斐”になっていたのかもしれなくて。「価値のない私(母親)に、全てを打ち明けて甘え、頼りにしてくれる弱い存在」としての娘(私)が、自己肯定感が極端に低い母親に存在価値を与え続けたという結果だったのかもしれなくて、それを維持するための愛情だったのかもしれないんです。それはもはや、下心がある愛情。見返りを求める愛情です。
だから、私が立ち直ろうとするときに「やってみなさい」と背中を押すのではなく「やりたかったらやってみてもいいけど、あなたには無理なんじゃないかと心配」「あなたが心配で」「でもお母さんはあなたのことを客観的に見られる存在として、あなたにはこの選択が合っていると思うの」という穏やかな説得により”綺麗な形・心に訴えかける形”で引き止めようとしたと考えられるし(すでに母親の心の要求を満たす存在として生きることしか選択できないようになっている私は、母親の選択を取る必要に迫られる心理状態にすでに洗脳?されているため、これらの言葉は説得ではなく強制としての意味を持つ)、私が悩んでいることを母親に話さなくなったときには「それはお母さんに価値がないからなの?」と苦しく思ったり、弟が悩みを話さないことを「あなたは話してくれるからいいんだけど、あの子はね・・・」と言ったり(本当は私にも自由があるはずだが、その言葉でますます私は”弟の分まで母親を満たさねば”と囲い込まれる。本当はそもそも【子供が悩みを話さない=母親に価値がない】という図式自体が間違いなのであるがそれにはなかなか気付けない)したのかもしれません。
そうして、最終的に「どうせあなたは何も言ってもお母さんの言う通りにはしないんだから聞きたくない。来ないで」となってしまう。私に自分の要求を満たしてもらえないことが辛いのですね。それだけ聞けばおかしいですが、それまでの穏やかな”説得”と”愛情”があるために「この人の言うことはおかしい」と疑うことが出来なくなっている心理状態もあるわけです。そもそも母親に愛着があるわけですから、できることなら責めたくないし。
そこに、なんともタチの悪いことに、長らくそうしているうちに父親にも「娘と母親は別人格でそれぞれ自由が尊重されるべき存在」ではなく「娘は母親を満たす存在」という意識が働くようになってしまい、母親を満たさないことで怒られるようにもなったりとか。そんな父親の言葉がこちら。
「お母さんにはキュウしかいないのだから」
今考えるとおかしな言葉ですね。母親は、母親自身で自らの過去と向き合い、過去を手放し自己肯定感を手に入れることこそが本当の課題なのに、自己肯定感を満たすことを私に依存することを「人として正しいことだ」と定める父親。
こうして私は、自由と愛を与えられているように錯覚しながら、父親と母親から”常識”と”愛情”という名前の鎖に何重にも縛られていたのですね。知らなかった。しかも、本人達は無自覚で【自分に問題はない】と思い込んでいるから、尚更疑うことができなかったし。子供の私の中に「相手に非がない=自分が間違い」という図式が成り立つのも頷けるし、それで全てが説明できちゃうし。(本当はそんなことないけど気付かない)
また、母親の方がしんどい理由も、例えば父親から「こうしなければならない」と強制されることに関しては「そうじゃない!おかしい!」と同レベルで強い口調で反発しやすいのに対し、母親から「私に免じて同情して」「私に価値があると認めて」というサインを受け取ることに対しては「かわいそう・この人を満たせるのは私だけなんじゃないか・私がしなければならないんじゃないか」という罪悪感と同情心に訴えかけられるため心がなかなか反発できないことがわかっているからこそ、母親の方がしんどいのだろうと思います。
私にとっては、圧迫し強制する父親よりも、心理的に感情に訴える母親の依存の方が逃れるのが難しいのです。
ただ、母親に笑ってほしかった
そうして、私がずっとずっと死にたいと思って来た根本を探っていくと、実は【母親に私と一緒に生きることを心の底から楽しんで欲しかった】ということに気が付きました。
しかし、その願いとは裏腹に、母親はいつも悲しそうで、いつも傷ついているように見えました。
