死にたい人への接し方

こんばんは、キュウです。

キュウのカジュアルブログ第8弾!今回は、死にたい人への接し方について考えてみようと思います。

よければ、皆様も一緒に考えてみてください♪

はじめに

私がこのブログを書こうと思ったきっかけは、友達との会話の中でいろいろなモヤモヤが溜まったからでした。

友達がいうことがどうもしっくりこない。モヤモヤする。言いたいことはわかるのに、モヤモヤする。

そのモヤモヤを素直にブログに書き出してみることで、もっと様々な価値観に触れ合えるんじゃないかと期待して、ブログにしてみようと思います。

コメントでも、twitterのリプでも、DMでも、ココトモハウスでお会いしたときにでも!皆様が死にたい人への接し方で気をつけていることをお話ししてくださると嬉しいなあ。

それでは、キュウが感じている「死にたい人への接し方」、よろしければお付き合いください♪

死にたい人の「死にたい」って本当?

私の友達が言っていたのは、

「死にたい人って、なんで人に「死にたい」って言うの?そんなに死にたいなら一人でさっさと死ねばいいじゃん。人に話すなんて迷惑」

という意見でした。

ネットを見ると確かに、そういう意見が書かれている掲示板などありますよね。

キュウにもかつて死にたい時期がありましたが、「死にたいのに死ねないのは勇気がなかったからだ」とか、「死にたい奴は勝手に死ね」とか、自分が死にたいときにそういう言葉をみては、「死にたいと言いながら死ねないなんて、自分はなんてダメなやつなんだ。社会のゴミ屑以下だなあ。」なんてことを考えながら毎日を過ごしていました。

でも、それって本当に「社会のゴミ屑だから」死ねなかったのでしょうか??そもそも私は「死にたい」という気持ちを抱えながらも、本当に死を実行したかったのかなあ??

「死にたい」という言葉の裏側に

キュウは最近思うんですが、死にたい人の「死にたい」っていう言葉の裏側には、いろんな意味があると思うんです。

人によっては「誰か助けて」だったり、「かまってほしい」だったり、「死ねないのはわかっているけど、今は死にたいほどに辛いの。わかって」だったり、「自分はこれから死ぬ覚悟だけれども、この人には最後に話しておきたい」だったり。絶望の表現として「死にたい」と口にすることもあるだろうし、本当に辛くて死ぬ覚悟を決めるために自分に言い聞かせることだってあるかもしれない。

私の想像力が乏しくてこのぐらいしか思いつかないけど、本当はもっともっとたくさんの気持ちが、深ーく深ーく隠されているかもしれなくて。

「死にたい」という言葉の裏側には、死にたい人の数だけ複雑な意味があって、「死にたきゃさっさと死ね」と一蹴にするにはあまりに繊細で、奥深い言葉なんじゃないのかなって。

 

私が20年間ずっと死にたかった時期にも、いろんな人に「死にたい」と相談していましたけど、その理由はあんまりわかっていなくて、でも死にたいほど辛い気持ちを抱えているという事実だけが目の前にあって。

「なんで死にたいか」わかったのなんて、死にたい気持ちがなくなってからですよ。それまで、ずーーーっと自分の死にたい理由がわからないまま「死にたい」という気持ちだけに悩まされていたんです。

そういう人もいるんです、「死にたい」と口に出す人の中には。

もしかしたら、自分の「死にたい」の理由がはっきりわかっている人の方が少ないのかもしれない。そういう人にとって本当に重要なのは、「死にたいけど死ねない」のが悩みなのではなく、「理由は明確にはわからないけどなぜか”死にたい”という気持ちを抱えていること」自体が一つの悩みなのかもしれません。

「死にたい=自殺の実行」ではないのかも

「死にたい」と口に出す人の全てが「本当に死を実行したい」わけじゃないのかもしれない。かつての私のように、「自分がなんで死にたくなっちゃうのか自分でもわからなくて、死にたい気持ちを消したくてもがき苦しんでいる途中」なのかも。

「人として、死にたいと思ってはいけない」という世間体と、「死にたい気持ちを感じている現実」の狭間でもがき苦しんでいる人たちの心の叫びだったりするのかもしれない。

 

そういう可能性を全てひっくるめて「死にたい」という一言を聞いた時、あなたはなんと答えるでしょうか?

