銀ノ月の日記『鏡花水月#080〈漢字de哲学 1/3〉』

(深夜投稿ですが、綴ったのはお昼頃なのでご安心を💦)
皆さん、おはようございます。銀ノ月です🌙
お久しぶりでございます💦

自分自身に思うところがあって交換日記の場から1週間程消えておりましたが、この度また再開させて頂こうと思います🙇
今回綴らせて頂く内容は、私の日記の中では比較的真面目なものですのでご安心を😌(流石に再開直後にイカれた日記を投稿するのは気が引けました💦)
またお時間のある時、気が向いた時にでも覗いて下さると幸いでございます🍀

それでは、本題です。
皆さんは日常生活にて漢字に触れたとき、ふと違和感を覚えた経験はありませんか?

例えば「忙」と「忘」(今回のテーマ)。
「忙」の左側(りっしんべん)は”心”を表していますから、この2つは形こそ違えど、同じ漢字の組み合わせ(「心」と「亡」)で成り立っているのです…!(これに気づいた時、私は軽く衝撃を受けました)

では、何が違うのか。
「忙」は心の横に亡があり、「忘」は心の上に亡がありますね。
……ということしか自力では違いが思い浮かばなかったので調べてみると、面白い記事に出逢えました✨

規約のこともありますのでザックリ紹介しますと、「忙」は「外的な要因に影響を受け、心が”動かされる”」という意味を持ち、「忘」は「自らの意志によって心を”動かす”」という意味を持つのだそうです。
確かに、お仕事や学業、習い事などの外的要因によって心が忙殺されてしまうお話を聞いたことがありますし、人間は嫌な事・辛い事など目を背けたいことを時間をかけて忘却するかもしれないなぁと思いました。(亡が心の横にあるのか・上にあるのかも、これに関係してそうですね…)

「忘」については、上記の面白い解釈とは別に私も考えたことがあります。
「心」が「亡くなる」から「忘れる」。では、この「心」とは何を指すのでしょうか?
自身の抱える悩みや辛さなどは2日もすれば忘れてケロッとしている(解決はしていない)私に当てはめて考えてみると、今の私は「向上心」がお亡くなりになっているのかもしれないな、とふと思いました⚰️(理由はまぁ、どうでもいいです。)

だからどうこうする、といったことは今は特に考えていません。
思えただけ、気付けただけで、とりあえず一歩です👣
これが私のペース。次の一歩を踏み出すのも、私のタイミングです。
これでいいのです😌これがいいのです😊

何が言いたくなったのか分からなくなってきたので、そろそろ締めを。
私は「頑張る」に程度の差はないと信じています。
上司の頑張りと部下の頑張り、成績の良い学生の頑張りとまだ日の目を見ていない学生の頑張り、もっと規模を拡大すると、男性の頑張りと女性の頑張り、健常者の頑張りと障がいを抱える方の頑張り、親の頑張りと子の頑張り…と、割と色々な場面に当てはめて考えることが出来ます。
勿論それぞれに取り組まれることの難易度が異なることは承知済みですが、「頑張る」こと自体(頑張る姿勢?とでもいうのでしょうか)はきっと等しく、とても素敵なことだと思います。

…まぁ、私がそう思ったところで「だから何だよ」という話なのですが、自分の頑張りを他でもない自分自身が少しでも認めてあげられる、「今日の私はよく頑張ったんじゃない?」と自分自身を褒めてあげられる日が訪れたら、それはきっととても嬉しいことなのでしょうね🍀

(あれ?締めが今回の話と噛み合っていないぞ??……まぁいいや)

favorite読んでくれた人へのメッセージ

読んで下さりありがとうございます😌
皆さんにとっての今日が晴れやかな1日でありますように🍀

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