違和感を覚えた日本語

先日、遅刻したのに謝らない職場の人にイラっとした際、周りの人に『謝らせたいの?』と言われたことに関して、もう1つ感じたことがある。

これは謝罪だけでなく、感謝とかもそうなのだけど、

「あやまらせる」

「感謝される」

なんか変…させるって…?

そもそも、こんな日本語ってあるのかな?

常識だの礼儀だのマナーだのの話にも突っ込むかもしれない。

でもなんか、押し付けっぽい感じがする…。

常識を知らない人を叱って、その人に「あやまらせる」とかありそうなんだけれども…

なんだけど、違和感の正体を考えてみると、あくまで私の価値観でしかないのだけど。

感謝や謝罪に『させる』ってつけるべきではなくて、これらは『自然に出てくるものでやらされるものではない』ということ。

植物が芽吹くのを、『芽ぶかせる』なんて言わない。

ありがとう、申し訳ない、は本人がそう思えば口に出す。

その場の雰囲気で、言わされることもあるかもしれない。

それでも、言わせるっていうのは、その人の心からの気持ちではない見せかけのもの。

そんなものを私は貰っても嬉しくないし、そんな礼儀や気遣いだと思えない気遣いはいらない。

私は遅刻した人に、『あやまらせたい』なんて思わなかった。

申し訳ないという気持ちがないなら、別に謝罪はいらない。

でも、言わないことも、そーゆーこともあるんだと思えなかったし、尚且つ『あやまらせたい』という、『あなたは無理にあの人に謝らせるということをしたいのですか?』みたいな否定的な意見みたいな、圧力みたいなものが、とても嫌だった。

社会は多数決のところが大きい。

私以外のそこにいた全員が、『いや、あーゆー人だし謝らなくていいでしょ』と思うなら、私だけが違う者だ。

そーゆー意見もあるよね。

そんな言葉はどこからも来ない。

何か1つの答えしか出ない。多様性などはなくて、変わった意見を出す私は、常に変な人だ。

それで笑いを取れることもあれば、1人で違和感を覚えて孤独を覚えてかなしくなることもある。

少し脱線したけど、最近感じた違和感をなんとなく分析して、書いてみた。

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