死にたい人への接し方
edit2016.02.19
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こんばんは、キュウです。
キュウのカジュアルブログ第8弾!今回は、死にたい人への接し方について考えてみようと思います。
よければ、皆様も一緒に考えてみてください♪
はじめに
私がこのブログを書こうと思ったきっかけは、友達との会話の中でいろいろなモヤモヤが溜まったからでした。
友達がいうことがどうもしっくりこない。モヤモヤする。言いたいことはわかるのに、モヤモヤする。
そのモヤモヤを素直にブログに書き出してみることで、もっと様々な価値観に触れ合えるんじゃないかと期待して、ブログにしてみようと思います。
コメントでも、twitterのリプでも、DMでも、ココトモハウスでお会いしたときにでも!皆様が死にたい人への接し方で気をつけていることをお話ししてくださると嬉しいなあ。
それでは、キュウが感じている「死にたい人への接し方」、よろしければお付き合いください♪
死にたい人の「死にたい」って本当?
私の友達が言っていたのは、
「死にたい人って、なんで人に「死にたい」って言うの?そんなに死にたいなら一人でさっさと死ねばいいじゃん。人に話すなんて迷惑」
という意見でした。
ネットを見ると確かに、そういう意見が書かれている掲示板などありますよね。
キュウにもかつて死にたい時期がありましたが、「死にたいのに死ねないのは勇気がなかったからだ」とか、「死にたい奴は勝手に死ね」とか、自分が死にたいときにそういう言葉をみては、「死にたいと言いながら死ねないなんて、自分はなんてダメなやつなんだ。社会のゴミ屑以下だなあ。」なんてことを考えながら毎日を過ごしていました。
でも、それって本当に「社会のゴミ屑だから」死ねなかったのでしょうか??そもそも私は「死にたい」という気持ちを抱えながらも、本当に死を実行したかったのかなあ??
「死にたい」という言葉の裏側に
キュウは最近思うんですが、死にたい人の「死にたい」っていう言葉の裏側には、いろんな意味があると思うんです。
人によっては「誰か助けて」だったり、「かまってほしい」だったり、「死ねないのはわかっているけど、今は死にたいほどに辛いの。わかって」だったり、「自分はこれから死ぬ覚悟だけれども、この人には最後に話しておきたい」だったり。絶望の表現として「死にたい」と口にすることもあるだろうし、本当に辛くて死ぬ覚悟を決めるために自分に言い聞かせることだってあるかもしれない。
私の想像力が乏しくてこのぐらいしか思いつかないけど、本当はもっともっとたくさんの気持ちが、深ーく深ーく隠されているかもしれなくて。
「死にたい」という言葉の裏側には、死にたい人の数だけ複雑な意味があって、「死にたきゃさっさと死ね」と一蹴にするにはあまりに繊細で、奥深い言葉なんじゃないのかなって。
私が20年間ずっと死にたかった時期にも、いろんな人に「死にたい」と相談していましたけど、その理由はあんまりわかっていなくて、でも死にたいほど辛い気持ちを抱えているという事実だけが目の前にあって。
「なんで死にたいか」わかったのなんて、死にたい気持ちがなくなってからですよ。それまで、ずーーーっと自分の死にたい理由がわからないまま「死にたい」という気持ちだけに悩まされていたんです。
そういう人もいるんです、「死にたい」と口に出す人の中には。
もしかしたら、自分の「死にたい」の理由がはっきりわかっている人の方が少ないのかもしれない。そういう人にとって本当に重要なのは、「死にたいけど死ねない」のが悩みなのではなく、「理由は明確にはわからないけどなぜか”死にたい”という気持ちを抱えていること」自体が一つの悩みなのかもしれません。
「死にたい=自殺の実行」ではないのかも
「死にたい」と口に出す人の全てが「本当に死を実行したい」わけじゃないのかもしれない。かつての私のように、「自分がなんで死にたくなっちゃうのか自分でもわからなくて、死にたい気持ちを消したくてもがき苦しんでいる途中」なのかも。
「人として、死にたいと思ってはいけない」という世間体と、「死にたい気持ちを感じている現実」の狭間でもがき苦しんでいる人たちの心の叫びだったりするのかもしれない。
そういう可能性を全てひっくるめて「死にたい」という一言を聞いた時、あなたはなんと答えるでしょうか?