現実では、私が嬉しそうな話をすると母親の顔はゆがみました。私が悲しそうな話をすると母親の顔はゆがみました。私が勉強を頑張っても勉強ができなくなっても、外に出ても家にいても何をしても、結局母親の顔は辛く、悲しそうに歪んでいるのでした。そしてそれこそが、私の「母親が苦しい」本質なのでしょう。私が何をどうしても笑ってもらえないことこそが(そしてその原因は自分だという思い込みが)私の死にたかった原因なのでした。本当に、ありのままを愛してもらったという感覚がありませんでした。だって、本当に愛していたらそんな悲しそうな顔をしないでしょう。というのが当時の私の主張かな。
何度も書いている通り、母親からは共感もされたし、不登校の時など色々辛抱強く付き合ってもらっていたと思います。でも、私がありのままの姿で居ることで母親が心底嬉しそうになることはなかったんです。口では愛していると言い私を抱きしめながらも、いつも顔が苦しそうに歪む母親。私が変化し成長することでさえも、母親の顔を苦しく歪めました。そんな私が親に価値を認められていると感じられなかったのは普通のことなのかもしれません。
また、その母親の出す表情を裏付けるように父親の「社会的には価値がない」発言がポンポンと私に向けられ出てきます。それだけで十分なのです。普段から”ありのまま”を愛されていないように感じている子供に”愛されない証拠”を突きつけることは残酷なことです。【自分が愛されない原因は自分に価値がないからだ】という子供なりに導き出した秩序は、もう疑いようがない「事実」として刷り込まれてしまうのです。
そして、私は気が付きました。
そうか。私が話すと苦しそうだったから私は母に口をつぐんだんだ。それでいて、口をつぐんでも結局苦しくさせてしまうからそんな私の存在が良いものだとは思えなかった。不登校が始まったときから私が居るせいで母は周りに理解されず苦しんでいた。子供の私がそれを察知し自分を責め続けるのは普通だったんだ。
あなたが居ることが幸せだと何度も言われたけど信じられなかったのもその言葉が本当に見えなかったからだし、実際本当じゃなかったんだろう。子育てに依存することが幸せだと思い込もうとする母親の姿が痛々しくて見ていられなかったのだろう。
そんな私が消えてしまいたいと思うのは、当然の気持ちだったかもしれない。私は母親に笑ってほしかっただけ。嬉しそうに生きてほしかっただけ。それなのに、喜んで生きられない原因が私にあると思ったから、あんなに消えたくなっていたんだ。そりゃあ、自己肯定感も持てないはずだ。
だけど、今ならもうわかる。母親が心のそこから嬉しそうに生きられなかったのは、私の祖父母である母親の両親の関係が良くなかったから。母親もアダルトチルドレンで、自己肯定感を持てないのも無理はないような環境で生まれ育っており、健全な精神を持つことができなかったのだ。私の不登校だけが原因じゃない。
私の不登校は母親を苦しめる直接のきっかけになってしまったけれど、今なら、それがあってもなくても私は母親を心底嬉しそうにすることはできなかっただろうと思う。母親が自ら自分の問題と向き合い、何らかの形で手放さない限りは母親は心底嬉しそうにはならなかったはず。ああ、ようやく、本質が見えた。
これで、物心ついたときからずっとずっと自分に価値を認められなかった私自身をまたひとつ理解できました。今なら、常に死にたかった過去の自分を赦せる気がします。私自身に「あなたが死にたくなったのは自然なこと。よく頑張ったね。もう、その過去は手放しても良いんだよ」と言えるかも。
同時に、やはり母親が気の毒です。父親も気の毒。だって、私はもう自分で私自身の苦しみの原因に気がついて変化の段階にいるけれど、彼らは未だに彼ら自身の心の傷には気がついていないのですから。
まあ、そんなことを思うから私は親元に帰れないのかもしれないですが。
帰ったらまた彼ら自身の問題を娘の私が引き受けようとしてしまうことが目に見えていて、それはお互いにとってよくないことだと思うから。何より、私自身にとって苦しいことだから。
