他人の評価と自信の狭間
edit2016.02.10 1,278
こんばんは。
おはようございます、の人もいるのかな?
オハナです。
みなさんは、周りが自分を評価しているか?
どう見られているのか?
ということが気になりますか?
私は気になります。
気にします。
仕事の前提として、もちろん会社から評価され、給与が上がることもあるし、比較も評価も、しなけりゃいいという訳ではないけど、それを踏まえた上で、でも…ということを、今回は言いたい。
私は会社では、自分が雑談している時、社員に見られているか、どう思われているのか気になって、ぶっちゃけストレス(じゃあ話すなって感じだけど、仕事の話から雑談に流れる事も多い)になります。
まぁ、元々雑談多めの職場ですが…。
フェイスブックのイイね、ミクシィのイイね、ツイッターのリプ、などなど、この世には評価がぎっしり。
社内の評価、SNSのランキング、新入社員の同期など、人と比べるものさしはキリがない。
結婚ですらそう。
世間から結婚できる人と認められたい、という願望。
旦那さんを作って、自分のことを愛して欲しい、受け入れて欲しい、安心が欲しい…
これらも、結局相手からの評価を求めていること。
そうそう、インスタもそう。
何人が評価してくれた?
何人見てくれた?
誰が自分の事を認めてくれた?
人は生きる限り、他人から承認されて、上位の評価を求めることから避けて生きてはいけない…のか?
本当にそうなのか?
自分勝手に振る舞えなんて言わない。
でも、『自分が好きでやってるんだから』でやってもいいものもあるはず。
SNSは特にそう。
誰かとつながる場所ではあるけど、承認欲求を満たして、ネット上の友達だけが多いのは悲しい。
イイねを100貰えなかったら価値がないなんて事があるわけがない。
インスタ、ブログ、ツイッター、つぶやき、これらは個人がやりたいように(但し、相手に不快を与える内容を投稿する人もいるけど…例えばあからさまな自慢とかね)したい時にしたい内容をするもの。
人目を気にしてもいいけど、それは苦しいんじゃないのかな?と思う。
どう見られてる?私、ちゃんといい評価もらえてる?
そんな風に気を遣いながらやっているSNSは、いつか限界がくる。
話は少し変わって、結婚もそう。
彼、私のこと愛してくれてる?
安心させて欲しいの。
〜して欲しいの。
好きになって欲しいの。
受け入れて欲しいの。
これは『認めて欲しい』という意味では、求めているものは両者とも変わらない。
『褒めて欲しい』という欲求が不足していると、こうなる気がする。
けなされてばかりじゃ、そりゃあ褒めてもらいたくなる。
けなされて伸びる子もいるが、私は褒められて伸びる子(笑)
褒めてもらうことは、自分を認めてもらうことにつながる。
認めて欲しい、ばかりで生きていると、相手がいなくなったと同時に、自分を失う。
ううん、元々、『自分』がないから、相手に承認や評価を求める。
じゃあ自分が自分を褒める評価者になったら、
それは永遠に自分の味方となる。
永遠に自分を認めてくれる。
自分が、自分のことを満たす。
これが自信というもの。
〜して欲しいではなく、〜してあげたい。
認めて欲しい、ではなく自分が自分を認めて周りを、相手を認める。
愛して欲しいではなく、まず自分が愛す。
周りに求めていると感じたら、その意識を逆にすると、自分の足できちんと立てるようになる。
自立出来る。
そうすると、他人の価値観にぶれなくなる。
周りをひたすら気にすることがなくなる。
自分を持つこと、それは、揺るがない自分を作って、自分を守るため。
そして、周りを認めていくため。
その為に必要となる。
求めるだけは、依存になる。
依存が良くないのは、相手によってブレるし、それによって自分がいずれ崩れるから。
相手が崩れれば同じく自分も崩れてしまうから。
相手がずーっと自分を守り依存させてくれればいいけれど、そんなうまい事はなくて…。
自分をしっかりさせることは難しいけれど、『周りの評価』ではなく、自分の評価に自信を持つことで、きっと生きやすくなることは沢山あるんだろうな。
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