全然答えがわからない。正解もない、難しい問題。

キュウは、死にたいという相談を受けたあなたが、相談してくれた人の死にたい気持ちや、その他いろんな気持ちと精一杯向き合おうとすれば、それが最善の向き合い方なんだろうと思ってます。

一人一人と大切に向き合う

「死にたいのならさっさと死ね」という言葉は、「死にたい」と口にする人にかけるにはあまりにむごすぎると思うから、キュウは誰にも使いたくない。

そうじゃなく、「死にたい」のわけを一緒に考えたり、「死ぬ前に一緒に楽しいことしようよ」と、一緒に気晴らしに出かけたり、「そっか、死にたいんだ。」と気持ちを受け入れたり、とにかく自分なりの方法で

「あなたは私にとって大切な存在ですよ」

と、言葉や態度で表すことが、「私はあなたの味方ですよ」と自分の全力を使って精一杯伝えることが、大切なんじゃないのかなあって。

あくまで私の気持ちですけど。しかも、こんな偉そうに書いといて、私も満足にできるわけでもないし、本当に難しいことだけど。

もちろん、伝えたつもりになって、自己満足で「私っていい人♪」となりたいわけじゃないですよ?そうじゃなくて、本当に相手のことを大切に思っているってことは、やっぱり伝えようとしないと伝わらないと思うんですよ。だから、そういう努力を心を込めてしていきたいなって話で。

なんだろう、言いたいことちゃんとかけてるのかな私。言葉にできないのがもどかしい。。。

 

大切にしようと全力を尽くしても、結局伝わっていないこともあるし、そんなキュウ自身ももどかしいです。

死にたいなんて、贅沢?

私の友達が次に言ったのは、

「発展途上国では、医療・衛生面の発達が不十分な環境に生まれてしまったために生きたいのに死んでいく運命の人もいる。日本人は生きようと思えば死なないでいられる恵まれた環境にいるのに、なぜ死にたいというのか。おかしい。」

という意見でした。

言いたいことはすごくわかるし、キュウもそのように思っては死にたい自分を責めていた時期もありました。

一人一人の心を見つめる

そんなこんなで色々苦しんだ結果、今になって思うのは、

「生きたくても生きられない発展途上国の人と死にたいと言っている目の前の日本人は全く別の人間である」

ということ。

育ってきた環境も違えば、周りのひとや本人の価値観や、一人一人の個性も違うわけで。そんな人たちの気持ちを「あの人は生きたくても生きられないんだから、あんたは死んじゃダメ!環境に感謝するべき」というように押し付けるのはなんか違うなあって。

それって、「あの人はこういう方法で成功したから、あなたもこれで成功できる」と誰かにアドバイスするのと一緒なんじゃないかなあとおもうのです。誰かがある方法で成功したからって、他の誰かも全く同じ方法で成功できるわけじゃあないじゃないですか。

 

それと同じように、「発展途上国の生きたくても生きられない人」と、「死にたいと言っている目の前の日本人」は全然別の問題を抱えていて、それぞれに心底困っていて、それぞれが自分に合った異なった助けを必要としているんですよ。

確かに、日本は衛生面や医療環境には恵まれているかもしれない。でも、心を病んでしまう人が多いということは、日本は精神衛生的にはもしかしたら恵まれてはいないかもしれなくて。その中で強く強く生きられる人もいるけれど、不安や周りの言葉やプレッシャーに押し潰されてしまう人も多く居て。それは、良い悪いとかじゃなくて、事実として受け止めるべきことだなあとキュウは感じていて。

そこに「発展途上国で困っている人達」を持ち出しても、お門違いというか、二つの辛さは比べられるものじゃないと思うんですよ。キュウはそれを比べていいものだと思えない。どちらも深刻な状況だし、どちらにも必要な助けを差し伸べてあげたいじゃないですか??

そう感じている人は、多分私だけじゃないと思うんです。

キュウは全部を受け止めたい

だからキュウは、死にたいときには素直に死にたいって言ってほしいし、死にたいわけを聞かせてほしいし、死ぬ前に何をしたいのか一緒に考えたい。

どんな気持ちも全部全部受け止めたい。

死にたいのもその他の悩みも全部全部引っくるめて「あなた」なんだよ、と、抱き締めて受け入れてほほえみかけたい。

多分、キュウはそういうのが好きなんだろうなーと思います。

 

でも、私は発展途上国の困っている人に直接支援をする能力は持ち合わせていないし、心の悩みを持った人にも十分な助けを与えることもできていないので、現実にはキュウは誰のなんの助けにもなっていないのかもしれないけれど。

…何もできない私が何を偉そうにブログ書いてるんだろうな。

不快に思われた方、すみません。でも、キュウは自分の考えを発信することはやめません。むしろ、不快に思ったことを私にぶつけてほしい。私の悪いところはなるべく直したいし、皆さんに同じように愛を注げるようになりたいから。

 

いやー、自分勝手だな私。

 

これからも精進していきます。

 

