Mayの日記『当たり前ではない、だけど当たり前なこと』

ココトモの皆様、お久しぶりです。日記投稿失礼します。

※コメントを頂けるのはありがたいのですが、返信する余裕がなさそうなのでコメント欄は閉じます。

いつものように、「だ・である調」にて記載します。
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年が明けてから色々あった。まず最初に私がコロナウイルスに感染し、2〜3日後に祖父、1週間後には祖母も感染。しばらく寝込むこととなった。

私は、年始に掲げていた抱負である「人の役に"立つ"こと」に関して、三日坊主にだけは絶対にしたくなかった。

なので、寝込んでいた期間を除いては料理を含む家事全般をやっている。(主婦として当たり前だが)

勿論、これまでも何もやってこなかった訳ではないが、主婦が2人ということで祖母に頼っていた部分は多かった。(当たり前のように)

その考えを根本から覆すきっかけとなったのが、祖母が隔週で夜に働きに出ることが決まったことだった。

今年に入ってから、基本的には祖母に教わりながら2人で台所に立ち、祖母が夜仕事の日は私がメインで料理を作っていた。

しかし、祖母が寝込んだことにより、私がメインで作る日が増え、その他の家事もほぼ日中は私がこなしていた。

それでも、朝が弱くて(5時45分には起きては居るが)朝食作りやゴミ出しは祖母がやっていたので、療養期間中に祖母を完全に休ませられなかったのは、私の力不足だなと反省した。

日中の家事を一人でこなす日が続いたことで、改めて祖母の有難みを痛感した。

そして、頭では解っていたが、当たり前のように祖母に頼っていた自分が情けなく、また主婦として仕事もして家事も抜かりなくやるのは当たり前なのに、出来ていなかった自分を恥じた。

フルタイムで働いている友人が、仕事の前や後、休日に家事や料理をしていたのを知って、自分は働いている日数も時間も少なく、祖母に助けて貰っているのに、ちゃんとできていない。

その友人には劣等感しかなかった。ツケが回ってきたのだと思った。

祖父から言われるからやらなかったというのは言い訳、免罪符でしかない。

やっていた時期があったというのも、継続していなければ意味がないのだ。

人がしてくれるのは当たり前ではないが、自分がやるのは当たり前のことなのだと思った。

6人分の食事を作る、その前に献立を立てることにこんなに毎日頭を悩ませるとは。

どれだけ言い訳したって、今まで人に任せてラクしていたことには違いない。

これからは私ももっと頑張らないとという気持ちが強くなった。

3月からは、仕事の時間を減らそうと思う。いや思うではなくそうする。

その代わりに出勤日数を増やしたいが、時間を減らすのは簡単でも、日数を増やすのは難しいかも知れない。

だから、収入は激減する恐れもある。それでも私はそうすると決めた。

祖母一人に負担にならないように、早く帰宅して家事をやる時間を増やす。

だから、ココトモにはあまりこれないけど、日記は時々書くつもり。

明日、もう1件書きたいことがある。我が家流のカレーのレシピについて。

star今日できたこと♪

日記が書けた。

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