てこの日記『春耕秋収 - 其の十九 今年の二夜の月」』

先まくり いま二夜をば 満てずして
  くまなきものは 長月の月     藤原俊成
  

今年は、なんとなく微妙なのです。
些事に紛れることが多く、長くの散策の時間も取れない。とはいいつつ、それなりには出歩いてはいます。

さて、このような拙い話をご覧になる奇特な諸兄には、おわかりかとは思いますが
11月2日(日)は、十三夜でした。
冒頭の和歌にあるように、二夜を待たず先回りして(あと二夜で、望月)、隈なく照らすのは九月十三夜の月(新暦だと一月遅れなので、この日の月)。
望月に少し欠けた月。今年は雲ひとつなく空に煌々と輝いていました。
急に寒くなった昨今ですが、この日、夜も穏やかで夜風もなく、しばらく見上げていました。

例年ならば少し遠くまで散策し、途中の休みで見上げていましたが、それすらままならず、忙殺されているようです。
とはいえ、望月近くの月は高く昇り住宅が並ぶ街中でも十分には愛でることはできますので、ほんの少しではですが、リセットの瞬間をつくれたかと。

想いは色々あれど、うまく切り替えもできずに。
でも祈りなのか、そういう非日常の時間が少しでも取れたことには感謝かな。

またしばらく現実に戻って、忙殺の日々かもしれないけれど。
時折、月を見上げあられるほどには、ゆとりを持ちたいとあたらめて思いました。

今年は秋を感じるまもなく、今週末には立冬を迎えますが、あれほど酷暑だったのが、いつの日にかと思われるほど季節は違わずと巡ります。
歳の瀬や歳初めより、「後の月」を見上げることができたのは、今年もこの月を見られたという感覚になります。
みなさんには、そうした自分なりの年の節目のようなものはおありでしょうか。

ありきたりでは、ありますが11月2日のその月は綺麗でした。
ゆとりのなさの中ではありましたが。

まこととも たれか思はむ ひとり見て
  のちに今宵の 月を語らば     西行
  
西行の言葉を借りずとも、ぼんやり月を一人見て、後に想いや月光の優しさを語っても、真とも思われないのでしょうが。
しばらくは、こうしたささやかなゆとりだけは保ちたいななどと想いつつ。

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