追記

このブログを書いてから、様々な反響がありました。

特に心に残ったのは、まいんさんの

助けを求められる側だって、助けを求める人から見たら「しっかりしてる!頼れそう!なんとかしてくれそう!」と思ってしまうのかもしれませんが、その人だって微妙なバランスで生きているのかもしれない。
それなのにずっと「死にたい死にたい」と大きな負荷をかけ続けたらパンクして余裕がない言葉をかけてしまう人は多いのでは?それは助けを求められた側も「被害者」なのでは?と私は思います。

 

というお話でした。

これは本当に大切な意見で、キュウにも思うところがあって。

追記して書いたほうがいいなあと感じたので、追記させていただきます。

自分を大切にしてもいい

キュウは、まいんさんのコメントの内容を読んで、昔自分が「死にたい」と言う友達にのしかかられてしまった経験を思い出しました。

後輩の「死にます」という言葉

彼女は中学校の不登校教室で一緒だった後輩で、不登校教室に行くとたまに顔を合わせる子。だんだん仲良くなってくると、キュウと、もう一人のキュウちゃんと、彼女と、もう一人の後輩とで、よく遊びに出かけるようになりました。

そんな彼女から「死にたい」という相談を受けたキュウは、彼女と過ごす時間をたくさん取るようにしたり、お話しを聞いたり、彼女のためにできると思ったことはなんでもやってみました。彼女を受け入れ愛したらきっと死なないでくれるだろうと思ったから。

でも、ある時に、突然「今から死にます」という連絡が来て。

それに驚いた私とキュウちゃんは、自分たちの予定をキャンセルして、急いで彼女の家に行きました。

彼女が落ち着くまでお話しを聞いて、落ち着いたら「ごめんね、帰るね」と心配になりながらも帰って。その時は、予定が狂ったし、びっくりしたけど、彼女が死ななくてよかったなーと思いました。

増える「死にます」の連絡

それからというもの、彼女は頻繁に「今から死ぬ」という連絡をよこすようになっていって。最初はそれになるべく付き合って、会いに行ったり電話をしたり、辛抱強く付き合っていましたが、だんだんキュウも疲れてきて、

 

…しんどい。

 

と思うようになって。勉強の時間とか自分の予定とか、全部犠牲にしないと付き合えないようになっていったから、本当にしんどくて。

それをしんどいと思ってしまう自分が嫌で、でもしんどいのは本当で。

友達が死ぬかもしれない恐怖に怯えながら連絡をみるって、本当に本当にしんどいことで。「見捨ててはいけない」みたいな気持ちがあったからなかなか言えなかったし、「自分が連絡をとるのをやめたらこの子はどうなってしまうんだろう。私が連絡を絶ったせいで死なれたら私のせいだ。」みたいな気持ちもあって。

でも、しんどくて。

どうしたらいいのかわからず悩んでいた時に、ある人からアドバイスをもらいました。

「自分を大切にする方が先だよ」

あなたがしていることは「いいこと」かもしれない。でも、そのせいで自分が潰れてしまうのは、なんか違うよね。

あなたには勉強も必要だし、他の友達との付き合いだって必要。あなたの人生の大切な時間が危うくなるのなら、その人と連絡をとるのはやめた方がいい。他の人のことを考えるよりもまず、自分を大切にする方が先だよ。

たぶんこんな感じの言葉だったと思います。いや、もっと言い方はキツかったかな。意味はこんな感じ。

色々モヤモヤする部分はあったけど、キュウは試しに彼女に「もう連絡を取ることはできない」ということを伝えてみました。

すると彼女は「キュウは変わったね。そんな人だと思わなかった」とかなんとか、色々私を責める言葉を投げつけてきたので、「ああ、この人って、都合のいい私を利用していただけなんだなあ。」と感じて、自分はそんなのに振り回されて、何てバカだったんだろうなーと思いました。今振り返ると、あなたの「死にたい・死にます」に付き合うことで使った私の時間と労力を返してーとか思っちゃう。

 

…思っちゃダメかもしれないけれど。

 

でも、私には、私が変わったんじゃなくて、彼女が豹変したように思えました。彼女にとっては、私は友達じゃなかったんだなあ、とか。

ちなみに、彼女は今も死ぬことなく、色々な「彼氏」に依存して生きているという噂を耳にします。

背負えないものは背負わない

たぶん、まいんさんや他の「死にたい」と相談された”被害者”の方々は、キュウの後輩みたいな人ではなく、相手が本当に死んでしまったりとか、全然違う性格の方に相談されてのしかかられたのだと思うので、こんな例からお返事にしていいのかわかりませんが、キュウも「死にたいと相談された側の人が過剰に精神的な負担を背負う結果になることはあり得る」と思います。

 

そして、そんな時には、死にたい人と無理に向き合わなくてもいい。

自分を大切にしちゃっていいと思います。背負えないものは背負わなくていいんです。

相談を受けたあなたが、自分が重く負担に感じるぐらいに物事を犠牲にしてまで相談に乗ることは、あなたを大切に思う人なら、だーれもあなたに求めていません。あなた自身が一番大切です。

それは、ココトモのスタンスと似ている部分でもあるけれど。

だから、そういう時は精一杯自分を守って欲しいなって思います。

おわりに

今回は、キュウが最近感じている「死にたい人への接し方」について書いてみましたが、いかがでしたでしょうか??