私の自殺願望のルーツ
さて、話は少し戻り。私の自殺願望のルーツが見えた話をしましょうか。
私はずっとずっとこの謎に苦しめられ続けていました。私が死にたいと思っていたのは親が苦しかったからだけど、親が明確に苦しくなった中学生の不登校の頃の記憶よりももっとずっとずっと前から「死にたい」という気持ちはありました。不登校以降の気持ちは理解できるけど、それ以前から死にたいと感じていた理由は全然わからなくて。
前回のブログにも、こんな記述があるくらい。
一体、記憶の無い時期に、私には何があったのでしょう。私はなぜ、一番古い部類の記憶の中でも死にたいと思っているのでしょうか。親に「布団を頭から被ると死んじゃうよ」と言われ、それを信じて本当に死ねるんじゃないかと連日被り続けた幼い私には、一体何があったのでしょう。
この謎に立ち向かう時には、何か幼い私が忘れなければならなかったようなとんでもない記憶が出てくるんじゃないかと恐ろしく思っていたのですが、そうではなく、とても小さくて健気な気持ちから、私は死にたくなったのでした。
記憶
私の一番古い記憶は、ずっとずっと幼い頃。父親と母親が喧嘩をして居るところに起き出して、父親に母親が泣かされている(ように見えた)ところに、「お母さんをいじめないで」と入っていった記憶でした。
それは、子供ながらに恐怖を感じるものだったのでしょう。当時の感情はそれほど色濃くは思い出せなくなっていたため、文字にしてみればごく普通の?夫婦の話し合いの光景が印象深くてずっとずっと消えないことが私にとっては謎だったのですが、それも今なら説明できます。
私はただ、両親に心から生きることを嬉しく思ってほしかったのでしょう。私が生まれて一緒に生きていることに心の底から喜びを感じてほしかったし、嬉しそうにして欲しかったんです。
それが初めて脅かされたから恐怖を感じ、印象深く残っているのだろうなあ。
そして、その後もずっとその願いは叶うことがありませんでした。口では愛していると言われていたし何度も抱きしめられて育ちましたが、ブログの初めの方で記述した通り私の不安が払拭されることはなく、その悲しみを子供の私が「自分のせいかも」と感じてしまうのは、普通の事だったんだろうと思います。幼い私には大人の事情などわからず混乱し「自分のせいだ」と思い込むことで全てを説明しようとしたのでしょう。だから、布団を被れば死ねるんじゃないかと試すようになったのだと思います。そこから始まって、何か不都合が起きた時の原因として真っ先に自分を疑う性格が定着したのでしょう。それが、私の死にたい本質なんだろうなあ。
恐怖を感じたエピソードがその事だけなら、その後両親が本当に安心させてくれる子育てをしてくれていたのなら私のその不安は問題なく払拭されただろうに、その後も色々なことが起きてその度に死にたい気持ちが増し加わっていくという悪循環があったからこその、今のアダルトチルドレンなのですね。苦しい過去は、一夜にして出来上がったわけではないって事です。様々な要因が重なり続け、それを払拭するような出来事に恵まれなかった結果なのです。
大元の本質はこんなに健気な気持ちであるのに、それがきっかけで起きた気持ちによって長年私自身が苦しむ結果になるなんて、なんだか皮肉な話ですね。
けれども、私は、また一歩深く自分のことを知ることができて安堵の気持ちを感じています。自分が死にたい訳が「異常だから」ではなく、そうなってもおかしくない環境に育ったからだと知ることで「おかしくないよ、そうなることは仕方がなかったんだ」と自分自身で説明し受け入れ、手放すことができるからです。
正体不明の恐怖が正体が明確なものへの安堵感へ変化した時の温かい気持ちに感謝したいような心にさえなります。
「私は、元々は、ちゃんと母親が好きだったんだ」
もしかしたらこれは、自分も世間一般の常識に当てはまりうる人だったのだと、その素質はあれど機会に恵まれなかっただけなのだという「異常ではない」凡人としての安堵なのかもしれません。
終わりに
私の「死にたかった本当の理由」を自己分析した結果をブログにしてみましたが、いかがでしょうか?
