2017/05/25
カテゴリー:雑記
カテゴリー:雑記
見捨てられるために生きる
見捨てられるめに生きる
人を助けること
助けを求めてくる人
助けを求めてくる人を助けてあげる
そしてそのうち助けが必要なくなって
助けを求めた人は助けてくれた人の元を去ってしまう
人を助けて最後に見捨てられる
寂しいけれどそれはとても素敵なこと
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全6件のコメント
お返事ありがとうございました。すこし理解できました。人助けを自分のためにしているように感じてしまうようなブログでしたので、コメントしました。私は人助けみたいな仕事をしています。毎日命をあずかり守ったり、ささえたりしています。そして、旅立っていきます。とても、嬉しいです。心が傷つくよりも、その命が前に進んでいく力に感動します。
だから、見捨てられるとかそういう感情にはなりません。
空色さんへ
確かに人を助けて見捨てられるのはとても寂しいです
心がズタズタになってしまいます
けれど
人助けはあくまで人のため
自分が報われるか報われないかなんて助けてみないと分からないわけで
たとえ自分が報われなくとも
助けた相手が幸せになることが一番大切なんじゃないかなと
私は思います
美化しすぎて共感できないです。見捨てられて寂しいと感じているのに、素敵なことなんでしょうか。傷ついてるだけなんじゃないかなって思いました。
見捨てられるために生きるっていうなら、人助けして意味あるんですか?
美化しすぎなような…。結局見捨てられて傷ついてるんじゃないんですか?
あんまし共感できないです。失礼なことをいいますが。寂しいと感じるなら助けなくていいんじゃないんでしょうか。
人は何かしてあげた側がより心を開きやすいものだ
どんな場面で発せたセリフなのかはわかりませんが
心が開くということは
それは心が閉ざされた状態が解除されるという意味なら
閉ざされた心を回復するには
施しを受けるより
自ら施しを実践したほうがより効果的だみたいな意味なのかなって思います
よく刑務所なんかで動物の世話をしてるのも
動物に対して世話をしてあげることで
自分の心の閉ざされた部分を少しずつ開放する訓練として行われているのかもしれませんね
トラブルに対して一人でどうにか出来るようになる。。「困窮者の独り立ち」を寂しいと捉えるのは、援助者が助けているうちに徐々に情が移ってしまっているということになるのでしょうね。先日見たメンタルを扱う海外ドラマで一つよくわからないセリフがあり、ふいに思い出しました。『人は何かしてあげた側が、より心を開きやすいものだ』と。