他にもたくさん接し方はあるだろうし、全部が全部正しくもなければ、間違ってもいないと思います。正解はないと思うんです。

 

その中で、キュウが一番大切だと思うのは、(繰り返しになりますが、)

死にたいという相談を受けたあなたが、相談してくれた人の死にたい気持ちや、その他いろんな気持ちと精一杯向き合おうとすること

なのかなあと思います。

気持ちを否定せず、他の例を持ち出して説得しようとするでもなく、その人本人のいろんな気持ちをありのままに受け入れようと頑張る、というか。

 

 

あなたは、死にたい人とどのように向き合いたいですか??

よかったら、キュウと一緒に考えてみてほしいです。

 

様々なコメント、お待ちしております♪♪

 

 

ではでは、次回のブログでお会いしましょう!!

 

 

キュウ

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コメント一覧

全31件
  1. schedule2022.08.28

    みづき

    死にたいと検索しても自殺防止センターの電話番号が1番上に出てきて、ほかのネットでの意見なども、誰もこの死にたい気持ちにしっくりくることは言ってくれない、分かって貰えないものなんだと思っていましたが、こちらのブログを読んでとても腑に落ちました。本当にその通りなんです。誰かの死にたいという気持ちには千差万別のとても深い、他人には理解できないものがある。でも向き合うことはできる、というのはその通りすぎて。あまり重く受け止めずに「あなたは頑張ってる」などの肯定もせずに「そうなんだ」って言ってほしいだけのこともある。相談された側が判断するのは確かに難しいですが、考えてくれるだけでありがたいんですよね。
    自分を一番大事にするのが重要というのも共感できました。相談する側も「相談すると迷惑なのでは」と考えたりするので、聞けるのはここまでだとはっきりいってくれた方が楽なこともあると思います。
    やっと死にたい気持ちに対して納得できるまとめを見つけたのでコメントしてしまいました。乱文すみません。

  2. schedule2020.03.08

    休校中の中学生

    長文失礼致します。
    親友から急に死にたいというメールが来て慌てて返信して止めたのですが、自分はきちんと相手を思った行動をできていたのかとても不安でした。
    親友の家はすぐには行けないところにあって、おまけに休校中なので学校でも会えません。
    明日起きて相手がいなかったらどうしよう、と思うととても恐ろしいです。
    でも、キュウさんの文章を読んで相手の心境を少しは理解できたかな、と思っています。本当に素敵なブログをありがとうございます。
    夜分遅くに申し訳ありません。

  3. schedule2019.08.07

    yaminabe

    私は、最近子どもたちの話を聞いていると、
    「死にたい」という言葉を聞いた時の事も
    含めて、カギになる言葉は例えば「お疲れ様」
    とか「お大事に」みたいな言葉にあるん
    じゃないかと思います。

    「お疲れ様」ってのは、「今日は疲れたでし
    ょう。あとは体休めましょ」という意味で、
    「お大事に」ってのは、「人間何をやるにも
    心と体がなければ出来ないんだから、心と
    体は大事にね。」
     少なくともうちの町では仕事終わりにあがる
    人とか、体調を崩した人相手には普通に使わ
    れてる言葉なんですが、どうも追い詰められた
    子どもたちの話を聞いてると、その周囲の大人
    がこういった、人を「労わる」言葉を忘れている
    と思われるケースが多いです。自分の苦労ばっか
    声高に主張して、相手の苦労話はテキトーに
    聞いてるのでは?と思えます。で、子どもが
    その犠牲になっていじめなどの非行に走ったり
    している事もあれば、感受性の強い子が潰されて
    る話もあります。「死にたい」って言葉がネット
    上でよくある時代背景として、私はそれがどうし
    ても無視できないのです。加えて、根性論も
    いまだに根強いし。
     だから、私は「人をいたわる言葉」を伝承して
    いく事が日本に生まれた大人としてやるべきこと
    だと考えています。

  4. schedule2019.03.30

    naomi

    死にたい人と無理に向き合わなくてもいいっていう言葉と、
    死にたい気持ちや、その他いろんな気持ちと精一杯向き合おうとすることが一番大切っていう言葉があるので、それもあるので、私はキュウさんのことが意味が分からないです。