私は最近、心というものは、感情を感じることを抜きにして結果だけ知らされても、なかなか受け入れられないようにできてるんじゃないかと感じます。親が苦しい自分を認め、そうなることは自然なことだったのだと自己受容ができて初めて、世間の「AC」という言葉の分析が「本当だったんだ」と感じられるようになってきたからです。(もちろん私には当てはまらないと感じる部分もありますが、完全拒否はしなくなりました)
また、全然違う話になりますが、最近、人から悩みを打ち明けられた時に、感情を理解・受容する過程をすっ飛ばして「それはこういうことだ。間違っていない。だからこう立ち直るべきだ」とアドバイスする人たちをよく目にするようになりました。そういう人たちが全て間違っているとは思いません。それで救われる心もあるのかもしれませんし、私自身、すぐにそのアドバイスは受け取れなくとも相手のためにそこまでアツくなれる人達の愛情を感じて心が軽くなった経験が何度もあります。
ただ、これは本当にただの私のお節介な心なのですが、私が目の前にしてきたその場面での「悩める人たち」というのは(私も含め)既に自ら感情を封じ込め、ただ理性で「〇〇のはずだ」と言い聞かせ乗り越えようとしている人たちが多いと感じるのです。そこにアドバイスをぶち込んだところで理性を満たすことにしかならないため、感情を封じ込めることの助長にしかならないように見えるのです。結果、アドバイスを受けた方の人達は、自分の理性が間違っていなかったという認証を得ながらも感情を認証することができないため、どこか満たされない思いに生ぬるく浸かり続けてしまうのではないかと心配になってしまいます。そして、そのしわ寄せはいつか心身の不調となって現れる気がするんです。
私自身、理性で封じ込めてきた感情が多くあるからこそ周囲の人たちにはそんな苦しみを背負い続けて欲しくないと思ってしまう私のエゴなのですが、封じ込めてきた理性を手放した経験も少なからずあるからこそ【理性で感情を封じ込める】のではない【感情を感じて認め受容し、手放す】という他の糸口もあるよと言いたくなってしまう私のエゴでもあるのです。
つまりは、【その時の自分の感情を感じて「そうなるのは自然なことだった」のだと認め「悲しかったねえ、苦しかったねえ」と感情や出来事とそうなってしまう自分を丸ごと受容し、苦しさを心から手放すことができて初めて、理性の言うことがスッキリ聞けるようになる】と思っているからこその、【感情をその時々で消化することが後々健康に生きるためには必要だ】と感じているからこその、お節介な心なのです。
なので、私は、感情を受容する助けになることが好きだし、相手の話に共感して「そうなることは自然なことだよ」と本人が自分自身を受容する助けになるような言葉をかけることが好きです。(それは、目の前に現れる「悩んでいる人」に対してもそうですし、自分自身に対してもそうです。)
でもそれは、今のところ結局”無知な私の生きる知恵”レベルのことでしかないとも感じています。だからこそ知識が欲しくて、図書館に通うのです。
いつか、しっかりカウンセリングのようなことを学んで資格を取り、今感じていることの裏付けや、そうじゃなかったと増し加わる部分となる知識を得て、目の前の「悩んでいる人」の人生に少しだけ関わるようなことがしてみたいです。それがどんな形であるかはわからないし、数年後にはもっと違った願いに変化しているかもしれないけれど。
そんな思いを胸に抱きながら、私は今日も自分と向き合います。
今の状態でも、この気持ちを少しだけ良い形で人に分けられるといいなと願いながら。
では、また次回のブログでお会いしましょう!!
キュウ
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