全然答えがわからない。正解もない、難しい問題。
キュウは、死にたいという相談を受けたあなたが、相談してくれた人の死にたい気持ちや、その他いろんな気持ちと精一杯向き合おうとすれば、それが最善の向き合い方なんだろうと思ってます。
一人一人と大切に向き合う
「死にたいのならさっさと死ね」という言葉は、「死にたい」と口にする人にかけるにはあまりにむごすぎると思うから、キュウは誰にも使いたくない。
そうじゃなく、「死にたい」のわけを一緒に考えたり、「死ぬ前に一緒に楽しいことしようよ」と、一緒に気晴らしに出かけたり、「そっか、死にたいんだ。」と気持ちを受け入れたり、とにかく自分なりの方法で
「あなたは私にとって大切な存在ですよ」
と、言葉や態度で表すことが、「私はあなたの味方ですよ」と自分の全力を使って精一杯伝えることが、大切なんじゃないのかなあって。
あくまで私の気持ちですけど。しかも、こんな偉そうに書いといて、私も満足にできるわけでもないし、本当に難しいことだけど。
もちろん、伝えたつもりになって、自己満足で「私っていい人♪」となりたいわけじゃないですよ?そうじゃなくて、本当に相手のことを大切に思っているってことは、やっぱり伝えようとしないと伝わらないと思うんですよ。だから、そういう努力を心を込めてしていきたいなって話で。
なんだろう、言いたいことちゃんとかけてるのかな私。言葉にできないのがもどかしい。。。
大切にしようと全力を尽くしても、結局伝わっていないこともあるし、そんなキュウ自身ももどかしいです。
死にたいなんて、贅沢?
私の友達が次に言ったのは、
「発展途上国では、医療・衛生面の発達が不十分な環境に生まれてしまったために生きたいのに死んでいく運命の人もいる。日本人は生きようと思えば死なないでいられる恵まれた環境にいるのに、なぜ死にたいというのか。おかしい。」
という意見でした。
言いたいことはすごくわかるし、キュウもそのように思っては死にたい自分を責めていた時期もありました。
一人一人の心を見つめる
そんなこんなで色々苦しんだ結果、今になって思うのは、
「生きたくても生きられない発展途上国の人と死にたいと言っている目の前の日本人は全く別の人間である」
ということ。
育ってきた環境も違えば、周りのひとや本人の価値観や、一人一人の個性も違うわけで。そんな人たちの気持ちを「あの人は生きたくても生きられないんだから、あんたは死んじゃダメ!環境に感謝するべき」というように押し付けるのはなんか違うなあって。
それって、「あの人はこういう方法で成功したから、あなたもこれで成功できる」と誰かにアドバイスするのと一緒なんじゃないかなあとおもうのです。誰かがある方法で成功したからって、他の誰かも全く同じ方法で成功できるわけじゃあないじゃないですか。
それと同じように、「発展途上国の生きたくても生きられない人」と、「死にたいと言っている目の前の日本人」は全然別の問題を抱えていて、それぞれに心底困っていて、それぞれが自分に合った異なった助けを必要としているんですよ。
確かに、日本は衛生面や医療環境には恵まれているかもしれない。でも、心を病んでしまう人が多いということは、日本は精神衛生的にはもしかしたら恵まれてはいないかもしれなくて。その中で強く強く生きられる人もいるけれど、不安や周りの言葉やプレッシャーに押し潰されてしまう人も多く居て。それは、良い悪いとかじゃなくて、事実として受け止めるべきことだなあとキュウは感じていて。
そこに「発展途上国で困っている人達」を持ち出しても、お門違いというか、二つの辛さは比べられるものじゃないと思うんですよ。キュウはそれを比べていいものだと思えない。どちらも深刻な状況だし、どちらにも必要な助けを差し伸べてあげたいじゃないですか??
そう感じている人は、多分私だけじゃないと思うんです。
キュウは全部を受け止めたい
だからキュウは、死にたいときには素直に死にたいって言ってほしいし、死にたいわけを聞かせてほしいし、死ぬ前に何をしたいのか一緒に考えたい。
どんな気持ちも全部全部受け止めたい。
死にたいのもその他の悩みも全部全部引っくるめて「あなた」なんだよ、と、抱き締めて受け入れてほほえみかけたい。
多分、キュウはそういうのが好きなんだろうなーと思います。
でも、私は発展途上国の困っている人に直接支援をする能力は持ち合わせていないし、心の悩みを持った人にも十分な助けを与えることもできていないので、現実にはキュウは誰のなんの助けにもなっていないのかもしれないけれど。
…何もできない私が何を偉そうにブログ書いてるんだろうな。
不快に思われた方、すみません。でも、キュウは自分の考えを発信することはやめません。むしろ、不快に思ったことを私にぶつけてほしい。私の悪いところはなるべく直したいし、皆さんに同じように愛を注げるようになりたいから。
いやー、自分勝手だな私。
これからも精進していきます。
追記
このブログを書いてから、様々な反響がありました。
特に心に残ったのは、まいんさんの
助けを求められる側だって、助けを求める人から見たら「しっかりしてる!頼れそう!なんとかしてくれそう!」と思ってしまうのかもしれませんが、その人だって微妙なバランスで生きているのかもしれない。
それなのにずっと「死にたい死にたい」と大きな負荷をかけ続けたらパンクして余裕がない言葉をかけてしまう人は多いのでは?それは助けを求められた側も「被害者」なのでは?と私は思います。
というお話でした。
これは本当に大切な意見で、キュウにも思うところがあって。