  5. schedule2018.05.29

    phoenix

    最終コメントが、一年近く前のものだけど、
    「きゃ~~~うんうん、ほんとそうだ」と首を深々折り曲げながら読ませて頂きました。

    死とひとくちにいってもいろいろな意味が隠された言葉だと思います。普通は肉体が死ぬことを連想するけれど、心の死もある。古くなった心の皮を脱皮みたいに脱ぎ捨てるのも死かも知れない。新しい自分に「生まれ変わる」ため、象徴的な死を通過儀礼として体験するのは、古来から様々な場所で行われてきたことです。ある意味、人は誰でも、「死と再生」の儀式を通過する必要があるのかもしれません(私もやりました)。
    「死んでしまいたい」という時、それは単に自殺を暗示するのではなくて、キュウさんも書かれているように、もっと深く、繊細な意味が含まれていると私も思います。そして、それがあまりに心の深い深い動きであるだけに、死にたいとき私たちが自ら自覚できるような薄っぺらいものじゃないんだと思います。

  6. schedule2018.05.13

    みぃ

    すごく同感です。死にたいと相談する側の気持ちも、死にたいと言われる、相談を受けるアドバイスする側の気持ちも、両方、私も分かるので、とても、心に響きました。深い言葉ですね。考えさせられるブログ、ありがとうございます!とても尊いお言葉ですね!

  7. schedule2018.02.23

    48歳 病めるおじさん

    自分を大切にするべき、というのはよくわかります。友達なら切ればいいですね。
    でも、家族ならそうはいかない…
    私は妻に10年以上死にたい、死にたいと言われづけています。
    少しよくなって言わなくなったかと思いきや、少し調子を崩すと数日、数週間、数ヵ月、会社にいても死にたいと連絡してきます…
    ここ最近また続けさまに言うようになり、ここにたどり着きました。
    自分が嫌で嫌で、嫌いで仕方がない、自分なんかいる必要ない、と、何度も言います。
    必要だよ、大切だよ、と何度も何度も言ってますが、全く聞き入れてくれません…
    どう接したら変わるでしょうか…

  8. schedule2017.07.19

    カフカ

    今まさに「死にたい」と言ってる人がいます。
    その人とはとあるSNSで知り合って仲良くなりました。
    でも、1ヶ月ほど前から「疲れた」「寝ても疲れが取れない」「生きることに疲れた」「苦しい」という言葉が増えてきて、今日の朝「今夜で全て終わりにしたい」とメッセージが来ました。
    夕方になって「仕事終わった、疲れちゃった」と連絡が来てから「このまま死んでしまうのではないか」と冷や汗が止まらないです。
    今現在、相手の方は「眠る、また起きたらね」と言って返事が止まってます。
    もし起きなかったどうしよう、起きてメッセージが来た時に私はなんと答えればいいのか分からなくて不安でとても怖いです。
    その人とは顔を見たこともなければ会ったこともありません。
    住んでいる所も離れていて何かあった時、すぐに助けに行ける距離ではないです。
    だけど、その人に生きてほしいんです。

    変な文章で申し訳ありません。
    どうしたらいいのか迷っている時にこの記事を見つけましたので、コメントさせていただきました。

  9. schedule2017.05.29

    たまだんな

    自分の妻も同じように、何かあるたびに「死にたい」という言葉を使います。
    一緒にいても何か嫌なことがあるとすぐ、子育てをしていてしんどいとすぐ。
    私が手伝うことは、一時のごまかしのようにまた同じように「死にたい」といいます。
    夫婦ですから相談されて突き放すこともできず、自分なりに接してみてはいるものの、私も精神的に限界を感じています。
    楽しいことやうれしいことで対応することもありますがごまかしているみたいで本当の部分は解決していないのもわかっています。
    日常的にしてあげれたらいい些細なこと、それがわからずどんどん気持ちが落ち込んでいました。
    私も「死にたい」といっていたことがありますが、今にして思えば本気ではなかったと理解しています。
    あの時にだれにどのように助けてもらったか、記憶がよみがえってほしいです。

    今日ふと検索にヒットし、よく読ませてもらいました。
    あまり話すことが得意ではないのですが、まめに声をかけることから始めてみようと思いました。
    精神的限界は自分が勝手に思っているだけで、今は限界ではないんだと思ってもう少し頑張ってみます!!

