生きていてはいけない人は居ない

こんにちは、AniesLeeです。

障がいを持っていて、「自分は生きていていいんだろうか?」と思う方に。
はっきり言えることは
「生きていてはいけない人」というのは居ません。

私は広汎性発達障がいで、自分のことについて表現するのが時に上手くないこともあって、
絵を使いながら説明されないと解らないこともたまーにあるし、一つの事に集中しだすと過集中で徹夜をやる事もたまーにある。
でも、この世界に生まれてくるときにそういった苦手を自分で選んでいたのだとするなら、
その苦手に向き合う事で知れるものが如何に重要なのかを自分で知っているからだと思います。
多分、私はコミュニケーションを取ることの大切さやそこから見えてくる愛を身を持って知りたいからだと思います。

障がいをかかえている人にとって辛いこともあれば苦悩することも沢山あると思うし、
何で自分は・・・と自分を責めたくなる場面も沢山あると思います。
ただ、健常者全てが正しくて絶対かって言うと、たまーにそうでもないこともあるんだよね。
何をそんなに急いでいるんだろうか?とか、大事にする物事が違うんじゃない?とか、正直に言う事の何がおかしいの?とか、想像力働かせてみたらいいのにとか・・・

障がいを抱えている人というのは、「命の大切さ、生きるというのはどういう事だろう?」という本質に日々向き合っている人だと思います。
「愛ってなんだろう?」という本質に日々向き合っている人だと思います。
他にも色々あると思います。
それら日々実際に経験したことを他の人に伝える存在ではないかと思います。
急いでいる人にはゆったり生きる事の大切さを、地位や名誉に囚われている人には愛の大切さを、嘘でかくしている人には真実を話すすばらしさを・・・
他にもいろいろ、あれこれ。

そもそもが、どちらが優勢でどちらが劣っているかと言うものではなくて、助け合いの精神で社会って創られていくものです。
人にはそれぞれ何らかの役割があって、お互い助け合い補いあっていくものです。
それが目に見えるものの場合もあれば目に見えないもの(愛や希望や勇気とか)の場合もあります。
人や何かと比べる必要は本来無いものだと思います。
互いに教え、教えられて成長していく。
それは大人だろうが子供だろうが関係ないし、地位や名誉も関係ないはずなのです。

色々なことを急いで出来るようになる必要もないと思います。
急がば回れ。その方が得策だという事もあります。
急いで何かをするよりも、じっくり向き合った方がしっかり身につきますし。
私に関して言えば、自分の考えを文章化するのがあまり得意じゃありません。
(句読点の使い方をなんとか理解できたのは中学2年頃でした)でも、文章を書くのは楽しいのです。
急いで出来るようになって楽しくないよりも、じっくり向き合って楽しさを見出す方が人生も楽しくなると思います。
その人生のすばらしさや楽しさを本当の意味で知れる存在、伝えられる存在を「生きていてはいけない」と果たして言えるのでしょうか?
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