追記して書いたほうがいいなあと感じたので、追記させていただきます。
自分を大切にしてもいい
キュウは、まいんさんのコメントの内容を読んで、昔自分が「死にたい」と言う友達にのしかかられてしまった経験を思い出しました。
後輩の「死にます」という言葉
彼女は中学校の不登校教室で一緒だった後輩で、不登校教室に行くとたまに顔を合わせる子。だんだん仲良くなってくると、キュウと、もう一人のキュウちゃんと、彼女と、もう一人の後輩とで、よく遊びに出かけるようになりました。
そんな彼女から「死にたい」という相談を受けたキュウは、彼女と過ごす時間をたくさん取るようにしたり、お話しを聞いたり、彼女のためにできると思ったことはなんでもやってみました。彼女を受け入れ愛したらきっと死なないでくれるだろうと思ったから。
でも、ある時に、突然「今から死にます」という連絡が来て。
それに驚いた私とキュウちゃんは、自分たちの予定をキャンセルして、急いで彼女の家に行きました。
彼女が落ち着くまでお話しを聞いて、落ち着いたら「ごめんね、帰るね」と心配になりながらも帰って。その時は、予定が狂ったし、びっくりしたけど、彼女が死ななくてよかったなーと思いました。
増える「死にます」の連絡
それからというもの、彼女は頻繁に「今から死ぬ」という連絡をよこすようになっていって。最初はそれになるべく付き合って、会いに行ったり電話をしたり、辛抱強く付き合っていましたが、だんだんキュウも疲れてきて、
…しんどい。
と思うようになって。勉強の時間とか自分の予定とか、全部犠牲にしないと付き合えないようになっていったから、本当にしんどくて。
それをしんどいと思ってしまう自分が嫌で、でもしんどいのは本当で。
友達が死ぬかもしれない恐怖に怯えながら連絡をみるって、本当に本当にしんどいことで。「見捨ててはいけない」みたいな気持ちがあったからなかなか言えなかったし、「自分が連絡をとるのをやめたらこの子はどうなってしまうんだろう。私が連絡を絶ったせいで死なれたら私のせいだ。」みたいな気持ちもあって。
でも、しんどくて。
どうしたらいいのかわからず悩んでいた時に、ある人からアドバイスをもらいました。
「自分を大切にする方が先だよ」
あなたがしていることは「いいこと」かもしれない。でも、そのせいで自分が潰れてしまうのは、なんか違うよね。
あなたには勉強も必要だし、他の友達との付き合いだって必要。あなたの人生の大切な時間が危うくなるのなら、その人と連絡をとるのはやめた方がいい。他の人のことを考えるよりもまず、自分を大切にする方が先だよ。
たぶんこんな感じの言葉だったと思います。いや、もっと言い方はキツかったかな。意味はこんな感じ。
色々モヤモヤする部分はあったけど、キュウは試しに彼女に「もう連絡を取ることはできない」ということを伝えてみました。
すると彼女は「キュウは変わったね。そんな人だと思わなかった」とかなんとか、色々私を責める言葉を投げつけてきたので、「ああ、この人って、都合のいい私を利用していただけなんだなあ。」と感じて、自分はそんなのに振り回されて、何てバカだったんだろうなーと思いました。今振り返ると、あなたの「死にたい・死にます」に付き合うことで使った私の時間と労力を返してーとか思っちゃう。
…思っちゃダメかもしれないけれど。
でも、私には、私が変わったんじゃなくて、彼女が豹変したように思えました。彼女にとっては、私は友達じゃなかったんだなあ、とか。
ちなみに、彼女は今も死ぬことなく、色々な「彼氏」に依存して生きているという噂を耳にします。
背負えないものは背負わない
たぶん、まいんさんや他の「死にたい」と相談された”被害者”の方々は、キュウの後輩みたいな人ではなく、相手が本当に死んでしまったりとか、全然違う性格の方に相談されてのしかかられたのだと思うので、こんな例からお返事にしていいのかわかりませんが、キュウも「死にたいと相談された側の人が過剰に精神的な負担を背負う結果になることはあり得る」と思います。
そして、そんな時には、死にたい人と無理に向き合わなくてもいい。
自分を大切にしちゃっていいと思います。背負えないものは背負わなくていいんです。
相談を受けたあなたが、自分が重く負担に感じるぐらいに物事を犠牲にしてまで相談に乗ることは、あなたを大切に思う人なら、だーれもあなたに求めていません。あなた自身が一番大切です。
それは、ココトモのスタンスと似ている部分でもあるけれど。
だから、そういう時は精一杯自分を守って欲しいなって思います。
おわりに
今回は、キュウが最近感じている「死にたい人への接し方」について書いてみましたが、いかがでしたでしょうか??
他にもたくさん接し方はあるだろうし、全部が全部正しくもなければ、間違ってもいないと思います。正解はないと思うんです。
その中で、キュウが一番大切だと思うのは、(繰り返しになりますが、)
死にたいという相談を受けたあなたが、相談してくれた人の死にたい気持ちや、その他いろんな気持ちと精一杯向き合おうとすること
なのかなあと思います。
気持ちを否定せず、他の例を持ち出して説得しようとするでもなく、その人本人のいろんな気持ちをありのままに受け入れようと頑張る、というか。
あなたは、死にたい人とどのように向き合いたいですか??
よかったら、キュウと一緒に考えてみてほしいです。
様々なコメント、お待ちしております♪♪
ではでは、次回のブログでお会いしましょう!!
キュウ
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