    また来ます(^^)

  10. schedule2016.03.09

    hiro70

    辛くても自分は大丈夫なので。。

  11. schedule2016.03.05

    キュウ

    たかれん様ー!!ありがとう❤︎
    うん、一緒になやんで成長していこうね!一緒にだよ!!(笑)(笑)

    yoshimiさん
    それはお辛いですね…。よかったら、お話お聞きしますよ。
    コメント欄は見逃すことが多いので(すみません、最近気づきました)メール相談の方からお聞かせいただければと思います^^

  12. schedule2016.03.03

    yoshimi

    自分は、死にたいと思う側の人間です。
    何をやっても、うまくいきません。
    途中で断念してしまいます。
    ダイエットもダメ、禁煙しようとしたけど、ダメ。
    ダメダメ人間なんだと思います。
    生きるのが、とてつもなく辛いです。
    4月から一年間資格を取るための学校へ行くんですけど、朝起きるのが苦手で、朝ちゃんと起きるための練習をしてるんですけど、全然起きれなくて、こんなんで大丈夫なの?と不安で、プレッシャーで‥。学校へ行くの辞めてしまおうかなぁとも思ってしまいます。

  13. schedule2016.02.25

    鷹れん

    キュウちゃん。遅ればせながら参上いたしました、鷹れんです。

    いろいろ考えさせられるブログでした。

    「死にたい」
    すごい、影響力のある言葉ですよね。

    死にたい人への接し方。
    今の私には、まだわかんないです。きっとこれから先もずーっとわかんないまま。
    でも、わかんないまま放置するわけではないです。わかんないなりに、全身全霊で向き合って、その人に合った方法を(自分にできる範囲で)模索していきたいと思ってます。

    世の中には「死にたいって言うな」と言う人がいます。(体験談)
    死にたいって言葉をきくとすごく不快な気持ちになる。だから、死にたいって言うな。死にたいんだったら一人で死ね。
    そんなような言葉でした。

    思い返せば当時の私は、本当に死にたかったわけではなく、「逃げたい」とか「怖い」とか「つらい」とか「苦しい」とか「痛い」とか、そういう諸々の葛藤や想いをひっくるめて「死にたい」という言葉にしていたのだと思います。

    たしかに、死にたいって言われる側も消耗する。ずーっとその言葉を聴いていれば、相手に寄り添おうとすればするほどしんどくなるときもある。
    だから、その人の言葉も今では理解できます。

    でもだからこそ、私は「死にたい」という言葉を発してくれる人に、ありがとうを伝えたいです。

    その言葉があるから、抱きしめたり、自分なりの言葉を考えて伝えたり、「好き」って言ったり、態度で「大切だ」ということを示したりできるのだと思います。

    ・・・ってなんか、まとまらないなぁ。

    「死にたい人への接し方」で私が唯一あげるとすれば「感謝を忘れない」ことですかね。

    その人に一生寄り添うことはできないかもしれないけれど、その人がその感情を外に出してくれたこと自体は、すごく嬉しいから。

    ・・・どれが正解か、なんてわからないけれどね。
    これからも、自分なりに向き合っていきますわ。ステキなブログを有難う(o´□`)

  14. schedule2016.02.25

    キュウ

    hiro70さん
    遅くなってごめんなさい。
    そうなんですね。。。悲しいですね、突き放された感じがしちゃいますよね。

    まいんさん
    ありがとうございます!色々難しいですね。
    でも、こうして自分の思いを発信することで、様々な視点からの意見が聞けたし考えるきっかけにもなって、キュウはよかったと思っています。これからも悩んで悩んで、そのときそのときの大切な答えを見つけていこうと思います。

  15. schedule2016.02.23

    まいん

    追記お疲れさまでした。美しくまとめてくださってありがとうございます。
    自分の意見が(何故か)入った!というのを抜きに、前バージョンより私はずっと好きです。死にたい人を良かれと思って助け続け、気づいたら自分が死にたい人になっては本末転倒な気がします。
    かといって性格が真面目すぎたり正義感が強すぎたり、その人への愛着や関係性が深い人ほどのめり込んでしまいやすいのでいろんなケースを考えると(例えば対家族、だったりとか)難しい話だと思います。

  16. schedule2016.02.23

    hiro70

    返信ありがとうございます・・
    裏切られたって気持ちより悲しいって気持ちが強かったです。

  17. schedule2016.02.23

    キュウ

    hiro70さん
    お話してくださってありがとうございます。そんなことがあったんですね…。
    hiro70さんはそれを言われて裏切られた気持ちになったのでしょうか?辛いならお話聞きますよ。このコメント欄でもメール相談でも、お待ちしています(*^^*)

  18. schedule2016.02.23

    キュウ

    まいんさん&皆様

    ブログ、追記しました。皆様がコメントをくださったお陰で、私の記事の足りない部分がたくさん見えてきたなあと思って追記できたので、本当によかったです。ありがとうございます。

    まだまだ至らない若造ですが、これからもよろしくお願い致します。

    キュウ

  19. schedule2016.02.23

    キュウ

    タイトルさん、ありがとうございます(*^^*)
    素敵ですね!私の考えと良く似ているなと思いました。
    お話してくださってありがとうございます✨✨

  20. schedule2016.02.22

    hiro70

    仲良くて信じてた人に、死にたいと言ったら、死にたいなら勝手に死ねばいいと言われたことがあります・・今もその言葉は頭の中から離れませんね。。

  21. schedule2016.02.22

    タイトル

    きゅうさん

    通りすがりのコメントに対しレスをありがとうございました。
    そして、どうやら途中で送信していたようです。以下に続きを書きます。

    共同作業の結果、相手の本心に少しでも触れることが出来たとしたら、仮にそれが私にとっては残念なものであったとしても、「尊重」したい。
    …でも、互いの価値観の共有を通じて、きっと相手の心にも何かしらの変化は起こっている。
    傲慢かもしれませんが、少なくとも私はそう信じたいと思っています。

  22. schedule2016.02.22

    キュウ

    タイトルさん、コメントありがとうございます!
    そうそう!キュウもそう思います!!タイトルさんが言葉にしてくださってすっきりしました!!「相手の意思の尊重」や「話す側と聞く側の共同作業」の部分にとても共感しました。話す側と聞く側の共同作業ができるのが理想的ですよね!!理想は理想なので、現実にするのは難しいこともありますが。

    タイトルさんからも意見がいただけて、キュウは本当に嬉しいです^^
    他の方からのコメントも含めて、もう少しじっくり考えて自分の中で消化できたらこの記事にもう少し付け加えようと思います。
    コメント本当にありがとうございました!!

  23. schedule2016.02.21

    タイトル

    興味深いお題ですね。
    個人的には、相手の意思を「尊重」することが大切なのかな、と思いました。
    「死にたい」の裏側にある本心は、言葉を発した本人にしか分かりません。
    止めて欲しいのか、突発的に口にしたくなっただけなのか、はたまた既に覚悟を決めているのか…
    そして、相手の本心を理解するには、こちらも偽りのない本心で接するしか無い。あとは、互いの価値観を如何に共有できるかが鍵になりますね。
    全ては話す側と聴く側の「共同作業」であって、決して一方的なものではないのだと思います。

  24. schedule2016.02.21

    キュウ

    ぬいさん、コメントありがとうございます(*^^*)

    私もそう思います。死にたい人と向き合うって、すっごくすっごくエネルギーが要ります。だから、私は、相手の死にたいという気持ちを無理に変えようとしなくていいと思う。相手を変えるためにお話を聞くのではありません。

    なんだろう、相手が、自分の「死にたい」の中にある本当の意味を、自分自身で気付くことが出来るように話を聞いてお手伝いする、と言った方がいいのかもしれません。

    受け止めたい、ではなく、受け入れたい、の方が言いたいことに合ってるのかなあ。

    私は基本的に、人は悩むときには自分の中に答えが眠っているものなのだろうと考えています。でも、悩みすぎると、それが自分自身では解らなくなってしまうから、お話を聞くことで、頭や心を自分で整理するお手伝いをする、というか。

    色々話してみてやっぱり死にたい決意が強まるのなら、それはその人の決意なのだから私には止められないと思いますし、お話しするなかで別の何かに気がつけたのなら、それを解消するためにどうしたらいいのか考える方向に行けばいいなあと思ったり。やっぱり、「相談する人が自分で考えるお手伝いをする」がしっくりくるかも?

    本当、色々と難しいですね。キュウもまだまだ未熟なのに偉そうに意見をぶつけてしまっているので、読んで不快に思われていたらごめんなさい。

    キュウはぬいさんの意見が聞けて嬉しかったです。
    コメントありがとうございました(*^^*)

  25. schedule2016.02.21

    キュウ

    オハナさん、ありがとうございます(*^^*)
    またゆっくりお話しましょ♪♪

  26. schedule2016.02.21

    ぬい

    “死にたい”
    この言葉は結構曖昧なんだと思います
    きっともっと的確にその心境を言い表す言葉はあるはずなのに
    その言葉を見つけられないために
    その気持ちを“死にたい”という言葉で表現するのではないでしょうか
    こういう私もどう表現するのがいいのか適当な言葉をみつけられないのですが
    “死にたいという気持ちを受け止める”
    私にはそんなことはできないような気がします
    きっとその“死にたい気持ち”には長い歴史があって
    その人なりに長いこと悩んできた結果なのかもしれません
    その気持ちを受け止めるなんてことはきっと至難のワザだと私は思います
    “死にたい”という発言が一朝一夕に消えるなんてことはなくて
    もしかしたら自分が寄り添ったとしてもその言葉やその裏にある気持ちを変えることはできないかもしれない
    それでもその人に向き合う覚悟
    それを持つことができる人間はいるんだろうかと私は疑問に思ってます

  27. schedule2016.02.21

    ohana

    キュウさん、今の私にとっては、とてもタイムリーで心打つブログでした。私個人として、キュウさんのような対応は、私に合った対応だと思います。他の方は分かりません。
    私は負荷をかけたことも、かけられたこともある人間なので、まいんさんが言うように自分も共倒れしそうになったこともあるし、逆に友人に言われた言葉で『死にたいなら死んでもいいけど、これまでお世話になった人全員に、きちんと感謝を伝えなきゃ死んじゃダメだからね。』みたいな事を言われたことを凄く覚えていたりします。

    このブログに正解も不正解もないのかもしれないけれど、キュウさんが一意見として発したことには大きな意味があると私は思っています。私が誰が死にたいと言う人に対して接する時、私はこのブログの内容を思い出すでしょう、そしてそんな風に接すると思います。なぜなら、私がそう接してもらいたいと思うから。

    私は死を考える時は2パターンあって、強烈に思う時と、ぼんやりずっと意識にあって考える時と、あります。
    でもどちらになっても、接してもらいたいのは、キュウさんの方法だなと感じました。

    ありがとうございます♡

  28. schedule2016.02.20

    キュウ

    まいんさん
    お世話になっております。まいんさんからのコメントが来たと知ってキュウはワクワクしております!(*^^*)嬉しい✨✨

    まいんさんのコメントの内容、じっくりじっくり考えますね。あまり考えずにお返事してはいけないと感じるくらいに大切なことを言われた気がします。

    新しいブログを書くかもしれないし、このブログに少し付け加える形になるかもしれないし、ブログにはなにもせずコメント欄でお返事するかもしれません。どのような形になるかはわかりませんが、また改めてお返事させてください‼

    コメント本当にありがとうございました(*^^*)

  29. schedule2016.02.20

    キュウ

    はおとさん、ありがとうございます(*^^*)またお話ししたいなあ。(笑)
    今度飲みに行きましょうね♪♪

  30. schedule2016.02.20

    まいん

    「死にたい」には本当に「死ぬ」ことが必ずしも直結していないことは分かります。が、それに対して「じゃあさっさと死ねば?」と対応してしまう人は、それも見抜いているんじゃないでしょうか。かまってほしいのなら「とてもかまってほしい」と言えばよいし、助けてほしいのなら「申し訳ないけど今すぐ助けてほしい」とか言った方がお互い真意が確実に伝わる訳で。。。
    「死にたい」という言葉は、複雑で相手にものすごく大きな負担を(無意識に)かけてしまいますし。助けを求める側もそこまで追い詰められる前に早めにいろんな人にSOSを出しまくって出し続ける必要はあるんじゃないかなと思います。
    助けを求められる側だって、助けを求める人から見たら「しっかりしてる!頼れそう!なんとかしてくれそう!」と思ってしまうのかもしれませんが、その人だって微妙なバランスで生きているのかもしれない。
    それなのにずっと「死にたい死にたい」と大きな負荷をかけ続けたらパンクして余裕がない言葉をかけてしまう人は多いのでは?それは助けを求められた側も「被害者」なんのでは?と私は思います。しかも何とか上手くその人はその人で回してたのにその人も負のスパイラルに巻き込んでしまうのだから落差は大きいかも。
    「せめて身体・肉体的には恵まれているのだから、その上のレベルの精神的な問題で悩むよりは今恵まれていることを見直してみたら?」と言ってしまう「助けを求められ過ぎた人」を私は責めることもできないし、悪い奴だと思うこともできません。
    冷静さを持って精一杯生きようとしている、普通の人だとすら思います。

  31. schedule2016.02.20

    葉音

    キュウさんは本当に素直に自分の文章を書かれますね。
    カジュアルブログではないときも、何だかキュウさんと話しているような、あたたかさを感じます。

    「死にたい」って言う言葉、私も言っていました。
    その言葉は、もう本当に限界だったときに口から出るようになりました。
    誰かにひきとめてほしい、気にかけてほしい、そんな淡い期待もあったかもしれません。

    だから、「死にたい」という言葉は、やっと言えたSOSの言葉なのかも、と思っています。
    「死にたい」という方の苦しみを知る、最大の機会。
    SOSのサインを聞き逃さないようにしたいなぁと個人的には思っています。

    キュウさんのブログが素敵で、ついつい感想が長くなってしまいました(^^;

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